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アートネタなど日々のあれこれ

宇宙の脈動

2020-08-23 12:14:05 | 音楽
サントリーホールサマーフェスティバル2020:「おかわり」シュトックハウゼンを聴いてきました。

サントリーのサマーフェスティバルは毎年、楽しみにしているイベントです。今年は無理かと半ば諦めていたのですが、ありがたいことに開催してくれました。今回選んだ演目は、夜スタートの「おかわり」シュトックハウゼン。おかわりとは何ぞや、って感じですが、夕方の公演でもシュトックハウゼンの曲が演奏されているので、そのおかわりってことですかね・・・。夕方の公演は気づいた時には既に売り切れていたので、おかわりのみ参戦してきました。

演奏されたのはシュトックハウゼンの『クラング―1日の24時間』より13時間目「宇宙の脈動」です。クラングは1日の24時間を音楽化した連作ですが、21時間目を完成したところでシュトックハウゼンは亡くなりました。で、13時間目が電子音楽としては遺作ということになるらしいです。不肖わたくし、シュトックハウゼンの曲はいくつか聴いていたものの、クラングは聴いたことがありませんでした・・・が、遺作と聞いては居ても立ってもいられなくなり、どんな曲かもよく知らないまま会場へ。

プログラムノートの解説によると、24層のメロディーによるループは、それぞれ異なるピッチを持ち24のテンポと24の音域で回転、これらのループは低音域から高音域、遅いものから速いものへと積み重なり、同じ順序で順次演奏を終える・・・とありますが、この時点で既に私の理解の範疇を超えていたので、半ばアトラクションとして楽しむことにしました。音楽というべきか、音響というべきか、この曲の感想を言葉で表すのはとても難しいのですが・・・宇宙の混沌の渦の中に巻き込まれたような不思議な体験でした。混沌といっても一定の秩序があるらしいということは、感覚的にわかります。これはおそらく有馬純寿氏の明晰な音響操作によるものなのでしょう。こういう曲はやはり会場で聴かないとですね。鑑賞というよりは体験。宇宙体験、もしかしたら臨死体験にも通じるのかも・・・遺作という言葉から連想される、枯淡の境地やら平明さからは程遠い音楽でしたが、曲のラスト近くの音の閃光に命の煌きを見たような気もしました。

解説によると、シュトックハウゼンは「新しい呼吸の方法を見つけた!」と言って立ち上がり、その瞬間に亡くなってしまったとか。ある意味、理想的な死に方と言えるかもしれません。ところで、この曲が演奏された8月22日はシュトックハウゼンの誕生日でした。そういえば、ドビュッシーも同じ誕生日でしたね・・・。
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The UKIYO-E 2020

2020-08-22 15:41:06 | 美術
東京都美術館で「The UKIYO-E 2020」を見てきました。

日本の三大浮世絵コレクション(太田記念美術館、日本浮世絵博物館、平木浮世絵財団)が史上はじめて一堂に会するという展覧会です。展示替えはありますが、総作品数は約450点、重要文化財・重要美術品は100点以上、登場する絵師は約60名!浮世絵の展覧会の決定版的な内容でした。展示も工夫されていて、スタイリッシュな空間になっていました。順路が一筆書きのようになっているので、迷ったり、見落としたりする心配もなく作品を鑑賞することができます。

展覧会は初期浮世絵から始まります。墨一色の「墨摺絵」から、丹で彩色した「丹絵」、紅を用いた「紅絵」、膠を混ぜた「漆絵」へと発展していきます。最初の浮世絵は黒一色だったのですね・・・。初期浮世絵では浮世絵の祖、菱川師宣や鳥居派の作品が紹介されています。その後、錦絵が誕生。この頃に活躍したのが鈴木春信です。華奢で可憐な美人たち。珍しいところでは春信の弟子春重の雪月花シリーズも。そして、美人画、役者絵が展開していきます。鳥居清長の八頭身美人、歌麿の正統派美人。役者絵では展覧会のメインビジュアルにも使われている歌川国政「市川鰕蔵の暫」や、世界に一点という写楽の「曽我五郎と御所五郎丸」も。寛政期を過ぎ、文化・文政期に入ると浮世絵の表現も多様化し、より細密な表現も見られるようになります。菊川英山の「青楼美人春手枕 鶴屋内橘」は華やか、かつ艶やか。団扇絵も紹介されていました。天保期になると、風景画の比重が大きくなってきます。葛飾北斎の「富嶽三十六景」や歌川広重の「東海道五拾三次」もこの時代の作品です。富嶽三十六景の凱風快晴や神奈川沖浪浦の摺りの違いも見比べることができました。人気の歌川国芳の作品の数々も。「蛸の入道五拾三次」もユニークな作品。相変わらず、考えることが面白いお人です・・・。

