aquamarine lab

アートネタなど日々のあれこれ

ワッツタックス/スタックス・コンサート

2022-11-24 01:24:41 | 映画
渋谷シネクイントで「ワッツタックス/スタックス・コンサート」を見てきました(上映は既に終了しています)。

1972年8月にロサンゼルスで開催された伝説の野外コンサートのドキュメンタリーです。ソウルの名門レーベル、スタックス・レコードのアーティストたちがほとんど出演したというコンサートは6時間にわたり、10万人の観衆を動員したそうです。このコンサートは1965年にカリフォルニア州ワッツ地区で起こった暴動事件に端を発するもので、「黒いウッドストック」とも呼ばれているのだとか…(以下、ネタバレします)。

この映画は当時のワッツの黒人たちの生活、人気コメディアンのリチャード・プライヤーのトーク、スタックス・コンサートの映像とで構成されていました。トークが長めではあったのですが、コンサートの方もツボは押さえていた感じです。コンサートはキム・ウェストンが歌う国歌から始まります。ソウルフルな国歌に続けて、ジェシー・ジャクソンのスピーチ。大観衆に向かって“I’m somebody”と力強く訴え、キムが黒人のための国歌“Lift Every Voice & Sing”を歌います。そして、ステイプル・シンガーズが登場。“Respect yourself”を熱唱します。サイケな衣装で現れたバーケイズは、まさに元祖ファンクな演奏。エモーションズは教会でゴスペルを歌う映像が流れますが、神がかりの歌にトランス状態になる人の姿も。一方で、アルバート・キングが渋~いブルースを聴かせてくれます。全身ピンクの衣装で登場したルーファス・トーマスは、熱狂してスタジオになだれこむ観客たちをさすがの貫禄で鎮めます。そして、トリはアイザック・ヘイズ…リムジンをステージに横付けにし、大歓声の中、降臨する姿はまさにカリスマ…。

音楽ドキュメンタリーというには音楽は少々短めで、むしろ当時の黒人たちの姿を伝えるのがこの映画のメインの目的なのかもしれません。彼らの口から語られる差別の状況は生々しく…その鬱屈と対をなすのが、あのコンサートでの熱狂だったのかと…。それを知らずして、本当にこういう音楽を聴けるのか?ということを、半世紀経った今になって突き付けられたかのような映画でした…。
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ソングス・フォー・ドレラ

2022-11-19 19:48:43 | 映画
ヒューマントラストシネマ渋谷で「ソングス・フォー・ドレラ」を見てきました。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの両雄、ルー・リードとジョン・ケイルが1989年に行ったアンディ・ウォーホル追悼ライブのドキュメンタリーです。彼らのメンターであり愛憎ともなう友人でもあったウォーホルの死から約3年後に行われたこのライブで、二人は1968年の決別以来、21年ぶりに共演を果たしたそうです。ちなみにドレラとはウォーホルのニックネームで、ドラキュラとシンデレラを合わせた造語なのだとか…(以下、ネタバレ気味です)。

音楽も映像も実にスタイリッシュな映画でした。ほぼ黒と赤の二色の画面、インタビューなどは一切なく、ライブを淡々と映し出すだけです。無観客で行われたライブですが、緊迫感溢れる二人の演奏は恐ろしく精度が高く…21年ぶりの邂逅とはとても思えません。全15曲でウォーホルの人生を歌い上げていますが、これらの曲を聴いて、ウォーホルが生身の人間だったということが初めて得心できたような気すらします。ウォーホルの作品は何度となく目にしてきたのですが、ウォーホルの存在自体はほとんど時代のアイコンとしか思えなくなっていました…。ウォーホルの人生を第三者目線、ウォーホル本人、ルー自身の目線から歌いますが、彼らの間の愛憎や葛藤、そして、ウォーホルの孤独が痛いほど伝わってきます。ウォーホルの人生やアート観を歌う一方で、ウォーホルが銃撃に遭った時にお見舞いに来てくれなかった、ルーの結婚式に呼んでくれなかった、といった切ない歌詞も。憎みつつも誇らしい、という独特の関係性、愛情と悔恨…。最後の曲“Hello It's Me”はルーがウォーホルに当てた手紙のような歌詞ですが、この曲を聴いて鳥肌が立ちました…。

生きている間にもっと話をすればよかった…そう歌ったルーももはやこの世にはいません…その後、天国でウォーホルと話の続きをしたのでしょうか…。
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Life=Zen=Art

2022-11-04 00:51:22 | 美術
ワタリウム美術館で「鈴木大拙展 Life=Zen=Art」を見てきました(展覧会は既に終了しています。)

禅の教えを世界に広めた導師、鈴木大拙に関する展覧会です。不肖わたくし、禅には少々興味があり、氏の「禅とは何か」も以前、読んだのですが、あまり理解はできておらず…いつか時間ができたら再読しよう、と思っている間にいつしか長い年月が…。

この展覧会は、鈴木大拙からはじまる表現の系譜を未来へと切り拓いていく試みということで、登場する人々も恐ろしいくらい多岐にわたります。仙厓、岡倉天心、西田幾多郎、柳宗悦、南方熊楠、サリンジャー、ジョン・ケージ、ヨーゼフ・ボイス、ナムジュン・パイク、坂本龍一…。展示は4階から始まりますが、ここは座敷になっていました。大拙の書が展示されていましたが、なかなか素朴な趣です。3階は「大拙を取り巻く人とアーカイヴ」。大拙と関わりのあった人々を紹介しています。とりわけ深い交流があった西田幾多郎とのやり取りが興味深かったです。2階では禅の影響を受けたアーティストの作品を展示していました。ヨーゼフ・ボイスの「阿保の箱」もどーんと置かれています。そして、教授によるパイク追悼ライブの映像が流れ、その時使われた壊れたヴァイオリンも。パイクの「ニュー・キャンドル」も展示されていましたが、揺らめく光が美しい。かと思うと、ジョン・ケージが描いた「十牛図」や立体作品「マルセルについて何も言いたくない」も。そんななか、山内祥太「舞姫」が異色。なんだか怖いものを見てしまった…。

ところで不肖わたくし、まだ十代の頃、教授やジョン・ケージ、サリンジャー、エーリッヒ・フロムにはけっこうハマっておりました。ジョン・ケージは卒論ネタにしてしまったくらいです。当時、禅のことはほとんど知らなかったのですが、結局、皆、大拙つながりだったのですね…もともと自分の中にそういったものを志向する傾向があったのかもしれませんが、今にして思えば、鈴木大拙の巨大な手のひらの上で遊ばされていたのやも…。「禅は無道徳であっても、無芸術ではありえない」という大拙の言葉が不思議なくらい響いてきます。そして、「生命の泉からじかに水を飲む」こと…。

さて、例によってアートといえば甘いもの、ということで、この日は美術館の近くの「チャバティ」に寄ってきました。初夏のような陽気の日だったので、季節限定の巨峰ティーソフトクリームをテイクアウト。巨峰の酸味と甘味、紅茶の苦味が混じり合った不思議なお味で美味しゅうございました…。
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