aquamarine lab

アートネタなど日々のあれこれ

そしてもしピアノが女体だったら

2016-08-28 00:28:41 | 音楽
そんなわけで、今年もサントリーサマーフェスティバルに参戦してきました。

今年選んだプログラムは「単独者たちの王国 めぐりあう響き」。演奏は佐藤紀雄氏率いるアンサンブル・ノマドです。

1曲目はヴィヴィエの「ジパング」。スタイリッシュでかっこいい曲でした。東洋の島国を初めて見た時の感覚が伝わってくるようです。弦の響きが実に面白かったです。2曲目はトーキー「アジャスタブル・レンチ」。ポップというか、80年代フュージョンみたいな曲でしたね。3曲目は武満徹「群島S.」。夢幻的な響き。奏者の配置もあいまって、曲が立体的に聞こえました。

そして最後が、問題のフェラーリ「ソシエテⅡ そしてもしピアノが女体だったら」。何ですか、このサブタイトルは(笑)。ステージ狭しと駆け回る女性パーカッショニスト、そして、蛍光黄緑も眼に鮮やかな、スポーティー(?)な格好をされた中川賢一氏の怪演・・・いや、爆演。それにしても、こんなにピアノがひどい目にあう曲は聴いたことありません(笑)。この曲でもしピアノが女体だったら・・・えらいこっちゃだよ!!

この日はアンコールもありました。比較的、オーソドックスな編成で演奏されその曲は、とてもドリーミーでファンタジック・・・と思ったら、武満徹「波の盆」でした。おかげで、すっかり夢見心地に。

アンサンブル・ノマドの演奏は響きがクリアで、統一感がありました。何より、奏者の方々が楽しんでいて、そして聴衆にも楽しんでもらいたい、という思いが伝わってきて・・・聴いている方も、現代曲ってなんだかんだ言っても(?)やっぱり楽しい、だからこうして聴きにくるんだよね・・・ということを再認識したのでした。

おかげで、その後は気分よく家路につき・・・去年、ツィンマーマンを聴いた後は、動揺のあまり、一時間近くうろうろしてしまったのですが、今回は迷子にもならず、無事、家にたどり着いたのでした(笑)。
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幻の五大美術館と明治の実業家たち

2016-08-27 00:24:52 | 
中野明「幻の五大美術館と明治の実業家たち」を読みました。

移動中に読む本を忘れてしまった・・・ということで、駅構内にある本屋でふと手に取った本でしたが、これが面白かったのです。

明治時代、実業家として名を成す一方で、美術品の蒐集にも熱心だった実業家たち。彼らが設立し、今もなお残る美術館として、大倉集古館、藤田美術館、根津美術館などが有名ですが、一方でそれらに匹敵するようなコレクションを持ち、美術館設立を夢見ながらも実現せず、あるいは一度は実現しながらも、いつしか消えていった美術館も・・・。そんな幻の美術館のことを書いたノンフィクションです。

登場人物は益田孝(三井物産設立者)、原三渓(富岡製糸所社長)、川崎重蔵(川崎造船設立者)、松方幸次郎(川崎造船社長、松方正義の息子)、林忠正(美術商)の五人。出てくる美術品もまた豪華。十一面観音像、源氏物語絵巻、孔雀明王図、寒山拾得図、アルルの寝室などなど・・・。しかも、いくつかの美術品は、この登場人物たちの間をめぐったりもします。

それにしても、明治時代の大物というのは、やることなすこと、スケールがでかいですよね。稼ぐにしても使うにしても、ケタが違うというか。美術品の蒐集にしても、好きに加えて、日本の美術品の流出を防ぎたいとか、あるいは日本人の画家に本物の洋画を見せてやりたいとか、国家的な観点があるようです。唯一、林忠正は、浮世絵を海外に売る側だったわけですが、それも、国内で不当に安く買い叩かれるよりは、価値を分かってくれる海外の人に買ってもらいたいということらしいです。

登場人物はやはり皆、超個性的。切れ者だったけど、美術品を買う時は必ず値切っていたという益田孝。公共活動に加え、小林古径、前田青邨など若手画家の育成にも熱心だった原三渓。一時は美術館を開設した川崎重蔵。友人に、お前、会社潰すぞ、と言われてその通りになってしまった松方幸次郎、マネとマブダチだった林忠正。彼らがいかにして美術品の蒐集に魅入られていったか、そして鑑賞眼を身につけていったか、の過程も面白かったです。

