ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

守ること

2020-01-06 | 12〜13歳
生まれ変わって、ふたたび姿を見せてほしい。それは雲をつかむような願いだが、抜き難く切実な感情でもある。この地上の誰ひとり死後に起こることの真実を語れないとなると、いろんな可能性を考えておかねばならない。

『また生を受けることができるとして、では別の外見だったら。前と違う生物だったら。』

アリエスの庭を手入れする時、親しげに寄ってくる蝶は。目を細めてくつろいでいるかのように思えてしまう、リビング窓がお気に入りのカマキリは。アリエスの白耳のようなシクラメンは。道で行き違う、ヨチヨチ歩きの子犬は。この優しい日差しは。遠慮がちに触れるような風は。あなたは、アリエスではないですか?

アリエスはどこにもいなくて、どこにでもいる。
私の心の見るところ、聞くところ、思い浮かべるところ、どこにでも。

それが死ぬということだとしたら、どこかの宗教か何かで言いそうなことだが、万象にアリエスは溶け込んだのだろうか。ヒトにも、ほかの生きとし生けるものにも。

ならば、大切な存在に手が届かなくなった私は、アリエスを大切に思うように人を思い、労わらねばならないのではないか。変な方向のこじつけかと我に返って、だけど、そうであるべき使命感とか思い込みなのではない。アリエスとの出会いに、アリエスの人生に、アリエスのくれたものすべてに、感謝しかあり得ず、それをアリエスに見えるように表現して生きたいと思うのだ。それがこれからもアリエスを守ること、墓標を守ることだと、最近思う。

記憶

2020-01-01 | 12〜13歳
1年まではと作っていたアリエスのごはん。結局まだ、3食出して一緒に食べている。今日はお雑煮とおせち料理だ。

病を得る前は毎食だいたい2ー3回に分け、肉→魚とチーズ→果物とヨーグルト、そして別腹でおやつ。ごはんの時の動線も決まっていた。まずは冷たい水で喉を潤して食事の準備を待ち、1皿食べるごとにおしっこに出かける。戻ると新しくしてある水を飲む。食べる、おしっこ、水、を違えることなく繰り返し、最終回の水飲みまで完了すると満腹。

今はアリエス専用のお盆に小皿を並べて定食風にいっぺんに出すけれど、水は食前・食中・食後に入れ直す。なんだか、アリエスの習慣がそうであったことを忘れたくなくて。頭の中の思い出の記憶はもちろん大事だが、なんの気なくする行動や動きの癖なんかも、アリエスに関することが自分の身体から失われないようにしたいと思う。気持ちの上では、神事と共に建造の技も引き継ぎ更新していく伊勢神宮の遷宮みたいな感覚でしょうか。母ちゃん自分の中で伝統伝えちゃうよ。

過去に嫌というほど繰り返した動作も、しなくなれば消えてしまう。やってみれば思い出すかもしれないが、できなくなっていく過程が確実に存在することが寂しい。たまにリードを握ってみたりして、アリエスと手をつないで散歩に行った時の具合を確かめたりしている。

そういうのは極めて個人的な細かい思い出だけれど、そういった事柄こそアリエスの輪郭を鮮やかにする。ぼんやりと胸に残っているアリエスにまつわる残像も、同じ重さで大切ではあるけど。…結局、全部かよ。


時はゆく

2019-12-29 | 12〜13歳


残すところ数枚の、今年の日めくりカレンダー。
月の満ち欠けとか星座、天体イベント、衛星の打ち上げやら宇宙にちなんだ記念日やらが書かれていて、とても気に入っている。でも来年分を買うのはなんだか気遅れがしてやめてしまった。やおら年明けに在庫を探すことになるのではとも思うけど。

1年はこの厚さ。それを目にするのが、表現しがたい気分になるのだ。しかたなく、あるいは意図的に淡々と、毎日破り取ってきた。どんな日々だったか。本当に、言葉にならないことがあるものだなと思う。アリエスと暮らして、月日は輪を成してめぐるものという感覚がつよくなった。一方でヒトはこうして、区切りを作っては更新する工夫をしたのだなとも思う。

アリエスの写真なしの年賀状作りは身が入らず、新年のあいさつだというのにおざなりに選んでしまった。この行事も自分としては潮時かな。それでも、アリエス宅のお正月飾りは楽しかったな。お手玉みたいなひょうきんな獅子舞や小さな笑顔のダルマたち、編んで作った花の下げ飾り、ねずみの張り子つき稲穂飾り。バックのカーテンは真っ赤に白ねずみの風呂敷へと交換。にぎにぎしくてよし。アリエスしばらくは大宴会かな。

ふたご座流星群の夜 その2

2019-12-25 | 12〜13歳


アリエスの誕生日の晩は、学会帰りで羽田から戻ったアリ男をピックアップして、いつもの河原へ出かけた。明るい月が輝いていたので流れ星はお預けだったが、私たちは、見えない空にも星の断片がまばゆく燃えながら飛び交うのを知っている。見えなくても、「ある」と知っていることは大切だ。流星群に限らず。

父ちゃんはそんなわけでだいぶ無理やりな参加だったけど、一緒に行ってもらってよかった。自分ひとりで行ったなら、おそらくただただ泣いて、ついてきてくれているはずのアリエスは当惑したことだろう。父ちゃんと、アリエスが散歩を満喫する姿について語ることができたおかげで、心あたたかく過ごせた。

アリ男はよく、子供時代からアリエスを育てることに関われなかったと言ってすまながったけれども(悩み満載だった私にこっぴどく八つ当たりもされていたし)、闘病に際しては自分の命を引き換えるかのようにしてアリエスを守った。やっと少しは父ちゃんらしいことができたかなと寂しげにつぶやくのは涙が出るものだったが、アリエスは父ちゃんを心から愛し、父ちゃんという単語に顔をクイクイと傾けて、心躍らせていたのを私は知っている。父ちゃん本人は知らないそんな姿も、たしかにあったのだ。あったということは大事だ。流星群と同じで。

ふたご座流星群の夜 その1

2019-12-14 | 11~12歳
今日はアリエスの誕生日。
12年前、子犬が生まれるのを首を最長にして待っていた。私は新潟にいたが、寒い夜中にむくりと起きて、アリエスが生まれたことをなぜか確信した。

アリエスの姿のない今年の誕生日を、じつはとても恐れていた。12歳おめでとうと言いたくても言えない事実を考えるのがきつかったし、来年もその次も、数え続けるのは無理だと思った。ケーキもろうそくも花も買わず、なんとかして普段どおりに過ごそうとしている。

しかしひとつだけ、特別なことを。
いつも散歩に行っていた河原へ、流れ星を見に行くことだ。誕生日の頃に極大を迎えるふたご座流星群を、毎年アリエスとともに見た。あんたはあれに乗って地球に来たのかねえなどと話しつつ、飽かず眺めたものだ。たまにすごいのが流れて、黄緑色の閃光をアリエスが追ったりした。

いまは流星のすぐそばを、自由自在に駆けることができる。そうだよね、アリエス。


アリエスのまわりは花と緑がいっぱい