そんなわけで、浮世絵の歴史を一望できる展覧会でした・・・それも世界屈指のコレクションでです。浮世絵の展覧会というと、いわゆる名品展や特定の絵師、テーマに絞ったものはこれまで数多く開催されてきましたが、今回のようなタイプの展覧会は意外に少なかったのかもしれません。ごく初期のものにまで遡って展示されていた点でも、貴重な展覧会だったかと思います。願わくば、もっと若い頃に見ておきたかったかな・・・(爆)。
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ランブル

2020-08-20 01:32:47 | 映画
ホワイトシネクイントで「ランブル」を見てきました。

あらゆるポピュラー音楽に影響を与えたという、インディアンの血を引くミュージシャンたちについてのドキュメンタリーです。映画には先住民の血を引くザ・バンドのロビー・ロバートソンやブラック・アイド・ピーズのタブーをはじめ、有名ミュージシャンたちが多数、登場します。不肖わたくし、インディアン・ミュージックのことは何も知りませんでした・・・それもそのはずというか、これまでその歴史自体が抹殺されてきたのだそうです。

「ランブル」は、インディアンの血を引くミュージシャン、リンク・レイが1958年にリリースした曲のタイトルです。攻撃的なギターサウンドが少年犯罪を助長すると言われ、放送禁止になったのですが、この曲なくしてはメタルもパンクも生まれなかったとか。リンク・レイがパワーコードとディストーションを発明したということは、その後のギタリストの多くは彼のおかげをこうむっているということになりそうです・・・。そして、インディアン・ミュージシャンとして、ジミヘンも登場。映画にはジミヘンのおばあちゃんまで出演します。「音楽好きな子だとは思っていたけれど、あそこまで才能があるとは知らなかった」んだとか。リンク・レイのギターの影響を受けたジミヘンのそのまた影響を受けたギタリストが世界中にどれだけいるかと思うと、インディアン・ミュージックが音楽の世界に与えた影響の大きさが窺い知れます。

映画ではアメリカの歴史の暗黒面にも触れています。自由の国アメリカで行われてきたマイノリティー迫害の歴史・・・アメリカのインディアンの男性とアフリカの黒人奴隷の交換が行われてきたということは初めて知りました。アメリカで黒人奴隷と残されたインディアンの女性との間で奴隷の再生産が行われたというのは背筋が寒くなるような話ですが、結果的にネイティブ・アメリカンとアフリカン・アメリカンとが融合し、ブルースやロックが生まれたというと複雑な心境になります。そういえば、ジミヘンの母親はインディアン系、父親はアフリカ系でしたね・・・。

ブラック・ミュージックについて語られることは多々あれど、インディアン・ミュージックについて語られることはこれまでほとんどなかったのでは、と思うと、今回、こうして光が当たったのは貴重なことですが、この問題の根深さを思い知らされるようでもあります。世界も音楽もやはり一筋縄ではいかないのですね・・・。
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和巧絶佳

2020-08-18 22:42:49 | 美術
パナソニック汐留ミュージアムで「和巧絶佳展」を見てきました。

1970年以降に生まれた工芸作家12人を紹介する展覧会です。1970年以降ってことはU50ってことですね。工芸の世界では皆さん、若手ということになるのでしょうか。ちなみに和巧絶佳とは「和」の美、「巧」の美、工芸素材の美の可能性を探る「絶佳」を組み合わせた言葉だそうです。

「和」の美の章で紹介されていたのは3人。桑田卓郎さんの陶芸作品はポップでカラフル。そしてダイナミック。草間彌生さんの作品みたいなお茶碗も。舘鼻則孝さんはレディ・ガガの靴で世界的に有名になった方ですが、あの華麗な柄は友禅だったのですね。ところで、あの靴って実際に履いて歩けるものなのでしょうか・・・。深堀隆介さんといえば金魚。前々から作品を生で見たいと思っていたのですが、ようやくの対面です。本物そっくりの涼しげな金魚たちは、作者のイメージの中の実在しない金魚なのだとか。深堀さんが金魚にハマったきっかけエピソードも面白かったです。彼の作品を家のPCで見た娘は「金魚すくいしたい!」と騒いでおりました・・・。

