aquamarine lab

アートネタなど日々のあれこれ

デザイン・ファンタジー

2022-03-13 18:42:48 | 美術
三菱一号館美術館で「上野リチ展」を見てきました。

こちらも開催を知ったときから楽しみにしていた展覧会です。チラシやらHPやらを一目見ただけで目が釘付けになってしまうのですが、何なんですかね、この女子のハートをわしづかみにするかわいらしさ…そういえば会場にいたのもほとんど女性の方でしたね…。

この展覧会は上野リチの世界初の回顧展ですが、展示作品数も多く、かなりボリューミーな展覧会でした。展示はウィーン工房の紹介から始まります。リチはウィーンの裕福な家庭に生まれ、工芸学校で建築家のヨーゼフ・ホフマンに師事していました。当時、ホフマンが率いるウィーン工房は新たな美の基準を打ち立てるべく活動していましたが、リチは卒業後にこの工房のデザイナーになりました。ウィーン工房の作品の数々は今見ても新鮮…古さをまったく感じさせません。リチはテキスタイルなどのデザインをしていましたが、伸びやか線で描かれたカラフルな作品の数々…既に独自の世界を持っていたと思われます。とりわけ植物をモチーフにした作品に眼を惹かれます。そして、ウィーン工房関係のパーティーでホフマンのもとで働いていた建築家・上野伊三郎と運命との出会い…二人は結婚し、京都に移り住みます。

京都でリチは伊三郎らが提唱する「インターナショナル建築」の活動に協力、インテリアデザインなども手掛けます。「花鳥図屏風」など、ウィーンと日本の要素が独特の形で融合した作品も。その後、伊三郎が招聘したブルーノ・タウトが所長を務める高崎の群馬県工芸所に伊三郎とともに赴きデザイン活動を続けます。ここでは木工作品のデザインも手掛け、軽やかで洗練された作品を生み出しています…が、シンプルで機能的なデザインをよしとするタウトとはそりが合わなかったらしく、夫婦はほどなく、工芸所を去り、再び京都へ。リチは京都市染織場の技術嘱託となり、着物のデザインなどもしていました。戦後は京都市立芸大で講師をしていましたが、けっこう怖い先生だったらしく、模倣した作品を提出した学生に「デザイナーやめなさい!」と激怒したという逸話も…。そして、晩年のリチに畢生の大仕事が…村野藤吾が建築を手がけた日生劇場のレストラン「アクトレス」の壁画のデザインです。あれほど怖い先生だったリチですが、実際に絵を描く作業は教え子たちに任せたようです。壁と天井が一体となり色鮮やかな草花や鳥で囲まれた空間は、生命の賛歌のようだったことでしょう…。

リチはデザインにはファンタジーが大切、と語っていたそうです。そして学生には自由に、とも言っていたのだとか。自由に想像の翼をはためかせるためには、やはりある種の強さが必要です…それが強靭な生命力となって画面から溢れ出し、見る者を幸せにするのかもしれません。

さて、例によって、鑑賞後は甘いもの…といきたいところでしたが、時間がなかったので、近くの「エシレ・メゾン デュ ブール」でケーキをテイクアウトしました。ここのケーキ、一度食べてみたかったんですよね…「ミゼラブル」はエシレバターたっぷりの濃厚なクリームとサクッとしたダックワーズのコンビネーションが素晴らしく…美味しゅうございました。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする