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アートネタなど日々のあれこれ

図案と、時代と、

2022-07-02 23:53:35 | 美術
松濤美術館で「津田青楓 図案と、時代と、」を見てきました。

2年前に練馬区立美術館で津田青楓の回顧展が開かれていましたが、不肖わたくし、コロナ禍の影響もあって見逃してしまい…今回は早めに行ってまいりました。この展覧会は津田青楓の作品を中心に、図案集と図案に関する作品を紹介しています。図案はもともと工芸品の下絵でしたが、明治時代から美術家の作品として芸術化が試みられるようになりました。展覧会では図案の変革期にあたる明治から大正時代の作品が展示されています。展覧会の第1章は「青楓図案万華鏡」。津田青楓の図案集、装幀図案、刺繍、日本画・洋画を紹介しています。最初に「青もみぢ」「うづら衣」などの図案集が展示されていましたが、まさにセンスの塊、としか言いようのない感じです。とりわけ図と地のバランスが絶妙…。青楓は京都に生まれ、呉服問屋の千切屋に丁稚奉公に出ますが、そこで意匠の仕事にも携わるようになりました。青楓が当時評判だった神坂雪佳の作品を見て、あれくらいなら自分にも描けると、生家近くの本屋に図案を持ち込んだところ、破格の値段で買い上げられ、最初の図案を出版したのはなんと16歳。おそるべし…。大正時代に入ると本の装幀も手掛けるようになります。とりわけ夏目漱石の本の装幀を数多く手がけていますが、今見ても本当に素晴らしい。青楓は人嫌いの傾向のあった漱石にも殊の外気に入られていたようです。漱石が亡くなった時、青楓は人目もはばからずに泣き、「漱石」は永遠に生きているが、「先生」には永遠に会われなないのだ、と言ったのだとか…。鈴木三重吉の全集の装幀も手がけますが、こちらは三重吉にくどくど言われるのに耐えられなくなった、と途中で降りてしまいました。一方で、日本画や洋画の作品も残しています。ある評論家は「津田にとっては描きたい時に描きたいことを描きたいように描いていさえすれば、それが日本画でも西洋画でも図案でも、頭の中では一つのもので統一されている」といった言葉を残しています…。第2章は「青楓と京都図案」。当時、近代化を図っていた京都の工芸の動向を紹介しています。青楓の師匠だった谷口香嶠や、人気だった神坂雪佳、新風を吹き込んだ浅井忠など、数多くの図案が展示されていましたが、今見てもお洒落。谷口香嶠の作品はやはりどことなく青楓の作品と似ているような…。第3章は「青楓と新しい試み」。明治40年にパリに留学し、帰国した青楓は打って変わって素朴な表現に挑むようになります。当時、生活に密着した「小芸術」への注目が集まっていたという背景もあり、大正2年には青楓図案社を設立、実用品のデザインも手がけるようになりました。展覧会は大正時代で終わっていますが、その後、青楓はプロレタリア活動に身を投じ、小林多喜二の虐殺を描いた「犠牲者」で警察に検挙され、転向…と激動の人生を送ります。練馬区立美術館の展覧会では当時の作品も展示されていたようです…いつか観られる機会があるといいのですが…。

さて、例によって鑑賞後は甘いもの、ということで東急本店の地下にある「ミカドコーヒー」に寄ってきました。暑い日だったのでモカフロートを頼みましたが、アイスコーヒーの上にどーんと乗っかっていたモカソフトが実に美味しゅうございました…。
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