aquamarine lab

アートネタなど日々のあれこれ

つづく

2020-01-27 00:12:11 | 美術
東京都現代美術館で「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」を見てきました。

「日曜美術館」の皆川明さんの回を見て、これは楽しそうな展覧会だな、と思い、行ってきました。会場に入ると老若女女がたくさん・・・本当に世代問わず、多くの女性の方々に人気なんですね。

展示方法もとてもユニークなものでした。会場構成は建築家の田根剛さん。ミナ ペルホネンのものづくりを自然界に例えて各章の名称にしていますが、8つの章が相まって一つの大きな世界を創り上げているようでもあります。会場に入ってすぐは「実」の章。ミナ ペルホネンを代表する刺繍柄「タンバリン」の紹介です。単なる円の連続に見えたものに、これほどの手間暇がかかっていたのですね。次は「森」、洋服の森です。約25年分の服、400着以上を、年代をミックスして展示しています。こういう時は、もし一着プレゼントするよと言われたらどれが欲しいかな、と妄想しながら見るのが楽しい。空色の刺繍がほどこされた華奢な一枚が欲しくなりました(笑)。「風」は4都市に住む4人の愛用者の日常の映像。ミナのある暮らしの心地よさが伝わってきます。「芽」はテキスタイルのデザイン。見ているだけで楽しくなってきます。このデザインがあの服になったんだな、と分かるものも。「種」はものづくりのアイデアの紹介です。ここにはシェルハウスの展示も。何となくヤドカリを連想してしまいましたが、こんな家にお泊りしたら楽しいだろうな・・・。「根」は皆川氏が新聞連載のための描いた挿画の展示。デザイン画とはちょっと趣が異なり、シンプルかつシニカルな味わいです。「土」は洋服と記憶、個人所有の15点の服をエピソードと共に紹介しています。エピソードを一つひとつ読んでいると、なんだか泣けそうになってきます。これだけ愛された服は幸せだな・・・。「空」は皆川氏のインタビュー映像。穏やかな語り口で想いを語るのを聞いていると、こちらまで癒されます・・・。

ミナ ペルホネンの活動は皆川氏が「せめて100年つづくブランド」という想いで始めたのだそうです。「種」の章には皆川氏の言葉が書かれていたメモがいくつか展示されていたのですが、その中にはこんな言葉がありました。有限の生命を無限の生命に変えること。肉体としての生命には限りがあるけれど、残した想いが生命となって続いていくとしたら、それはとても幸せなことですよね・・・。
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ダムタイプ|アクション+リフレクション

2020-01-26 00:49:39 | 美術
東京都現代美術館で「ダムタイプ|アクション+リフレクション」を見てきました。

ダムタイプといえば、むかしむかし「S/N」は見ましたとも・・・あれから四半世紀も経ってしまったのですね。さすがに記憶も曖昧になってしまっているのですが、鮮烈なものを見た、という記憶は残っています。そういえば、昨年はダムタイプ結成35周年ということだったのですね・・・。

会場に入るとまずは「Playback」が。16台のターンテーブルの上でレコード盤が回転していて、不思議なサウンドも聴こえてきます。何だか宇宙空間を漂っているような心地に。「Lovers」は古橋悌二の遺作。人の身体、人が生きるということ・・・の儚さと強さが伝わってきます。「Memorandum OR Voyage」は、タイトルの3作品から象徴的なシーンをピックアップし、新たな映像と組み合わせたビデオインスタレーション作品ですが、実にクールかつスタイリッシュ。その対面にある「Trace-16」はVoyageの舞台装置に使用されたという鏡面パネルです。まさにリフレクション。「pH」と「LOVE/SEX/DEATH/MONEY/LIFE」は組み合わされて展示されていました。「pH」の中に入ってみましたが、ちょっと怖かったです(笑)。「LOVE/SEX/DEATH/MONEY/LIFE」。人が生きる上で切っても切り離せないものたちを、目の前に突きつられたようでした。

会場では過去の作品も上映されています。今見てもやはりクールです。時代を感じさせないというか。やはり生で見ておくんだった・・・と、しみじみ思ってしまった作品もありました。そういえば、ダムタイプの約20年ぶりの新作が京都で上演されるようですね。東京でも上演しないのかな・・・。
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視覚の魔術師

