異教徒たちの踊り

まるでリズムの悪い絵と日記のブログ。それでも____
楽しい出来事があればいいなぁ、と、言う、ブログ。

才能の定義

2021年06月22日 | Weblog

才能という言葉の意味をgoogleで調べると

ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力。

と出ます。



グーグル日本語辞書はグローバル感が凄い。
通常の日本語辞典的には生まれつきの能力的な意味合いが強いかと思います。
そんなわけで起こる事故とかあるわけよ。



「才能」という言葉を気軽に使うと意外とイラっとする人がいます。
気をつけろッ才能警察だッ

つい最近こんな感じで攻撃されました
「彼らは物凄く努力している、努力してない人が 才能って言葉を軽はずみに使うのはおこがましい」
一瞬場が凍ったじゃねぇか。
何があったらそこまで言われなきゃいけないんじゃ。
そもそも

才能は・・・ありまぁーす


そしてそもそも
人によって才能の定義が違いすぎる。
イライラしたついでに才能の定義を考えてたらしっくりした回答が出ました。


才能とは
環境+個性でたまたま偏った能力が
多数に評価された瞬間
それを人は才能って言う

てところに落ち着きました。

 

 

自分の感覚では
眩しすぎる才能を目の前に、努力でどうにかなると思ってる方がおこがましい
何かの才能はそれぞれあるとは思ってるけど、好きに選べるもんじゃねぇ。


2021年06月18日 | Weblog

大人になってから若いときに遊べばよかったな、って後悔することに何の意味もないのだけれど。
ちょくちょく思ってしまう。
20代前半は仕事の記憶しかない。
休日も仕事関連のことしかしてない。
自分を追い込んで追い込んで、イジメ倒してた。

 

タイムスリップして当時の自分に「もっと遊べ、後悔するぞ」
と警告できたとして

当時の自分は決して言い返してこないだろうけれど、心の中でこう思う筈。

「遊びたかったら今のお前が遊べよ」

って
絶対に思われる。

そして休日に遊びに行こうとしない今を考えると、
後悔してる風で、結局はあの時と何も変わってないっていう。