異教徒たちの踊り

まるでリズムの悪い絵と日記のブログ。それでも____
楽しい出来事があればいいなぁ、と、言う、ブログ。

リヴォルブ。

2006年03月31日 | Weblog
今日はブログを1時間かけてガッツリと書いてみよう。

自分絵かいてます。ほいで絵描く仕事に就きたいです。
「デザインとかでもイイよ」
とかは全く思っていなく、絵を仕事に就きたいんです。
背景でもキャラクターでも色塗りでも線でもいいけど描く事がしたいの。死ぬまで描いていたい。
とか思っちゃってる。

ふと振り返ると、描き始めた初期当と時絵を描く目的は違うんですよね。
表現したいものがあるから絵がうまくなりたいんです。

もしも創作活動の始まりが音楽だったなら、きっとミュージシャンを目指していたと思います。文章だったら小説家を目指してたと思います。

それがたまたま絵だったって話です。
僕の根本には常に「表現したい事」ってのがあります。
それができたなら何だっていいんですけど、気付けば絵を描く事になっていました。

今現在は、本当にそれだけ。他に興味がない。
そーなんだけど、現実は金が必要だったりゲーム三昧だったり。
日にゲームを5時間とかやっちゃうとナチュラルに死にたくなります。

村上春樹さんの「風の歌を聴け」って小説でデレク・ハートフィールドっていう(架空?)人物が出てきます。

その人は小説と銃器と母親の焼いたクッキーが全てだったらしいです。
銃器の一つにお気に入りのリボルバーがありまして、玉が一発だけ入っています。
「これでリヴォルブする」
とかなんとか。
でもハートフィールドは母親の死と同時に、ステイトビルの屋上から飛び降り自殺します。残念ながらリボルバーでリヴォルブしません。

ハートフィールドの悲劇ですわ。彼は沢山の小説を世に送り出すも最後まで不幸だった見たいです。「昼の光に夜の闇の深さがわかるものか」
とかなんとか。完全欝発言です。

ほいで、僕の悲劇は国民年金です。
僕のしている事は成功しなければ何も残りません。だからこそ失敗しないように日々精進するんです。
最低限の労働時間で働く、絵を描くためできるだけ時間を作る必要があります。国民年金を払う分を働いてしまうと、その分成功が遠のきます。
ですけど、最低限の時間で働いていても成功するとは限りません。現実、自分より絵のうまい人の方が多いですし、その辺は今は頑張る他どーにもできません。
成功しないからと言ってリヴォルブするか?とか言ってもたぶんできませんし。惨めに死ぬまで生きると思います。

だから年金払わなきゃって感じでグルグルするんですよ。
現実ってヘボい癖にシビアなのよね。

早々に人生をドロップアウトした人達を羨ましく思ったりもします。
とかなんとか、贅沢な妄想です。


田口ランディさんの「縁切り神社」という短編集小説内で、三味線を持った男と酔った男の会話でこんなのがあります。
「寂しくないですか?」
「俺と三味線があればいい、他人は関係ない」
「羨ましいな、僕には三味線がない」
とかなんとか。

その文章を読んで思いました。
酔った男が羨ましがった三味線を僕自身間違いなく持っている、でも羨ましがられても困る。って。


そー思いながらどこまでやれんのかなぁ?とか考えちゃいました。
だって昨日は、ゲームを5時間以上やりましたからね。
・・・何をやってんだかなぁ↓↓

絵の方も低速ながら進歩あり。頭に思い浮かべる物を以前よりも正確に表現できるようになっているようです。数年ぶりに成長したなと実感しました。小さな頃に想像した自分には確実になっているんですけども、満足できない。
鶴岡孝夫さんの「ツートンの法則(笑)」を勉強中です。
日々精進。

大体において、リボルバーで物事を一瞬で逆転させるとかズルいんだよ。
徐々にリヴォルブでお願いします。