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アートネタなど日々のあれこれ

共棲の間合い

2024-05-06 00:15:33 | 美術
東京都渋谷公園通りギャラリーで開催されていた『共棲の間合い―「確かさ」と共に生きるには―』も見てきました。

この展覧会は住む、暮らす、生活する、共に行うことを起点に表現する作家たちの作品を紹介するものです。村上慧氏の作品は落葉が敷き詰められた生活空間。落葉の発酵熱を利用した足湯も。入ってみようかと思ったのですが、行ったのが朝一で、「今日はまだあまり温まっていなくて…」とのことだったので、断念。折本立身氏の「アート・ママ」は認知症の母を介護する日々を撮った写真などですが、溢れる母愛に心を打たれます…。時計人間や皿時計などのユニークなオブジェも。酒井美穂子氏は28年以上、「サッポロ一番しょうゆ味」を片時も離さない生活を送っているそうです。壁一面に展示されたサッポロ一番に圧倒され…そして、サッポロ一番が無性に食べたくなりました…。スウィングは障害のある人ない人が働く福祉施設ですが、清掃活動「ゴミコロリ」や創作活動「おれたちひょうげん族」といった独自の表現活動を行っています。メンバーたちの個性的な作品の数々も。「生きてるだけで丸もうけ。って思えるのはけっこう調子いいとき」という標語がでかでかと張ってあって、思わず見入ってしまいました。

生活と芸術…そもそもそんな境目はあったのか、なかったのか…感じることにもっと自由であってもいいのかも…そんな風に心にふっと風穴を開けてくれるような展覧会でした。

坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア

2024-05-01 23:28:53 | 美術
NTTインターコミュニケーション・センターで「坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア」を見てきました(展示は既に終了しています)。

開館以前から教授と関わりの深かったICCでのトリビュート展です。この展覧会はライゾマティクスの真鍋大度氏を共同キュレーターとして迎え、未来に向けた坂本龍一像を提示するとしていました。展示は坂本龍一+真鍋大度「センシング・ストリームズ2023-不可視,不可聴」から始まります。これは通常は知覚できない電磁波を映像したという作品。ストレンジループ・スタジオの「レゾナント・エコーズ」は教授の“Before long”をヴィジュアライズしています。この曲、好きだったんだよなぁ…。真鍋大度+ライゾマティクス+カイル・マクドナルド「Generative MV」は,観客の入力したテキストに応じて背景が変化するミュージック・ヴィデオで、AIが背景のエフェクトを生成している…ようなのですが、“Perspective”を奏でる教授の映像を見ていると何だか泣けそうになってきました…なんて美しいピアノなんだろうと。毛利悠子「そよぎまたはエコー」は「札幌国際芸術祭 2017」で発表された作品を再構成したものです。グランドピアノが教授がこの作品のために提供した曲を自動演奏しています。まるで教授がそこにいるみたいに…。教授とアルヴァ・ノトのライブの映像も。ダムタイプと教授による「Playback2022」はアナログ・レコードを使ったサウンド・インスタレーション作品で、教授のディレクションによる世界各地のフィールド・レコーディング音源で構成されています。各地の音に関するコメントが面白くて、ついつい見入ってしまいました。高谷史郎「Piano20110311」は東日本大震災の津波で被災した宮城県名取市の高校のピアノを撮影した作品。修復不能となったこのピアノを教授は「自然によって調律されたピアノ」ととらえていました。李禹煥「遥かなるサウンド」は教授の「12」のジャケットに描かれていた作品。「祈り」は教授の快癒を祈って描かれたものですが、見ているとこちらまでエネルギーをもらえそうです。そして、各界の人々による教授へのメッセージが…ローリー・アンダーソンのコメントが素敵だったなぁ…。

そんなわけで、教授をしみじみと偲んでまいりました。会場には思いのほか若い方たちがたくさん来ていたのも嬉しかったです。教授が遺したものが伝わっていくといいなぁ…。教授が亡くなってはや一年経ちますが、教授が遺したものの気配がそこかしこに漂っているようです…音の消え際がひときわ美しかった教授のピアノのように…。