「巧」の美の章で紹介されていたのは4人。池田晃将さんの超細密なデジタル螺鈿細工は、小宇宙のよう。宮島達男さんの作品を思い出しました。髙橋賢悟さんは以前、「美の巨人たち」でも紹介されていましたね。生花を型にして極薄のアルミ鋳造作品を制作していますが、小花でかたどられた動物の頭蓋骨には死と美のイメージが漂います。見附正康さんの加賀赤絵の大皿も超絶技巧・・・眩暈のするような柄はエッシャーを彷彿とさせます。山本茜さんは6年前の日本伝統工芸展で、「流衍」というガラス作品で入賞された方です。あの作品が大好きだったので、再会できて嬉しかったです。今回、源氏物語をテーマにした作品もありましたが、独特の幽玄な世界観が繊細に表現されていました。

「絶佳」の美の章で紹介されていたのは5人。安達大悟さんの絞り染めの作品は、デジタル柄のようにも見えますが、色のにじみ具合が絶妙。坂井直樹さんのスタイリッシュな鉄瓶は、ついつい、これ欲しい、と思ってしまう魅力があります。佐合道子さんの作品はサンゴ礁のような不思議な生き物のよう。新里明士さんの作る繊細な器はレース細工のような透け感があります。橋本千毅さんの螺鈿細工は光る虹のように色鮮やか・・・。

というわけで、令和時代の超絶技巧の世界を堪能してまいりました。日本人の繊細な超絶技巧は本当に世界に類のないものだと思いますが、そのDNAが時を超え、形を変え、脈々と受け継がれていることを実感しました。この唯一無二の流れが、未来へと続いていきますように・・・。
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其礼成心中

2020-08-17 01:14:22 | 舞台
パルコ劇場で「其礼成心中」を見てきました。

ずっと見たいと思っていた演目なのですが、なかなかタイミングが合わず・・・今回、やっと行くことができました。コロナ禍の影響で、当日飛び込みで行ってもけっこうな良席。文楽は前方の席で見ないときついので、ありがたいといえばありがたいのですが、後ろ半分、空席の目立つ会場はやはり切ない・・・。

前説ではマスク姿の三谷君人形が登場・・・文楽は、今一番、安全と言っていました。たしかに黒衣の皆さん、頭巾姿ですもんね。それにしても、この三谷君人形、笑っちゃうぐらいご本人にそっくり・・・(笑)。

楽日までまだ日があるし、これからも再演されそうな演目なのでネタバレになりませんように・・・もう2時間ひたすら笑いっぱなしでした。そして、文楽の素晴らしさにあらためて眼を見開かされました。不肖わたくし、最後に文楽を見たのがいつだったか思い出せないくらいなのですが、ひさびさに見ると、文楽の人形ってこんなに綺麗だったんだ、としみじみしてしまいました。本当に人形が生き物みたいに見えます・・・。何人もの役を声だけで演じ分ける太夫さんも凄い。台詞はほぼ現代の関西弁なので、問題なく聞き取れました。ストーリーはいかにも三谷さんなドタバタ劇ですが、文楽本来のゆったりめのテンポと現代劇の早めのテンポとの入り混じり具合が絶妙です。ドリフみたいな小ネタもあったし、お人形さんも時々、古典ではありえない動きとかしてましたね(笑)。かと思うと、文楽の名作が劇中劇で演じられたりもします。劇に登場する近松門左衛門はどことなく三谷さんご本人を彷彿とさせるのですが、主人公の半兵衛とのやり取りは半ば演劇論のようでもあり・・・泣き笑いありの文楽って、ある意味、画期的なのかもしれませんよね・・・。

そんなわけで、夢のような時間を楽しんでまいりました。そう、生で芝居を見るということが、まるで夢の中の出来事のようになってしまいました・・・日常から離れた場所で、2時間何も考えずに笑っていられるというのがどれだけありがたいことだったか、今さらながら思い知らされます。最後にカーテンコールがありましたが、人形遣いさんたちに抱えられて出てきた人形たちはだらんと生気を失って、ただのお人形に戻っていました。その時初めて、自分が見ていたのは本当に人形だったんだ、愕然としました。文楽の魔法、おそるべし・・・。諸々落ち着いたら、また、古典作品の方も見に行きたいものです。
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大海原のソングライン