2020-01-25 18:51:42 | 映画
アップリンクで「エッシャー 視覚の魔術師」を見てきました。

いわずと知れたエッシャーのドキュメンタリーです。主にエッシャーが日記や書簡に残した言葉の朗読+イメージ映像という構成ですが、家族や著名人へのインタビューもあります。作品をCGでアニメーションにしたシーンも。それにしても、エッシャーというと、これまで職人的、あるいは学者的に作品を作り続けた人というイメージだったのですが、思いのほか、劇的な人生を歩んでいたのですね・・・(以下、ネタバレ気味です)。

病弱だった少年時代。美術の時間だけが幸せだったとか。芸術学校ではメスキータと出会ったことから、版画の道へ進むことになりました。まさに運命の出会い・・・。後に病気療養のためイタリアへと向かいますが、その風景からも大きな影響を受けることになります。旅行先のスペインではアルハンブラの宮殿のタイルに魅了され、これが正則平面分割の作品へとつながります。ファシズムの台頭とともにイタリアを去り、オランダへ戻りますが、師のメスキータがナチスに拘束された時にはその作品を命がけで守りました。文字通り、ナチスの靴跡が残ったメスキータの作品も映っていましたが、これを見たとき、去年、メスキータの展覧会を見逃したことをいたく後悔しました・・・。その後、エッシャーは長く不遇の時代が続きましたが、戦後になって、ある雑誌で作品が紹介されたのを契機に、若者を中心に急速に支持を得ることになりました。

エッシャーの作品は当時のヒッピーカルチャーにも影響を与えていました。あの繰り返し模様がサイケデリックな感覚とリンクするのでしょうか。ロックミュージシャンにもエッシャー好きが。CSNYのグラハム・ナッシュも大きな影響を受けたそうです。ミック・ジャガーからもアルバム・ジャケットの依頼を受けましたが、あっさり断っています。曰く、自分のことをマウリッツと呼ぶのは失礼だと。世界広しといえど、ミック・ジャガーに向かってお前、失礼と言えたのはエッシャーくらいかもしれません・・・。

グラハム・ナッシュは、エッシャーは自分のことを数学者と言っていたと語っていました。エッシャー自身も「芸術家は美を求めるが、自分は驚異を求める」と。正確に言えば、科学者と芸術家の間をただよい続けた人生ということになるのかもしれませんが、その漂い方が唯一無二なのでしょう。意外だったのが、エッシャーが多くの人には自分のような情熱が欠けている、というようなことを言っていたことです。あの状況の中でメスキータの作品を守ったことといい、実は情熱の人だったのかもしれませんね。そう思うと、これまでひたすら幾何学的(?)に見えていたエッシャーの作品が、また違ったものに見えてきそうです・・・。
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ドルフィン・マン

2020-01-13 22:23:48 | 映画
アップリンクで「ドルフィン・マン ジャック・マイヨール、蒼く深い海へ」を見てきました。

リュック・ベッソンの「グラン・ブルー」の主人公のモデル、ジャック・マイヨールのドキュメンタリーです。「グラン・ブルー」はむかしむかし見ましたよ・・・(以下、ネタばれ気味です)。

ドルフィン・マン、ジャック・マイヨールはマイアミ水族館でイルカの調教師をしていた時に運命の女・・・というかイルカに出会ったことから、水中での泳ぎ方を体得することになりました。このイルカとの絡みを見ていても本当に前世はイルカだったのでは?とすら思えてきます。それぐらい海の中にいるのが自然な人でした。そして、海が生命の源ということを本能的に理解していました。彼にとっては、むしろ地上の方が息苦しかったのかもしれません。地上での人生は孤独だったようです。後年になって「家族を大切に」というようなことを友人に語っているのを見て、胸を衝かれる思いがしました。それでも、唯一無二のパートナーを得て人としての幸せをつかんだかと思いきや、思いもよらない不幸が・・・。

それにしても、思いのほか日本とのかかわりが深い方だったのですね。素潜りを極めることになったきっかけが佐賀の海女だったとは。日本の禅寺で修行をしたり、日本に親しい友人もいたようです。自然と同化するような日本的な感性と親和性があるのかもしれません。そういえば、彼のダイビングはもはや「道」といえそうです。潜水道・・・。