悠久の青

2024-04-28 23:55:40 | 美術
郷さくら美術館で「村居正之の世界-歴史を刻む悠久の青-」を見てきました(展示は既に終了しています)。

この展覧会では村居氏が1992年から現在まで約30年もの間、制作してきた「ギリシャ・シリーズ」を紹介していました。村居氏は岩絵具の中でもとりわけ群青色に魅了され、その色づかいは「青い墨絵」と評されているそうです。何でもご自身の手で原石から絵具を精製されているのだとか…。今までに見たことのあるようなないような不思議な青。その青で描かれた世界は月光に照らされた異界のようです。「月照」は夜のパルテノン神殿の神秘的な佇まい。「耀く夜」はなんと2mmの面相筆で描かれたという大作。想像しただけで気の遠くなりそうですが、画家自身にとっても二度とやりたくないような過酷な作業だったとか。「リンドス黎明」の仄暗い青、「映」のゆらぐ青、「洸」の光る青…。「サントリーニ」「白い教会」「光」などは青と白の対比が眩しい。「アクロポリスの月」は朝焼けのような赤い空に満月。個人的にはこの作品が一番好きだったかも…。幻想的な「雨」。「メテオラタ夕映」はオレンジ色の空が鮮やか。崇高で人の気配を感じさせない感じの作品が多いのですが、「メテオラ」「灯」は人の温もりを想起させます。「リンドスの宙」は宇宙とのつながりを感じさせるようでもあり…。数千年前から今に至るまで、太陽と月は変わることなく、この風景を照らし出してきたのですね…。

この日はひさびさに子どもたちも連れてきました。もの珍しげに見入る娘、ひたすら撮影する息子。いつか子どもたちと一緒にギリシャに行ってみたいものだなぁ…と、ふと思いました。きっとあの輝くような青と白の風景が迎えてくれるのでしょう…。

14座へ

2024-04-27 23:40:42 | 美術
日比谷図書文化館で「石川直樹:ASCENT OF 14 ―14座へ」を見てきました(展示は既に終了しています)。

このところ公私ともにかなり忙しく、実際に見に行ってからけっこうな日数が経ってしまいましたが、自分の心覚えのために書いておこうと思います。この展覧会は写真家の石川直樹さんが22年にわたって関わった14の山々の写真と、関連する書籍や記事などを併せて紹介するものでした。日比谷図書文化館ならではの展示ですよね…。ちなみに14座とはヒマラヤ山脈からカラコルム山脈にわたる14の8000m峰のことだそうです。

まずは石川さんの写真の数々に眼を奪われます。雪の白、空の青。それにしても、高山の空って、なんであんなに美しいのでしょうね…まさに天上の青です。自分などは一生、足を踏み入れることがないと思われる領域ですが、そういった地にも人々の生活はあるのです。色鮮やかな食事の写真も…。そして、14座に初登頂した人々の本も紹介されていました…驚いたことにこれらの本のすべてが日本語版になっているのですよね。文字通り頂点を極めた人々のリアクションはさまざま…感極まる人、淡々としている人。なかには頂上に着いたとたんにはよ帰りたい…みたいになっている人もいたみたいです。極地では日常動作さえままならない様子も記されていました。石川さんは彼らのようなパイオニアに比べると自身の登山は遠足にすぎない、と痛感したのだそうです。関連記事も紹介されていましたが、そのなかでも日本人女性の登山者の記事が面白かったです。シェルパに偽の頂上に連れて行かれそうになったのを見抜いて、真の頂上に辿り着いたのだとか…頼もしいかぎりです。石川さんは14座の最後の一つを目指していたところで、雪崩に遭遇し、断念されました。それで、14座へというタイトルになっているのだそうです。

不肖わたくし、登山どころか山登りの経験すらほとんどないインドア派ですが、極地を撮る写真家への憧れはあります…死と隣り合わせの世界の凄絶な美しさ。もし、生まれ変わりというものがあるのなら、世界の美しさを人々に伝える写真家にも一度はなってみたいものだなぁ、と思ったりもするのです…。

もじ イメージ Graphic

2024-01-08 00:29:38 | 美術
21_21DESIGN SIGHTで「もじ イメージ Graphic 展」を見てきました。

この展覧会は1990年代以降のグラフィックデザインを、日本語の文字とデザインの歴史を基に紐解いていくという展覧会です。国内外54組のグラフィックデザイナーやアーティストのプロジェクトが紹介され、ボリューミーかつ刺激的な展覧会となっていました。

ギャラリー1の展示は「日本語の文字とデザインをめぐる断章」。日本語の書記体系のデザインの歴史的展開、そして戦後のグラフィックデザインの作品の紹介をしています。まず、各国の文字の紹介があったのですが、日本語の特殊性-漢字、ひらがな、カタカナを併用―の特殊性がわかります。作品は主に戦後から80年代のポスターなどが展示されていましたが、杉浦康平、亀倉雄策、田中一光、横尾忠則…といった、錚々たる人々のパワフルな作品が続きます。

ギャラリー2の展示は「辺境のグラフィックデザイン」。グローバル時代のなかで日本のグラフィック文化が生み出してきたものと今後の可能性を、海外の動向を混じえ、13のセクションに分けて解説しています。テーマは「テクノロジーとポエジー」「造形と感性」「メディアとマテリアル」「言葉とイラストレーション」「キャラクターと文字」などなど…。本、雑誌、漫画、ポスター、看板、諸々のプロダクト…膨大な量の作品が展示されていましたが、いつか見た記憶のあるものもたくさん…あの作品はこの方が、という発見も多々ありました。見ていると当時の時代の空気までがよみがえってくるようです。そして、同じ文字がデザインによってここまでイメージが変わってくる、ということを目の当たりにして、文字による表現がここまで多様だったということに今さらながら衝撃を受けました。文字はコミュニケショーンツールですが、文字自体が作品ともなりメッセージともなるのですね…。「デザイナーと言葉」のセクションではデザイナーの言葉が紹介されていましたが、原研哉さんの「デザインのデザイン」というテキストのなかの「見慣れたものを未知なるものとして再発見できる感性も同じく創造性」「生活の中から新しい問いを発見していう営みがデザイン」という言葉が印象的でした。

そんなわけで、膨大な物量にクラクラしながらも楽しんでまいりました。展覧会のディレクターズメッセージエモver.にもあったように、「世界に類を見ない複雑怪奇な」日本語の書字スタイル。これからどのような変容を見せていくのか、日本人の一人として楽しみではあります…。

真空のゆらぎ

2023-12-29 23:59:21 | 美術
国立新美術館で「大巻伸嗣 真空のゆらぎ」を見てきました(展覧会は既に終了しています)。

不肖わたくし、大巻氏のことはよく知らなかったのですが、国立新美術館に置いてあったチラシに一目ぼれして行ってまいりました。この展覧会、驚いたことになんと無料…より多くの人に見てほしいという意向のようですが、これを無料で見せてもらっていいのか…というクオリティでした。大巻氏と国立新美術館の太っ腹に感謝です。国立新美術館のホワイトキューブの広大な空間をフルにいかしたダイナミックな展示でした。会場に入ると、巨大な光の壺が…メインビジュアルにもなっていた“Gravity and Grace”です。原発事故を受けて発表したシリーズの最新版です。壺には動植物の不思議な模様が一面に描かれ、周囲に影を投げかけます。光に吸い寄せられるように集う人々…。そして、“Liminal Air Space ̶ Time 真空のゆらぎ”が圧巻でした。闇の中で揺らめく薄い布が、夜の海でうねる波を想起させます。夜の海をじっと見ていると、自身が海に溶け込んでいくような不思議な感覚を覚えることがありますが、この作品を見ているとその感覚がよみがえりました。“Linear Fluctuation”はコロナ禍の自粛期間中に窓からの眺めを描いた水彩画のシリーズです。鬱々とした外界の状況下で描かれた作品のはずですが、不思議なほどの瑞々しさ。“Rustle of Existence”は森の映像に哲学的な言葉が重なります。台湾の原住民の言語が消えつつあることを知り、人間の存在を言語から考えるという発想を得たのが契機となった作品だそうです…この映像には教授の音楽が合いそうだな…、とふと思ってしまいました。シンプルに、本当にシンプルに光と闇の対比から、生きること、存在することを感じさせる展覧会でした。

この日は「イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル」も見てきました(展覧会は既に終了しています)。ファッション系の展覧会というとディオール展が思い出されますが、後継のイヴ・サンローランの展覧会もまた華麗なものでした。ディオールはエレガントでファンタスティック、イヴ・サンローランはタフでクールという感じもします。展覧会は12章で構成されていて、イヴ・サンローランの多面性を余すところなく披露していました。「想像上の旅」と「服飾の歴史」の章からは、彼がファッションを通じて空間と時間を超えた旅をしていたことが分かります。アーティストへのオマージュの作品も面白かったです。モンドリアンの作品を基にしたワンピースがメインビジュアルになっていましたが、ゴッホやピカソ、マティスやブラックへのオマージュの作品も。会場では彼の言葉も紹介されていました。名言の数々ですが、やはりこの言葉が最高でした。「ファッションは廃れる。だが、スタイルは永遠だ」

北宋書画精華

2023-12-18 23:11:22 | 美術
根津美術館で「北宋書画精華」を見てきました(展覧会は既に終了しています)。

不肖わたくし、北宋書画のことはほとんど知らないのですが、―きっと伝説になる―というキャッチコピーがついたこの展覧会、あの奥ゆかしい根津美術館がここまで言うからにはきっと凄いに違いない…ということで、行ってまいりました。言われてみれば、これまで北宋時代の作品をまとめて見る機会はなかったような…というか、そもそも現存する作品が少ないのだそうです。この展覧会は北宋の書画芸術の真髄に迫る日本で初めての展覧会ということで、日本にある北宋の書画の優品のほか、メトロポリタン美術館からもお宝が出品されていました。