2020-08-09 22:01:40 | 映画
シアター・イメージフォーラムで「大海原のソングライン」を見ました。

台湾に始まり東はイースター島から西はマダガスカルまで、3年かけて太平洋の16の島国をめぐり、伝統的な音楽とパフォーマンスを記録したという壮大なドキュメンタリーです。ところでソングラインとは何ぞやというと、元はと言えばオーストラリアの内陸に存在する、目には見えなくても声や歌によってつながれた無数の道のことだそうです。この映画ではさらに、太平洋にかつて歌い継がれた道を見つけにいこうとしているのだとか・・・。

映画は台湾の女性の力強い歌声から始まります。南太平洋を取り巻く16の島国、35の原住民族、100名以上のミュージシャン・・「海の民」である彼らの歌、演奏、踊りが豊かな自然の映像とともに次から次へと繰り広げられます。移動が制限されている現状で、この広大な世界を目にすると、思わず眩暈がしてしまいそうです。不思議な楽器もたくさん、どのパフォーマンスも素晴らしかったですが、最も印象深かったのが、片手を失ったミュージシャンの姿。彼は残された機能を使って伝統楽器をみごとに演奏しています。楽器の奏者としては致命的ともいえる状態になっても、意志があれば音楽はできるのですね・・・。

この映画の原題は“Small Island Big Song”ですが、これはかつて同じ言葉や音楽で繋がっていた島々の歌をもう一度集結させるプロジェクトでもあるそうです。映画では別々の島の人々が伝統的な音楽を演奏するのを別々に収録し、ミックスして一つの音楽にするという試みがなされています。ヒップホップのビートにさまざまな伝統音楽やラップを重ねていっていますが、不思議なくらいに違和感がないというかスムーズです。それもそのはずというか、彼ら南島語族(オーストロネシア)は台湾のモンゴロイドを共通の祖先として、枝分かれしていった集団なのだそうです。ヒップホップといっても攻撃的というよりは、開放的な音楽になるのは、海の民ゆえでしょうか・・・。

そんなわけでひさびさに、映像でではあるけれど、大好きな海と音楽を堪能してまいりました。本当に癒されましたよ・・・海も音楽も広くて深い。そして、文字が生まれるから歌があったと思うとやはり感慨深いです。これだけ壮大なものを見せられると、国家という枠組さえ小さく見えてくる気がするから不思議です。一方で、気候温暖化による海面上昇により太平洋の島々が消えつつあるという現実もあります。この豊かな世界が消え去ることがありませんように・・・。
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驚異のコレクション

2020-08-08 14:48:14 | 映画
Bunkamuraル・シネマで「プラド美術館 驚異のコレクション」を見てきました。

2019年に開館200周年を迎えたプラド美術館、その歴史を追ったドキュメンタリーです。ナレーターを務めるのはなんと、ジェレミー・アイアンズ。淡々としていながらも表現力豊かなナレーションによって、映画の格調が格段にアップしています。

映画は死を間近にしたカール5世の話から始まります。プラド美術館のコレクションは主にフェリペ2世とフェリペ4世によって築かれましたが、歴代の王室メンバーが「知識ではなく心で選んだ」コレクションの数々は、その個人的趣味を色濃く反映しています。例えば、フェリペ4世とベラスケス、カルロス4世とフランシスコ・ゴヤ。ベラスケスについてのダリのコメントも面白かったです。もし、ここが火事になったら何を持って逃げる?と問われ、「空気を持って逃げる」、ベラスケスの絵画を取り巻く空気を持って逃げる、と。ゴヤについては多くの時間が割かれていたように思います。聴覚を失ってからの作風の変化についてのエピソードが興味深かったです。そして、ティッツァーノ、ルーベンス、ムリーリョ、ヒエロニムス・ボス、エル・グレコの作品も。ボスの「快楽の園」の細部も大画面で見ることができました。映画館で絵画を見る醍醐味ですよね。エル・グレコの作品群の美しさも大画面で味わうことができます。ビッグ・ネームだけでなく、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンのような画家にも触れています。彼の「十字架降下」の素晴らしさについて語る女性の話も印象的でした。この映画では、美術館のコレクションのみならず、当時の社会的背景、スぺインの歴史についても丁寧に解説されているので、プラド美術館の存在がより立体的、重層的に迫ってくるようでした。関係者などのコメントからも、美術館の存在の大きさが窺えます。館長も務めたピカソの「芸術は日々の生活の埃を洗い流してくれる」という言葉も趣深く・・・。

