おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

ヨシ焼きに おばあちゃん語る

2014年04月07日 00時00分00秒 | 民俗

写真1 あっちの燃えはいいねー 2014/03/15 10:59


写真2 今年は燃えないねー、雨降ったから 2014/03/15 10:57


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 焼け具合の悪い渡良瀬遊水地のヨシ原、2014年03月15日。
 第2調整池の堤防天端におばあちゃん2人(写真1・写真2)。
 昭和5年(1930)と昭和6年(1931)生まれ。

 若い頃のヨシ刈やヨシ編みについて次のようにご教示。
   ヨシ原をヤマと呼ぶ。
   遊水地周りの各集落が地さきのヤマをヨシ刈場として共同利用。
   H集落では、構成戸が毎年12月、ヨシ刈場をクジ・籤で決めた。
   これをヤマワケと呼ぶ。

   集落構成戸の多くは、女性を中心にヨシを編みスダレを造り販売した。
   余ったヨシは、ヤマシ・山師に売った。
   昭和5年生まれのおばあちゃんは、親指と人指し指をくっつけ、カネになったと強調し、
   そのカネを貯めて住宅を新築した。

   ヤマに500束の山を1つ、2つ造った。
   束の山を火事で失った年もあった。
   現在、ヨシ編みは集落に1戸。

 私・筆者と同年配の男性(写真2の男性とは別人。)は次のようにご教示。
   H集落では構成戸が入札でヨシ刈をし、ヨシを編んだ。
   落札金は自治会費に繰り入れた。
   余剰金が出ると、男たちは古河の街に繰り出す年もあった。
   これらは1945年以降、ヨシ編みが衰退するまで続いた。

 引用・参考文献等:弊ブログ2014年03月17日22日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 

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