展覧会は「山水・花鳥」から始まります。「江山楼観図巻」の圧倒的な緻密さに眼を奪われます。夢幻的な趣もある「寒林重汀図」、蕭条した風情のある「喬松平遠図」、雄大な「山水図」と畳みかけるように名品が続きます。続いて、「道釈・仏典」。どこかキッチュな「薬師如来像」、素朴画のような「十王経図巻」も面白く…それにしても「霊山変相図」が凄かった。異様に緻密な版画は曼荼羅のようでもあり…まさかこんな作品が仏像内に収められていたとは。そして、李公麟の部屋です。神品といわれながらも行方不明になり、80年ぶりに出現したという「五馬図巻」。五頭の馬とその馬を引く男の組み合わせを描いていますが、馬たちが今にも生きて動き出しそう…李公麟は馬を好んで描いたそうですが、馬愛が画面から滲んでくるようです。そして、同じく李公麟の白描画の基準作といわれる「孝経図巻」も。白描画の名手と言われるだけあって、やはり線が生きているかのよう…。李公麟の作品が一室に集まるというのは奇跡的なことだそうです…それで、きっと伝説になる、なのですね。書蹟には黄庭堅の作品が三点出ていましたが、同一人物が書いたとは思えないくらいバラエティに富んでいます。「船載唐紙」には北宋で作られた紙に平安時代の貴族が書を書いたものが集められており、ここには「古今和歌集序」も。これまで書にばかり目が行っていましたが、紙は中国のものだったのですよね…。館蔵品によるテーマ展示にも北宋工芸品を集めた一室がありました。西田宏子氏の寄贈作品に独特の風情があって、思わず眼が釘付けになってしまいました。そういえば、不肖わたくし、むかしむかし西田先生の博物館学の講義を受けていたことがありました…厳しくもあたたかい授業だったなぁ…となつかしく思い出しました。

さて、この日は表参道駅の近くにある「手打 しまだ」に寄ってきました。せっかくなので名物のカレーうどんにえび天をトッピングしてみました。クリーミーなカレースープとうどんとえび天が不思議なマッチング…で、美味しゅうございました。

やまと絵

2023-12-15 01:23:45 | 美術
東京国立博物館で「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」を見てきました(展覧会は既に終了しています)。とはいっても、実際に行ってからかなりの日数が経ってしまいました…が、自分の心覚えのために。国博ならではの、まさに「日本美術の教科書」な展覧会でした。期替わりで四大絵巻、神護寺三像、三大装飾経が揃い踏み、と見どころもたくさん。いわゆる名品のみならず、地獄草紙、餓鬼草紙、病草紙、百鬼夜行絵巻といったダークなものも勢揃いしているのはさすがです。展示は平安~鎌倉~室町~江戸と年代順になっていました。私が行ったのは第二期です。現存最古のやまと絵といわれる「山水屏風」が出ていました。柔らかな青と緑で描かれた穏やかな山並み。日本の原風景…。一方、現在最古の唐絵といわれる「山水屏風」も。こちらには中国風の人々が登場。やまと絵というのは唐画と対になる概念なのだそうです。そして、四大絵巻のうち、源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、鳥獣絵巻の乙巻が出ていました。私が行った時には神護寺三像が揃い踏み。教科書に出てくる源頼朝が眼の前に…思っていたよりも、大きな像でしたね。面白かったのが「隆房卿艶詞」。モノトーンのスタイリッシュな絵巻ですが、こんな絵巻が鎌倉時代に描かれていたのですね。「平治物語絵巻」は迫真の筆。「百鬼夜行絵巻」は呪術廻戦やゲゲゲの鬼太郎を彷彿とさせます…。江戸時代のものでは狩野元信の「四季花鳥図屏風」に目を奪われました。サンクチュアリの光景。元信の作品は「酒伝童子絵巻」なども出ていましたが、やはりこの方めちゃくちゃ巧い…。終章には国博の「浜松図屏風」が。実にダイナミックな作品です。金地に揺れる柳、松の緑、日本の四季、生きとし生けるものたち…。

本館で開催されていた「南山城の仏像」も見てきました(展覧会は既に終了しています)。出品作は20点弱という小ぶりな展覧会でしたが、作品のほとんどが国宝または重文で、点数以上の重量感がありました。まず、海住山寺の精緻な「十一面観音立像」に眼を惹かれます。浄瑠璃寺の光り輝く「阿弥陀如来坐像」の脇にはダイナミックな「広目天立像」と「多聞天立像」が。「地蔵菩薩像」も流麗で美しい。行快作の「阿弥陀如来立像」も端正。神童寺の「不動明王立像」はどことなくゆるキャラのようでした…。