そんな彼らが夢見た美術館はなぜ実現しなかったか?あるいは間もなく消えてしまったか?失言恐慌、阪神大水害、いろいろ要因はありますが、やはり一番大きいのは本人の死、でしょうか。相当、商売繁盛して、かつ美術に熱心な後継がいないと、やはり美術品を維持するのは難しいのでしょうね。大倉集古館については、大倉喜八郎の生前に財団にしていたことが、存続の要因だったのでは、ということも書かれていました。この本に書かれていた幻の美術館が実現していたら・・・と、美術館好きとしては、思わずにはいられないのですが。

というわけで、明治の実業家たちのスケールの大きさ、はたまた、美術品の魅力、魔力を堪能した一冊でした。そういえば、あとがきには「美術品が生き続けるには富というエナジーを必要とする」という一行が。アートでもあり、モノでもある美術品の宿命でしょうか・・・。
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ソング・オブ・ラホール

2016-08-26 22:13:56 | 映画
ユーロスペースで「ソング・オブ・ラホール」を見てきました。

パキスタンの都市、ラホールの伝統音楽家たちの挑戦を追ったドキュメンタリーです。ラホールではイスラム原理主義の影響で、音楽が衰退。転職を余儀なくされた伝統音楽家たちが、再起をかけてジャズに挑戦・・・。(以下、ネタバレします。)

イギリスで成功した実業家、イザット・マジートが「サッチャル・スタジオ」を創設、伝統音楽家を集めて「サッチャル・ジャズ・アンサンブル」を結成しました。彼らがジャズの名曲“Take five”を伝統楽器でカバーしたところ、そのプロモーション映像が100万を超えるアクセスを記録。さらにはジャズ・トランペット奏者のウィントン・マルサリスの目(耳?)に留まり・・・。

この“Take five”がもう、一度聴いたら忘れられない感じです。こんなエキゾチックな“Take five”は聴いたことがありません。作曲者デイヴ・ブルーベックも「最も面白く他に類を見ない“Take five”の録音!」と言っていたそうな。タブラが高速でリズムを刻む中、シタールがあの有名なメロディーを奏で・・・ほんとに、壷の中から蛇でも出てきそうな感じです・・・。

それにしても、なんでジャズなのか、そして、“Take five”なのか、という疑問が湧いてきそうですが、なんでもイザット・マジートが、少年時代にアメリカ国務省の文化外交プログラムでやってきたデイヴ・ブルーベックの演奏に感銘を受けていたらしい。うーん、文化大使、大事です・・・。

ウィントンは彼らをNYに招き、ウィントン率いるリンカーン・センター・オーケストラと共演することになります。そして、このリハーサルのシーンが・・・まあ、とにかくかみ合わないんですよね。でも、公演の日時は迫ってくるしで、アンサンブルの指揮者にもウィントンにも焦りの色が・・・。そんな中、“Take five”でメロディーを弾くはずだったシタール奏者が帰ってしまうという事態が勃発。果たして、公演はどうなってしまうのか・・・。

その結末はここには書きませんが・・・彼らの熱演とそれを見守るウィントンのおかーさんのような眼差しが忘れられません。ウィントンってジャズ界のエリート中のエリートみたいな存在だし、ツンとした感じの人なのかと思ってましたが、違うのかも。もう、何だか見てる方もうるうるきてしまいました。イスラム原理主義のもとでは音楽は悪と見なされ、ステイタスどころではない。それでも音楽を続けてきた、というのはいかばかりのものだったか・・・。「人は信じる者に神を見る」

ところで、サッチャル・ジャズ・アンサンブルが9月に日本にやってくるそうです。行きたいな・・・。
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シング・ストリート

2016-08-25 22:56:15 | 映画
渋谷のシネクイントで「シング・ストリート 未来へのうた」を見てきました。(この映画館での上映は既に終了しています・・・というか、映画館自体が閉館になってしまいました。)

