ざっくり背景。
書かねーとわかんねーと思うので書きます。
水中です!!
ほいで、終わらなそーなので投げました。
僕の背景の描き方(下地)が見えてて恥ずかしいです。
裸を見られた思いです!!
最近良く思い浮かべる言葉に、
「昼の光に 夜の闇の暗さが わかるものか」(ニーチェの名言集に載ってるらしいです)
この人確か哲学者だったと思うんですよ。
まあ、僕はこの言い切った言葉は好きです。
けれど、完全に投げてますよね。
アンタ等にオレ等の気持ちは分かり得ない、ってさ。
哲学者なら難しい言葉で大衆を捻じ伏せてみせて欲しい。
と、たまに思ったりします。
・・・別にニーチェの名言にケチをつけてる訳じゃないんですけどもね。
上の投げっぱなしの名言ですが、コレって大事。
要は、分かり合えないって言い切ってる部分が大事。
ベストセラーの「バカの壁」。
本文は読んでないんですが、「話し合ってわかりあえるなんて嘘」
と言う題目があるのは知っています。
こー言うのも凄く大事。
何がってさ、僕等は義務教育で間逆を教えられる訳ですよ。
話し合って、理性的に倫理的により良い方向へ向かいましょう、そして「分かり合いましょう」って。
やっている事はただの多数決なんですけど、とりあえずは「分かり合う事が最良であり、可能」だと思っちゃうんです、子供ですから。
けれど、それに当て嵌めて生活すると、損ばかりする人達がまれに存在します。
日常で言えば。
自分の意見が多数一般と違う。頭では理解できていてもそれを言葉として表現できない。物事を要領よく並べて、適切な声量で発言できない、(←エンターテイメント性に欠けている)などなどの人達は損をし続けます。
で、そんな人達は思うんです。
結局は「話の旨い奴の言いなりじゃねーか」って。
全然和解なんてできやしない、意見と意見の中間点なんて在りはしないって。
つまりは、上で言った損をし続ける人は、頑張れど、「私は他と判り合えない」って結論がでちゃうんです。
でるんですけど、そんな理性は教育上には無い、それどころか分かり合え無い訳が無いという教育を受け続けたため、無駄に苦しんじゃったりして・・・僕を理解してくれるのは君だけだよ綾波、とか言い始めちゃって。それはそれは認め難い現実です。
「私と他と判り合えない」と言う言葉は社会に無いし、義務教育で育った僕私の理性には無い訳ですから自己否定のネタにしかなりません。
そんな中、見つけた言葉。
カリスマが放った自分への肯定。
本当は、あやふやながらずっと前に気付いていた物事を、彼等は確立させてくれます。
・・・だから名言になるのか。
話が長くなったし何言いたかったのかわからなくなりそうだから、この辺で前置き(!?)お終い。
1年くらい前の話になるんですけど、ミュージシャンを目指している人と飲んだ事があります。僕と同じく、皆が就職していく不安の中、目標を目指す人。
彼も僕と同じく何かしらの自論を持っており、それを原動力としているようでした。彼の自論の中にもあるカリスマが放った言葉と同意味の物を持っていました。それで、ある程度物事を考えると、同じような答えがでるんだなぁって思ったんです。
名言やカリスマの言葉とちょっと違うのは、その自論は自分の都合の良い様になっているという所。(←僕も含め)
ああ、なんか久々の共感したよー、とほろ酔い良い気分。
・・そして、その3ヵ月後に音信不通。
けど、まあさ、思う事はただ一つ・・・貸した4万返して。
と、ね。
やる気を出すため自論で自分をマインドコントロールしようとしている途中、思い出したある日の出来事でした。