この日は国立科学博物館で「和食~日本の自然、人々の知恵~」も見てきました。2020年に開催が予定されていたものの、コロナ禍で中止になってしまった展覧会ですが、幻の展覧会に終わらなくて本当によかったです。科博の展示らしく、日本の自然が生み出した食材、和食の歴史と未来など、盛りだくさんの内容でした。卑弥呼や徳川家康の食事の再現も。和食のありがたみをあらためて実感…。

そんなわけで、日本の美と食の世界を堪能した一日でした。本当に日本に生まれてよかったな…。

甲斐荘楠音の全貌

2023-10-10 00:10:42 | 美術
東京ステーションギャラリーで「甲斐荘楠音の全貌-絵画、演劇、映画を越境する個性」を見てきました。

こちらも実際に行ってからかなり日が経ってしまいましたね…。「あやしい絵」展で甲斐荘楠音の作品に衝撃を受けて以来、この展覧会も開催を心待ちにしていました。展覧会では甲斐荘楠音を画家のみならず、映画人、趣味人として、さまざまな芸術を越境する表現者として紹介しています。

展覧会の序章は「描く人」から。甲斐荘の画業を紹介しています。あやしい絵展でも強烈なインパクトを放っていた「横櫛」と「幻覚」が。あらためて見ても妖しい絵…謎めいた微笑みを浮かべる女、踊る女の燃えるような赤が眼に焼き付くよう。「春宵(花びら)」はそのタイトルとは裏腹に、醜怪な太夫が異様…。第1章は「こだわる人」。人の動きに対するこだわりをスケッチなどで紹介しています。「籐椅子に凭れる女」がなんとも艶めかしい…透ける黒衣の下の白い肌。甲斐荘は裸を肌香(はだか)と称していたそうですが、彼の描く女からは色香が匂い立つようです。そして、メトロポリタン美術館から里帰りした「春」。ある意味、画業のピークともいえそうな作品。色鮮やかな着物を身にまとい、物憂げな表情を浮かべる女性の瑞々しさ、艶やかさ…。

第2章は「演じる人」には、舞台のスケッチや女形に扮した甲斐荘の写真が。彼の描く女性は、女性を客体として描くというより、自ら成り代わろうとするかのような迫真性があります。第3章は「越境する人」。甲斐荘による映画衣装の数々が並びます。斬新な意匠からも彼の多才ぶりが明らかです。それにしても、こんなにたくさんの映画の衣装を手掛けていたのか、と茫然としてしまいます。溝口健二の「雨月物語」や「残菊物語」は見ましたが、この衣装も彼の仕事だったのですね…。終章は「数奇な人」。畢生の、そして未完の大作が圧巻。「虹のかけ橋(七妍)」は金地を背景に豪奢な衣装を纏った七人の太夫がずらり並ぶさまが壮観。そして、「畜生塚」…豊臣秀吉が甥で養子の秀次を自害させ、その妻妾子三十人余を三条河原で処刑したという史実に基づいた作品です。裸の女たちの悲嘆、絶望、諦念、祈り…甲斐荘は何を思い、この作品を描き続けたのでしょうか…。

というわけで、甲斐荘楠音な独特の世界を堪能してまいりました。あまりにも独特すぎて、本当に個展で見てなんぼの人だと思いましたよ…。綺麗ごとだけではすまない彼の作品は、国画創作協会の展覧会で土田麦僊に「穢い絵は会場を穢くしますから」と、出品を断られたこともありました。しかし、甲斐荘は「穢いが、生きて居ろ」と…その願いどおり、彼の描いた女たちは画布の上で生き続けるのでしょう…。

宇宙遊/光

2023-10-06 00:03:03 | 美術
国立新美術館で「蔡國強 宇宙遊-<原初火球>から始まる」を見てきました(展示は既に終了しています)。

実際に行ってからずいぶん時間が経ってしまいましたが、自分の心覚えのために…。この展覧会は蔡國強の8年ぶりの大規模個展で、1991年にP3 art and environmentで開催された展覧会「原初火球」を氏の芸術におけるビッグバンの原点と捉え、その後の活動の旅路を辿るというのです。ちなみに原初火球という言葉は宙物理学と老子の宇宙起源論に基づくもので、宇宙の始まりを表すのだとか…。蔡氏の活動というと、まず火薬が頭に浮かんでしまいますが、この展覧会では活動の源となっている独自の世界観、宇宙観にも焦点を当てています。国立新美術館の展示室の壁をすべて取り払い、広大な空間を一室として使う、ダイナミックな展示です。展示は蔡氏の父親のドローイングから始まります。蔡氏は1986年に日本に移住し、約9年間を過ごしますが、この時期が出発点であり、アートのビッグバンが起きたと語っています。火薬を爆発させて作品を制作する手法を発展させたのもこの時期ですし、「外星人」のためのアートというプロジェクトも始まりました。80年代末といえば東西の対立が飽和点に達した時期ですが、視点が宇宙にまで飛ぶという、スケールの壮大さが大陸的…。また、蔡氏の宇宙の捉え方が独特で面白いのですよね…。展覧会では火薬爆発プロジェクトの映像も展示されていました。やはり「スカイラダー」が感動的…天へと登る火の梯子…何度も失敗を繰り返しながら、100歳の祖母に捧げられたプロジェクトです。また、いわきの海岸の上空に桜の花火が咲く「満天の桜が咲く日」。蔡氏はいわきの人々と長い年月をかけて友情を育んできました。蔡氏曰く「この土地で作品を育てる、ここから宇宙と対話する、ここの人々と一緒の物語をつくる」と。土地に根差しながら、人とつながり、宇宙とつながるアート。そして、見る者の心は宇宙を自由に遊ぶのです…。