舞台は1985年、大不況下のダブリン。14歳のコナーは父親の失業のせいで、公立の荒れた学校(その名もシング・ストリート)に転校させられ、家庭は崩壊寸前。そんなどん底の日々の中、ひとめぼれしたモデル志望の美少女を誘うために「僕のバンドのPVに出ない?」と口走ったことから、バンドを始めることに・・・。

というわけで、まあ、キュンキュンしちゃうような音楽&青春映画なのですが、音楽がとってもいい感じで、監督の音楽好きがひしひしと伝わってくるようでした。80年代の音楽が全編的にフューチャーされてますが、オリジナルも捨て曲なしの勢い。バンドはじめたばっかりの子が、こんな曲作れるんかい、と突っ込みたくもなりますが、そこは映画ということで(笑)。バンドのメンバーも、曲も作れるマルチプレーヤーやら、驚異的なリズム感を持つ黒人少年とか、とんとん拍子に集まっちゃうし、あっという間にうまくなっちゃうし。そういえば映画のチラシには「彼らの演奏は当時のU2より巧い(笑)」というボノのコメントが・・・(爆)。

登場人物は、みな一癖ある感じなのですが、主人公のお兄さんがとりわけ魅力的でした。音楽マニアという設定なのですが、まだうまく演奏できないからオリジナル曲は無理、という弟に「お前はスティーリー・ダンか」と突っ込んでみたり、弟の恋敵がジェネシスのファンと知ると、「フィル・コリンズを好きなヤツは女にモテない」とか毒吐いてみたり。いい味出してましたね・・・。

お話自体は、ほんとに映画だな〜という感じで、とんとん進んでいくのですが、ただただ幸せ、というわけでもない。“happy sad”という言葉も出てきます。悲しみと背中合わせの喜び。これがキュンキュンの正体なのでしょうか。PVのプロモのシーンなんて、映画だな〜、と思いつつも、うるうるきてしまいました・・・。

そんなわけで、約2時間、夢中になって見ておりました。最後のライブのシーンも最高。不肖私めも若い頃(?)は、バンド三昧だったので、バンドを始める時のワクワク感やら、初ライブの時のドキドキ感やらを思い出して、なつかしかったです。たしかにあの頃はよかったな(笑)。おかげで、「Amy」を見た後の、暗澹たる気持ちがだいぶ晴れました。音楽の力ですね・・・。
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AMY エイミー

2016-08-24 00:10:20 | 映画
ヒューマントラストシネマ渋谷で「AMY エイミー」を見てきました。(この映画館での上映は既に終了しています。)

2011年、27歳で亡くなったシンガー、エイミー・ワインハウスのドキュメンタリー。彼女の生涯にかなり詳細に踏み込んでいます。私が彼女のことを知ったのは、海外に向かう飛行機の中でした。機内放送で聴いた「Rehab」に驚き・・・苦節ウン十年みたいな黒人シンガーが歌っているのかと思っていたら、はたちかそこらの白人の女の子が歌っていたというので仰天し・・・その後、しばらく名前を聞かないな、と思っていたらが、ある日、ヤフーのトップで彼女の訃報を目にすることになったのでした。

この映画、本当に見ていて辛くなるような映画でした。音楽絡みの映画でここまで暗い気持ちになってしまったのは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」以来です。が、あの映画はフィクションでしたが、こちらはノンフィクションだということが決定的に違います。というか、本当にフィクションであってほしい、と願わずにはいられなくなるような作品でした。これが主演女優:エイミー・ワインハウスの映画であってくれたらどんなによかったか・・・。

彼女の私生活はあまりにシビアなものだったので・・・ここでは、彼女が本来は、聡明でウィットに富んだ、とてもチャーミングな女の子だったということ、彼女が素晴らしいシンガーだったということだけを書き留めておこうかと。冒頭のMoon riverには鳥肌が立ちました。そして、歌詞は実際に自分に起こったことだけを書いていたこと。「Rehab」が実話だというのは聞いた覚えがありましたが、他の曲も実話だったんですね。こういう人は鶴の恩返しみたいに、自分の身を削って曲を書いていくしかないのでしょうか。そして、私生活が不幸であるほど、曲が凄みを増していくという・・・。そして、彼女の音楽に対する思いの深さ。「音楽のためなら死んでもいい」という言葉は初めて聞きました。