ジャック・マイヨールは「人間には二つの役目がある。ひとつは愛を学ぶこと。もう一つは自然がちゃんとバランスをとって生きられるように見ること」という言葉を残しました。この言葉は今を生きる人間にとっての至言だと思います。しかしながら、彼は最後、自ら命を絶ちました。イルカは死期を悟ると自ら群れを離れるそうですが・・・。その魂は「そこには青しかない」という海の世界へと還っていったのでしょうか・・・。
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この世界の(さらにいくつもの)片隅に

2020-01-12 22:23:28 | 映画
ユーロスペースで「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を見ました。

前作の公開からはや3年・・・今作は前作に430分ほどの新たなエピソードを付け加えた長尺版ですが、前作からそれなりの時間が経っていることもあり、新たな目で見ることができました。

そう、基本的なストーリー展開は同じはず・・・なのですが、なぜか別の映画を見ているような気にもなるから不思議です。主題が違うとまではいかないのでしょうが、力点が違うのでしょうか。前作に比べると女性たちの生きざまに比重が置かれているように思います。前作では表には出てこなかったすずの想い、小姑の径子の過去、遊女のリンとすずの夫周作との関係、などが描かれています。生まれも育ちも境遇も違う女性たちが戦時下という究極の状況の中でどのように生きたのか?前作では見えてこなかった陰影が立ち上ってくるようです。前作にしても今作にしても、「戦争映画」として見るならばおそらく賛否がある(賛の方が圧倒的多数でしょうが)とは思います。見ようによっては、あの時代が一種のファンタジーのように見えるというか。でも、戦時下での生活史、女性性を丁寧に描いた作品としては、これらを超える作品は当分出てこないのでしょう・・・。

さて、例によって鑑賞後には甘いもの・・・ということで、Bunkamuraにできた「ラデュレ松濤」に寄ってきました。ラデュレですからお値段はそれなりにするのですが、たまには贅沢しちゃえ~ということで(笑)。ピスタチオのケーキとロイヤルミルクティーを頼みました。ケーキは季節もののようですが、さすがのラデュレという感じで、美味しゅうございました。
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人間の森をぬけて

2020-01-11 18:14:50 | 映画
シネクイントで「森山直太朗 人間の森をぬけて」を見ました(この映画館での上映は既に終了しています)。

森山直太朗コンサートツアー2018~2019『人間の森』から現在までを追ったドキュメンタリーです(以下、ネタバレ気味です)。音楽ドキュメンタリーって、意外に歌唱シーンが少なかったりしますが、この映画ではちゃんと森山さんの歌声も聴けます。もう、本当に素晴らしい声ですよね・・・。ツアーの舞台裏の映像もありますが、一本のツアーを作り上げるというのはやはり大変なことなのですね。森山さんの楽曲の共作者であり、ライヴ演出も担当している御徒町凧さんとのシビアなやりとりもありました。見ている方がドキドキしてしまうようなキツいダメ出しをするシーンもあるのですが、それが成り立つのも高校時代からの友達という関係性や仕事に対する真摯さがあってのことなのでしょう・・・。御徒町さんが歌は捧げもの、自分の内にあるものを外に出そうとする人の歌よりも心に響くというようなことを言っていたのが、印象的でした。

森山さんというと才能にも環境にも恵まれたよき二世、というイメージを持っていたのですが、いろいろと葛藤するところもあるようです。想像もつきませんが、やはり母親が森山良子さんというのは大変なことなのでしょう。家ではうっかり鼻歌も歌えなかったというようなことも言っていました。それにしても意外に溜め込むタイプの方だったのですね。森山さんの心の内をうかがうような一問一答のシーンもありました。鍵のかかった引き出しにしまわれているものはいったい何なのでしょうか。でも、本当に歌うことが好きな方なのですね・・・。

ツアータイトルにもなっている「人間の森」とは何なのか、結局、分からずじまいでしたが・・・「音楽」「人間」「詩」の背後にある豊かな森が、森山さんの歌を通して見えてくるようでもあります。人間が生まれ、いつかは還っていく、豊かな森が・・・。

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