ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

関心

2011-12-15 15:54:32 | ひとの幸福
ニュートンとニュートン以外の人を比べて、

何が違うかといったら、

それに対しての「関心」かと思う。

何かを見るとき、そのものを見る前から、

既に何か「関心」を持っているんじゃないかな。

野菜畑を見るとき、

そこで種まきから水遣りからいろいろな管理をしてきた人と、

見学する人では畑の見え方が違う。

何に関心を向けているかによって、

その経験が違うものになる。

無意識的にしろ、意識的にしろ、

何に関心をむけているかでそれぞれの人生がある。

そしてたくさんの人生の集積としての世界がある。

観るものは観られるものに影響を与える。


一事が万事、

現象世界を創っているという自覚が無いまま、

現象世界を創っている私たち。


「さらに疑え」

2011-12-15 14:59:39 | ひとの幸福
池田晶子さんの著書は、自分の中心に向かって考えることの、

凄く役に立ったものの一つだ。

うーん、これは何を言ってる?

って考えるのが本当にゾクゾク面白かった。

何度か手紙を書いたけど、きちんと返事をくれた。

著書に書いてあるとおり、

ホントに読みにくい字だった。でも、嬉しかった。


彼女の文章の中に「さらに疑え」がある。

そう、「さらに疑え」って、

哲学する、考えることのキーポイントだと思うけど、

疑いましょうと思ってもそうはならない。

自分の中から???が湧いて来るもので、

ホントにそうかな?どういうことだろ?なんでこうなの?

って、思わず思っちゃうこと、がそういう言葉で言っていることかと思う。


彼女の文章の中で自分の性格というか、

短気さ について、何故だかこう生まれついた、

というような表現だったかと思うけど、それがあった。

自分の短気さというものを 更に疑わなかった んだろと思う。

そういう気にもならなかったんだろ。

自分は短気もんだ、と決めちゃってたからと思う。

そういうもんだ、になってると、

それ以上哲学する方向には行かない。

短気な人が短気でなくなったことなんて、

この世に幾らもあるんじゃないかな。

でも彼女はそこには関心がなかったんだと思う。

関心がなければ、それを考えることなんてない。

誰でも関心はそれぞれ違うから当たり前のことだけど。

でも、もし、彼女がそれをさらに疑って、考える事をしたら、

もっと彼女の地平線は広がって、

もっとたくさんの人に影響を与えられたかなぁ、

もったいなかった、と思ってしまうけど、仕方が無い。

関心の無いことに関心が行くことなんて、ない。

それに、世界にも人生にも「もし」なんてないし。

もし宝くじで3億円当たったらどうしようか、なんて考えるのは

とても楽しいことだけど、

もし は空想の中にしかないからね~。


二つの愛

2011-12-15 09:28:42 | ひとの幸福
愛は二種類あるらしい。

エロスとアガペーの二つ。

簡単にいえばエロスとは見返りを求める愛。

アガペーは見返りを求めない愛。

エロスという名前でも、性愛に限らない。

これをしたのだから、こういうお礼があって当然という心理は、

そういう意味でエロス的といえる。

例えば、重い荷物を持っている老人を見ると、

つい、それを手伝いたいと思う。

そして老人に声をかけ、それをする。

そうしているときは何故かいい気分である。

嫌な気分ということはない。

嫌な気分になりそうな場合は多分最初から声をかけない。

その荷物を老人に戻した時、

老人のお礼の仕方が気に入らないと言って怒る人がこの世にはいる。

その行為をしている時は、ただ無心にしていたんだろ。

けど、その後の相手の言動を見て、

感謝の仕方が足り無いとか、

お礼の言葉も無いという思いが出たとたん、

腹が立って来るというわけだ。

その時点でその愛はエロスになる。

大方の世論も「ありがとう」と感謝するのが当然であると、

そのひとに大いなる味方をする。

堂々とその事件を披露するという展開になる人もある。


手伝って貰ったら有り難いと思って、

ありがとうと言う人が多いと思うし、私もそう思うし、そう言うことが多い。

けど、手伝いをするのもしないのもそのひとの自由であり、

その自由の中から、手伝うということをよくぞ選択してくださった、

そのことが有り難いと思うので、有難うという言葉がある。

有ることが難しいので、「有難う」


小さな子供は親から意識的にしつけられなかったら、

お礼なんて言わない。それは自然だ。

何かをするというそのこと自体が楽しい、

ということを子供はよく知っているから。


生まれたばかりの我が子に、

乳を含ませてやっているのに感謝が無いといって怒る人は多分いない。

こういう母の愛はアガペーなんだろうな。


アガペーは別名「神の愛」といわれるらしい。

だから、こうしないと天国に行かれない、と脅迫するのは、

神の愛に逆らうことなんじゃないかな。