この日は同時に開催されていた「テート美術館展 光」も見てきました(展示は既に終了しています)。テート美術館のコレクションから「光」をテーマにした約120点を集めた展覧会です。ターナー、ジョン・コンスタブル、ゲルハルト・リヒター、オラファー・エリアソンなどなど多数の画家の作品が展示されていました。ジョン・ブレットの「ドーセットシャ―の崖から見えるイギリス海峡」の前では動けなくなってしまいました…天から海に降り注ぐ光…。ジェームズ・タレルの「レイマー・ブルー」も不思議な色調のブルーに目が釘付けに…。現在に至るまで、画家たちがいかに光と向き合ってきたのかを目の当たりにした展覧会でした。神の光、自然の光、人工の光。絵画の歴史はいかに光を描くかの歴史でもあったのかもしれません…。

ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン

2023-09-25 22:25:33 | 美術
アーティゾン美術館「山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」を見てきました。

こちらも開催を知った時から楽しみにしていた展覧会です。画伯がジャム・セッション・シリーズでいったい何をするのか…と、否が応でも期待が高まります。そして、期待に違わず、いろんな意味でこれまで見たことない感じの展覧会でした。ネタバレにならないよう詳しいことは書きませんが、のっけから思いっきり感覚を揺さぶられます!また、これほど文字情報が多い展覧会は見た記憶がなく、画伯の文才の方も堪能できます。

画伯がジャム・セッションの相手として選んだのは主に雪舟とセザンヌです。巨匠中の巨匠といえる二人とどうセッションするのか…。今回、画伯の解説で雪舟の凄さをあらためて認識…見る者の脳だか心だかに、がっと入り込んでくる絵。また、セザンヌの絵は「見える」ということ自体を凄まじく実感させられる絵、と。描くべきなのは「見ている対象」なのか、「見ている感覚(サンサシオン)」なのか。そもそも、見るとは、描くとはどういうことなのか。現象の再現にとらわれず、絵に永続的な時間を流すこと…。近代絵画に連なる伝統を持たない国では「サンサシオンを内発し、愚直に続けること」が唯一無二の戦法かもしれず…「ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」なのかもしれません…。

この日は以前から気になっていたカフェにも寄っていきました。白桃ジャスミンティーを頼みましたが、甘味と酸味のバランスが絶妙で、美味しゅうございました。飾りつけも綺麗だったなぁ…。

また、同じ日に日本橋三越で開催されていた「第70回伝統工芸展」の方にも行ってきました(展示は既に終了しています)。テレビの「日曜美術館」で見た、ある作品をどうしても生で見たくなり…日本工芸会総裁賞を受賞した「彫漆箱『遥かに』」です。夜の海の煌きのような不思議な色合い。見ていると暗い海を漂っているような心地に…。染織の受賞作「波に魚」「みなも」「蒼晶」はいずれも海や水を思わせる作品。さらさらと涼しげな青色を見ていると、今年の夏の過酷な暑さを忘れるようでした…。

Continuum 想像の語彙

2023-09-24 14:39:29 | 美術
東京オペラシティアートギャラリーで「野又穫 Continuum 想像の語彙」を見てきました。

こちらも開催を知った時から楽しみにしていた展覧会です。2004年にオペラシティアートギャラリーでの展覧会を見た時からずっと気になる作家さんでした。あの世界の果てを見たような独特の世界観…あれから20年近く経つのですね。今回は個展ですが、展示方法も独特な感じでした。章構成にもなっておらず、時系列も入り乱れ、解説のキャプションもなく…自由にイマジネーションを遊ばせて、ということなのかもしれませんが、作品の世界観そのままに、迷宮のなかをさまようような心地で鑑賞しました。船、風車、気球、そして不思議な建造物の数々。実在するようなしないような光景を描いた作品の数々を見ていると、何とも言いようのない感情が湧き上がってきます…。ユートピアのようなディストピアのような世界は唯一無二。この世のものとは思えないような美しい空に向かって、ノスタルジーとファンタジーが同時に解き放たれていくのです…。

