捕捉:強=努
「欲を捨てる事で現状に満足できるようになる」的な意味だと思ってた
それと同時に欲を捨てて幸せになれない事も知っていて
調べてみたらカッコいい自己啓発系で見事に刺さった
古の記憶に
「世界中が君の敵になっても、僕は君を愛する」
といったニュアンスの歌詞があったように思う。
このことに関して考え込んでしまう。
世界中が敵になる状況ということは
フェミニスト過激派であり差別主義者で、
醜く冷酷で残忍な殺人鬼で、
寿司ペロしつつ全く反省しない「君」であっても
その「君」を「僕」だけが愛するという事
それはもう「僕」にはキツめの特殊性性癖があるっていうことでいいよね?
そんな風に解釈する自分は、歪んでいると思ってたけれど
年を重ねて最近、逆に純粋なんじゃないかと思ってきた
「世界中が敵」になる条件を愛する「君」に押し付けるのは、心が汚いと思います
下校前のホームルームの気持ちで そう思う
個人製作でアダルトアニメを作ってる
5年作ってて、完成が見えてきたところ
そのアダルトアニメだが、作り方は少し特殊だったりする
3Dでアニメーションさせつつ、絵の枚数は少ない
1カット10枚~4枚程度で動きをループさせる
シンプルで絵が少ないので、レタッチができる、という作り方
この作り方をしている理由
なかなか根が深い
自分がアニメーターになった18年前まで遡る
演出的にエロくもないのに、作画コストが半端ない絵コンテにイライラしてた
大判20枚、清書するだけで2日かかったりしてた
そんな苦労してもエロくないし
「作画コストを下げて、クオリティを上げたい」
と、18年前の自分が強く思ってた事
それをやってる
個人製作を楽しみつつ、その証明をしてる
きっと、あの時よりはエロくなる
中学の頃、先生と連絡帳でやりとりがあったと思う
個人の意見や感想を書くと、赤線を引いてくれてた
自分の意見を書くことがいいことなんだと子供ながらに思った
ただ、今になって思うと
一般人の意見なんか、誰も読みたくねぇし、俺も読みたくねぇ
他人を楽しませるなら、
気持ちの積み重ねじゃなくて
出来事の積み重ねを文章にしなきゃいけない
そんなわけで
明日から、出来事を書いていく
妄想と嘘も出来事として書いて
まとめる練習の場とする
なんとなく、角の立つ話をしてみたい。
ディスコードで作業通話中に上手い絵描きの話題になり
手を止めたくないし、見たくなかったので
「ツイッターで上手い人の絵を見たくなくない~
才能の差を見せつけられるとモチベーションが~」
と軽く言ったら
「才能というものは、大概は努力の差で、
大して努力もしていない人間が才能を語るのはおこがましい と私は思う」
と、嫌な感じに返されて
「おこがましい」
という言葉とその人が嫌いになった。
ディスコードで初めてNGの人が産まれた瞬間だった。
自分のメガティブ発言にイラっとしただけだとは思うケド。
努力を楽しめなかった人間って、他人に厳しい。