プラド美術館を通して、スペインという国の光と闇を見るような映画でもありました。生も死も濃い国・・・。映画ではスペイン人の死生観についても触れられていました。スペインでは、死を新たな生ととらえているようです。そして、スペイン人の死者は世界で一番生き生きしている、と。これはかなり新鮮な発見でした。かの国では死と生は思いのほか近いところにあるのかもしれませんね・・・。
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きもの KIMONO

2020-08-01 20:02:49 | 美術
東京国立博物館で「きもの KIMONO」を見てきました。

例によって、鑑賞前に腹ごしらえ・・・ですが、それほどお腹も空いていなかったので、博物館前にいたキッチンカーの伊勢うどんをいただいてきました。伊勢うどんは初めて食べたのですが、太め、かつふわふわのうどんです。本来、たまり醤油のタレを絡めて食べるそうですが、今回はカレーうどんをいただきました。柔らかいうどんにカレーがよく絡んで美味しゅうございました。

さて、お腹もふくれたところで会場へ。こちらも開催を知った時から楽しみにしていた展覧会です。鎌倉時代から現代に至る着物がなんと約300点!という驚きの展覧会。音声ガイドを借りない人は第2会場の方から見てください、とのことだったので、第2会場から回りました。展示は概ね年代順なので、本来は第1会場の方から見るべきなのでしょうが、後から思えば、第2会場の方がボリューミーだったので、気力体力があるうちに見ておいてよかったのかも・・・。

というわけで、第2章の「格式の美―大奥のよそおい」のところから見ることになったのですが、やはりここが最もゴージャスだったかも。当時の最上位の女性たちの着物ですしね・・・。和宮の衣装も華麗でしたが、やはり篤姫の衣装が凄かった。抹茶色の地に雀の刺繍の帯、竹に雪の打掛。篤姫はよほど雀が好きだったのですね。袱紗もお弁当箱も雀模様。第3章は「男の美学」。思わずルパン3世のテーマが頭の中で鳴ってしまいます。ここでは何と信長・秀吉・家康の衣装が揃い踏み。いや、何というか、性格出てますよね・・・・とりわけ、信長の衣装が斬新すぎです。山鳥の羽を衣装に貼り付けようなんて考えないぞ、普通・・・。火消半纏シリーズも奴柄やら髑髏柄やらロックな展開です。第4章は「モダニズム着物」。明治から昭和にかけての着物ですが、打って変わって艶やか。一部はランウェイのような展示になっています。着物のデザインがモダンかつ自由になっていくのがわかります。最後の第5章が「KIMONOの現在」。久保田一竹のインスタレーションは絵画の連作のよう。この頃になると、逆に自然の風合いを生かした着物に変わってきているようです。かと思うと、岡本太郎の爆発的なデザインの着物が。最後はXのYOSHIKI がデザインしたYOSHIKIMONOです。彼は呉服屋さんの息子だったのですね・・・。

ここで既に満腹状態になっていたのですが、第1会場へと舞い戻ります。元々は下着であった小袖が、表着となり着物となる転換点から始まります。第1章は「モードの誕生」。地味だった小袖のデザインが、桃山時代になると一転、華やかになります。四季の草花を描いた四替の着物のデザインがお洒落。これなら一年中、着られますね・・・。江戸時代になると赤黒白を基調とした幾何学的なデザインに変わっていきます。第2章は「京モード 江戸モード」。寛文期になるとさらにダイナミックなデザインに。総鹿子の贅沢着物も。元禄期になるとデザインはますます華やかに。目もあやな、とはこのことです。が、今度は贅沢禁止令が出てしまい、染の着物に移行します。友禅の登場です。ロックフェラー夫妻が寄贈したという紅縮緬の振袖がとりわけ凄いです・・・夫妻、おそるべし。かと思うと、光琳が描いたという着物も。そういえば光琳は呉服屋のお坊ちゃまだったのでした。江戸も後期になると今度は「いき」の時代に。シックな装いに変わっていきます。一方で、豪商・大夫は贅美を尽くした装いをしていました。ここでは輪違屋という置屋の傘の間の再現展示もありました。黒や金の太夫の打掛がまばゆいばかりです。

そんなわけで、豪華絢爛、百花繚乱な展覧会でした。もう一生分の着物を見た気分・・・。これだけ充実した展覧会を外国の方々に見てもらえないのが返す返すも残念です。ここでふと、祖母から贈られた着物たちが箪笥の中に眠っていたことを思い出してしまいました。不肖わたくし、結納以来、着物を着たことがありませんでしたが、着物って文字通り、着るものだったのですよね・・・いつか余裕ができたら、着物にも袖を通してみたいものです・・・。
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