aquamarine lab

アートネタなど日々のあれこれ

絶筆

2018-11-03 00:56:49 | 美術
国立新美術館で展覧会のはしごをしてきました。

最初に見たのは「ピエール・ボナール展」です。昨年、三菱一号館で開催されたナビ派の展覧会は見に行きましたが、ボナールのソロ展覧会を見るのは初めて。やはり、こうして単独で見ることで見えてくるものがあるなぁ、とあらためて思いました。今回、ひしひしと感じたのは、ボナールの一見、幸福そうな画面の陰にあるどこか不穏なもの。ヴァロットンの毒とも違う・・・不安と癒しがないまぜになったような不思議な感覚。「大きな庭」は緑のグラデーションが印象的。一瞬、ヴァロットンの「ボール」を思い出しました。出世作となった「フランス=シャンパーヌ」はロートレックを思わせます。今回の展示では、ボナールが撮影した写真も展示されています。これを見るとこの写真があの絵になったのね、というのがわかります。ボナールは実物を見ながら描くという画家ではなかったようです。その次の章では、入浴する姿など、女性のヌードが続きます。女性たちとはおそらく親密な関係であったろうと思われますが、画面にはどこか緊張感が漂います。「ぶらぶら美術館」の解説によると、この女性たちは顔が描かれていない、ということがポイントらしいです。うむむ・・・。室内を描いた作品も、一見、幸せな光景のようですが、どこか翳りを帯びているような。一方、掛値なしに幸せそうに見えるのが、ノルマンディーを描いた作品。そして、輝くような海。「アンティーブ」の青のグラデーションの美しさ。そして、展示の最後は「花咲くアーモンドの木」。これを見て、思わず目頭が熱くなりました。絶筆、と知って見るからかもしれません。画面の左下の黄色は甥に塗らせたそうです。本当に、一見、なんということはない絵なのです。なのに泣けてくるのは、絵から放たれる念力が見る者の涙腺を刺激しているとしか思えません・・・。

続いて、「東山魁夷展」を見てきました。10年ぶりの大回顧展だそうです。10年前は不肖わたくし、見に行っていません。なぜだか、以前から画伯の絵には微妙な苦手意識があり・・・・決して嫌いとかいうことではないのですが、天性のあまのじゃくゆえ、巨匠、とか、国民的〇〇、みたいな存在の方に、何となく苦手意識をもってしまうのです。でも、今回の展覧会を見て、あらためて日本に生まれてよかったな、としみじみ思いました。どこか湿り気を帯びた、懐かしい日本の風景。先のボナールの絵と比べると、その対比は明らかです。どの作品も素晴らしいので、却ってこれ、というのをピックアップするのが難しいのですが・・・「残照」のどこまでも続くような山並み、「秋翳」の燃えるような紅葉、「花明り」の枝垂れ桜と月暈。「道」も好きな絵ではあるのですが、これを見るとつい会田画伯のことを思い出してしまいます。会田さんてば、もう・・・(爆)。北欧を描いた作品のシリーズもあり、これもけっこうツボでした。スタイリッシュ。そして、今回の展示の目玉、唐招提寺御影堂障壁画の「山雲濤声」。これはもう、ひたすら立ち尽くすしかないというような作品です。特に海好きの自分としては、濤声をいつまでも見ていたかったです。海に包みこまれるような心地・・・。そして、展示の最後は「夕星」。一つ星が光る青い夜の風景。絶筆だそうです。ある初夏の夜に、一つの魂が、その身からふわりとあくがれ出て、星になったのやもしれません・・・。

ある意味、対照的な二人の画家の展覧会でしたが、画家たちの最後の思いを感じさせられた展覧会でもありました。「絵の方を生きているようにする」と言ったボナール、「描くことは祈り」と言った東山魁夷。二人がいまわの際に見たものはなんだったのでしょうね・・・。
コメント
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