「Rehab」の世界的大ヒットとグラミー受賞、そして転落。酒とドラッグで危機的な状態になっていたエイミーの最後のレコーディングは、憧れのトニー・ベネットとの共演でした。彼女は相当なジャズマニアだったんですね。緊張しまくりながらも幸せそうなエイミー。この幸せが続いてくれていたら・・・。トニー・ベネットは彼女のことを、天性のジャズ・シンガーと言っていました。そして、ジャズ・シンガーは5万人の観客の前で歌うよりも、小さなクラブで歌うことを好むと。彼女が亡くなった時のトニー・ベネットのコメントには、涙してしまいました。「生き方は人生から学べたのに」

エイミー自身が、自分の人生をどう思っていたのかはわかりません。が、見ている者にとっては、誰かが彼女を救ってやれなかったのか?というやり場のない気持ちが残ってしまいます。当初、この映画を見たら家に帰ろうかと思っていたのですが、どうもこの状態で帰る気にもなれず・・・別の映画をはしごすることになったのでした。
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灼熱のギタリスト

2016-08-23 19:26:40 | 映画
ル・シネマで「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」を見てきました。

監督はクーロ・サンチェス。パコ・デ・ルシアの実の息子さんです。というわけで、家族でなければ撮れなさそうな映像も含まれています。プライベートでのリラックスした姿も・・・。(以下、ネタバレします。)

父親が無一文になり、母親は食べ物がなくて泣いていたという極貧の幼少時代を送ったパコ。父親も兄もギターを弾いていたようです。パコはギターを持つ前、幼い頃からリズム感を身につけていて、父親のリズムの間違いを指摘していたとか。パコはことのほかリズムを重視していて、メトロノームで特訓していた頃もあったと話していました。パコ・デ・ルシアとメトロノームって、何だかイメージが結びつきませんが、そういう地味なお稽古もしていたんですね。

パコは兄と一緒に、とあるイケメンダンサーのバックバンドの一員として、キャリアをスタートします。ダンサーさんは最初は歌を歌っている兄の方が目当てだったようですが、パコが次第に頭角をあらわしていきます。彼が19歳で出したソロアルバムは、その名も「天才」。

そんなパコが、映画の中では「天才など信じない」と言っていたのが、印象的でした。実際、映画の中でのパコは、奔放な天才肌というよりはストイックな努力家のように見えます。そんなパコをして「異なる惑星から来た天才」と言わしめたのが歌い手のカマロン。たしかに彼が歌い始めるとパーッと世界が広がっていくような印象があります。そんな奇跡のような組み合わせの二人は次々にアルバムを発表。

その後、フラメンコ界で大活躍していたパコに転機が訪れます。それは、ジャズ・フュージョンとの出会いでした。伝統的なフラメンコギターの枠から外れることに本人も相当葛藤があったようだし、いろいろと批判も受けたようです。それでも、進まずにはいられなかったんでしょうね・・・。こうして唯一無二の存在として、世界的なギタリストとなっていきます。チック・コリアもパコ・デ・ルシアというひとつのジャンルだ、みたいなことを言ってましたね。一方で、即興演奏になじめなくて苦労している様子も描かれています。傍から見ていると流暢に弾いているようにしか見えませんが、それでも若干、表情が硬いかも、という感じもします。パコがあるギタリストに、アドリブのやり方を教えてくれ、と詰め寄ったというエピソードも。さすがに詰め寄られたギタリストの方もびっくりしてましたが・・・。「踏み外すぎりぎりを行く、それが自由」という言葉もありましたね。ジョン・マクラフリン、ラリー・コリエルらと結成した「スーパー・ギター・トリオ」、その後の「パコ・デ・ルシア・セクステット」の活動を経て、マジョルカ島での晩年の姿も描かれています。そこには何とPro toolsを操るパコの姿が・・・。

私め、むかしむかしパコ・デ・ルシアの演奏を生で見たことがあります。あまりに凄い人って、凄いという領域さえ超えて、仙人みたいに(?)見えてしまうのですが、彼もそういう人でした。が、それも、空恐ろしいまでのストイックな努力や、完璧主義に支えられていたのですね・・・。終始淡々とした語り口の奥にある天才の強靭さと孤独と葛藤、を見た映画でした。
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