この日は同時開催の「寺田コレクション ハイライト(後期)」も見てきました。東京オペラシティビルの共同事業者でもあった寺田小太郎氏のコレクションです。寺田氏の収集活動は難波田龍起氏との出会いをきっかけに、「東洋的抽象」「ブラック&ホワイト」「幻想絵画」など、独自のテーマによって進められました。展示は難波田父子をメインに、日本の近現代作家の作品ですが、コレクターの独特の世界観がひしひしと伝わってくるような展示でした。静謐、幻想、異界…。寺田氏は野又作品のコレクターでもあり、1980年代から毎年、収集を続けていたそうです。やはり通じるものがあったのでしょうね…。

そして、「projectN 小林紗織」も見てきました。渋谷公園通りギャラリーで開催された「語りの複数性」で作品を見て以来、気になっていた作家さんです。彼女は音楽を聴いたときに浮かぶ色彩や形、情景を五線譜の上に描く「スコア・ドローイング」の作品を制作しています。五線譜の上に楽しげに踊るカラフルなモチーフの数々。見ているだけで心楽しくなってくるような作品は絵楽譜のようでもありますが、小林さんにとっては「ただの音の視覚化ではなく、自分の内側の世界の記録」なのだそうです。自分のなかにある美しい世界が、誰にも知られないまま失われていくことを惜しむ気持ち…絵画も音楽も、あらゆるアートはそうして生まれてきたのかもしれませんね…。



あの世の探検

2023-09-23 22:51:05 | 美術
静嘉堂@丸ノ内で「あの世の探検-地獄の十王勢ぞろい-」を見てきました。

あの世の探検…タイトルからして心惹かれますよね…珍しくも地獄の十王が勢ぞろいするとあって、「鬼灯の冷徹」のファンとしてはいそいそと行ってまいりました。第一章は「極楽浄土への招待」。中国・朝鮮、そして日本の仏画が並びます。さすがの優品揃い。久隅守景筆の「釈迦十六善神図」も。ゆるふわ(?)な「納涼図屛風」のイメージが強いですが、こちらは打って変わって緻密で端正な作品。「千手観音二十八部衆像」 も神秘的…。「如意輪観音像」は月に浮かぶような観音様が美しい。「当麻曼荼羅」は修理後の初公開だそうですが、金色も鮮やかに…。かと思えば、河鍋暁斎「地獄極楽絵図」も。そういえばこの作品のレプリカが販売されていましたね。第二章は「あの世の探検-十王図の世界-」。地獄の十王勢揃い…人は死ぬと地獄の十王に順番に裁きを受けるのです。極彩色の地獄絵図。地獄の責苦には残酷な場面もあるのにどこかユーモラスな趣が。十王のなかでもやはり閻羅王(閻魔大王)がさすがの貫禄でした。足元には浄玻璃の鏡がありますが、人の生前の行いがこの鏡に映し出されるのだそうです…なんかいろいろ気をつけよう…。十王図の中央には「地獄菩薩図」が。地獄に仏とはこのことです。「十二霊獣図巻」は魔除けとして子供の部屋に飾られたものだそうですが、「呪術廻戦」を思い出します。第三章は「昇天した遊女」。「普賢菩薩図」が雅やか。お隣には円山応挙の「江口君図」が。遊女の江口君の幽霊を普賢菩薩に見立てたのだそうですが、透けるような美しさ。そして、最後には「曜変天目茶碗」がひっそりと、変わらぬ輝きを放っていました…。そんなわけで、地獄と極楽を行ったり来たりするような展覧会でしたが、チラシの言葉が今さらながら身にしみます…「誰でもいつか、あの世に行きます」

さて、アートといえば美味しいもの…ということで、この日は美術館の近くにある「ローズベーカリー」でランチにしました。マッシュルームのオープンサンドをオーダーしましたが、ローストしたマッシュルームがてんこ盛りで、卵をのせて食べたら、さらに美味しゅうございました…。



風景の音 音の風景

2023-07-18 00:21:11 | 美術
神奈川県立近代美術館鎌倉別館で「吉野弘 風景の音 音の風景」を見てきました。
1970年代初めから環境音楽の分野で活躍した吉村弘氏の個展です。環境音楽の先駆け的な存在である氏の活動は音楽のみならず、ドローイング、パフォーマンス、サウンドオブジェの制作、執筆と多岐にわたりました。私も昔、「都市の音」を読んだ記憶が…。ちなみに葉山館で流れているサウンドロゴは吉村氏の作曲だそうです。

展覧会は5章で構成されていました。「Ⅰ.音と出会う」は初期の活動の紹介です。吉村氏は高校時代のエリック・サティの音楽に出会い、独学で音楽を学びました。初期の作品の楽譜が展示されていましたが、手書きとは思えないような端正な譜面。イラストもシンプルで美しい。「Ⅱ.音と出会う」には図形楽譜が展示されていました。線はさらに緻密になり、デザイン性の高い絵楽譜も。「Ⅲ.音を演じる」はパフォーマンスの紹介。70年代後半から、吉村氏の活動はより身体性を増し、さらに音具の創作なども手がけるようなり、活動はサウンド・パフォーマンスからサウンド・インスタレーションへと展開していきます。70年代のパフォーマンス関係のチラシの中に若かりし頃の教授の姿もあって、思わずしみじみ。音具の数々はデザインも面白いです。ロビーにはサウンド・スカルプチャーの実物が展示されていて、実際に触れるようになっていました。試しに振ってみたら、本当に気持ちよかったです…。「Ⅳ.音を眺める」にはRain,Tokyo Bay,May,Clouds,Summerの5本の映像作品が展示されていました。撮影、音楽、演奏ともに吉村氏によるもので、撮影場所は有栖川宮記念公園、東京湾、白金の自然教育園、広尾の吉村氏の自宅です。いつまでも眺めていたいような、ここちよい映像とここちよい音楽。音楽が自己主張しないというか、自然物の一つとして存在している感じです。サティの家具の音楽になぞらえて、空気に近い音楽、ということを言っていたそうですが、空気のように透明な音楽…。「Ⅴ.音を仕掛ける」は環境音楽の紹介。吉村氏は音を風景として捉え、サウンドスケープと呼んでいました。環境にひそかに作用し、いつの間にか空間をここちよいものに変えていく、音楽というか音。吉村氏は「私の音楽は私の音楽ではない、私の音(楽)でないものはまた私の音楽である」という言葉を残していました。音と風景とが作り手の自我さえ超えた空間で溶け合うような、そんな不思議な感覚を味わった展覧会でした。

ところでこの展覧会、パンフレットも秀逸でした。無料でいただくのが申し訳ないくらい充実したもので、編集もきっと大変だったと思われます。空色の線で描かれた絵楽譜「Flora」が表紙のカバーになっていて、綺麗でしたね…。

水ー巡るー

2023-07-17 01:35:18 | 美術
郷さくら美術館で「水-巡る―」を見てきました。暑い日々が続く今日この頃、涼しげな絵でも見たいなぁ…と思っていたら、この展覧会が目にとまりました。この美術館、小さめですが、独特の雰囲気があって、けっこう好きなんですよね…ひっそりと絵を楽しむにはうってつけの場所なのです。

会場に入ると千住明「ウォーターフォール」が。これで一気に涼しくなりました…マイナスイオンを浴びているような心地です。米谷清和「雨・朝」は憂いを含んだような青が印象的。そして、メインビジュアルにもなっている、野地美樹子「Uneri」。これを生で見たくて来たのです…鳴門の渦潮をモチーフにしながらも、人間の感情を渦潮の波になぞらえた作品なのだそうです。涼しげな青に吸い込まれていくような不思議な感覚を覚えます。那波多目功一「さゞ波」は湖面のさざ波と揺らぐ光の描写が美しい。清水信行「朝の渓」は鮮やかな緑のグラデーションが瑞々しい。神韻縹渺とした風情が漂う吉田舟汪「心象 那智」。村居正之「驟雨」は降りしきる冷たい雨に滲む灯が暖かく…。杉村眞悟「映ろう」は水面の表現が写実的というか個性的。平松礼二「モネの池、夏」はカラフルでポップな趣。佐藤晨「蛍川」はファンタジックな作品。ちょこんと描かれたフクロウが愛らしい。同じ作家による「冬の月」は陸前の海を描いたそうですが、凍るような月が海に浮かぶさまが幻想的。桜を描いた作品では坂本藍子「たゆたう」にとりわけ目を惹かれました。桜花が舞い散る川面、ゆらめく光、躍動する小魚…生命の連環…。

雨~沢~滝~湖~川~海…この展覧会は姿を変えながら巡る水を意識して構成されたそうです。地球上を巡るだけでなく、人間の身体の中をも巡る水。あらゆる命の源…。

この日は中目黒の駅近くにある「豆虎 中目黒焙煎所」にも寄ってきました。ここは豆を100g以上買うと、コーヒーを一杯サービスしてくれるのです。暑い日だったので、アイスコーヒーをいただきました。水出しコーヒーゼリーもテイクアウトしましたが、独特のふるふるの食感で美味しゅうございました…。