aquamarine lab

アートネタなど日々のあれこれ

クイーン・ヒストリー2

2019-05-31 18:45:11 | 映画
アップリンクで「クイーン・ヒストリー2」を見てきました(上映は既に終了しています)。

あいにく、「クイーン・ヒストリー1」の方は見逃してしまったのですが・・・2の方は、1980年の「フラッシュ・ゴードン」のテーマ曲から1991年のフレディ・マーキュリーの死去までを、時系列で追っています。キャリア後期のクイーンの試行錯誤ぶりが如実に伝わってくる映画です。大まかに言えば、ディスコやファンクといったロック以外の音楽を積極的に取り入れていこうとするフレディと、ロック志向のブライアン、みたいなことになるのでしょうか。でも、その振れ幅のなかで出てくるもののクオリティがやはり高い・・・。クイーンとデビッド・ボウイのコラボの話とかも興味深かったです。フレディにとってもボウイは脅威だったのですね・・・ボウイおそるべし。かと思うと、フレディの女装姿も。あんまり見たくない感じではありましたが(爆)。でも、フレディは病に冒されても、最後の最後まで進取の気性を忘れてはいなかったということがわかりました。ゴスペルっぽい歌い方を取り入れたりもしていたのですね。かと思うと、自分の生命の終わりを見据えたかのような曲もありました・・・。

映画は主に評論家のおじさま方の話が主体で、もうちょっと曲の方を聞きたかった、という感はなきにしもあらずです・・・が、ライブ・エイドの映像もありました!「ボヘミアン・ラプソディー」で見た時も鳥肌ものでしたが、本物はさらに圧倒的です。できればフルで見たかったな・・・。映画では、技術が発達すれば、故フレディとメンバーの共演も可能ではないか、ということも言っていました。フレディは“show must go on”と遺言のような言葉を残しました。でも、あの唯一無二の存在は何にも代えがたい・・・。

ところで、この映画を見て、実はフレディの死後にもアルバムがつくられていたということを知りました。その名も“made in heaven”。このアルバムはまだ聴いたことがないのですが、フレディの魂に捧られたかのような“13”を、いつかじっくり聴いてみたいです・・・。
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タイム・リメンバード

2019-05-27 20:53:18 | 映画
アップリンクで「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」を見てきました。

不肖わたくし、ビル・エヴァンスはよく聴いていました・・・っていうか、コピーだってしてましたとも。いまだに、私のなかの「生きて演奏しているところを見てみたかったミュージシャン」ランキングでは不動の1位です(2位はジャコパス)。あの音色の美しさは、生で聴かないと本当のところは伝わらないのでしょうね・・・。著名なミュージシャンの割にはビル・エヴァンスのドキュメンタリーって今までなかったような気がしますが、やっと彼のドキュメンタリーを見る日がきたか・・・と、感無量でした(以下、ネタバレ気味です)。

知っていたことも多かったけれど、はじめて知ることもあったし、知らない方がよかったかも、ということも(爆)。でも、やっぱりファンなので、ビル・エヴァンスがしゃべってる~、っていうだけでもう、胸いっぱいでした。インタビューに答えているミュージシャンも錚々たるメンツです。ポール・モチアン、ジム・ホール、チャック・イスラエル、エディ・ゴメス、ゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネット、トニー・ベネット・・・。白系ジャズのリズム隊の大御所勢揃いですよね。ビル・エヴァンスがジャズという音楽に与えた影響の大きさが窺い知れます。というか、未来永劫、ジャズをやろうという人はビル・エヴァンスの影響を何かしら受けないわけにはいかないのでしょうね・・・。音楽はあれだけ端正で、むしろクラシカルなのに、生きざまはジャズ・ミュージシャンそのものでした。ドラッグに手を出すのもけっこう早く、リヴァーサイド4部作の頃には既にジャンキーでメンバーに説教とかされながらピアノ弾いてたんですね。そして、いつ刺されても、撃たれてもおかしくない人生でした。彼の恋人だったエレインはビルを刺したり撃ったりするかわりに、自らの身を地下鉄の前に投げてしまいました。

ビル・エヴァンスの人生には常に死の匂いがつきまといます・・・メンバーの死、恋人の死、兄の死。それも自死もしくは事故死という死に方です。ビル・エヴァンスの暗さは本質的なものなのかもしれませんが、大切な人々の死がさらに追い打ちをかけたのでしょう。後に子どもも生まれ、一度は幸福な家庭を手に入れたかに見えますが、それも長くは続きませんでした。死に憑りつかれたような生きざまは、時間をかけた自殺とさえ言われました。でも、彼にとって、死は恐ろしいものではなく、救いだったのかもしれません。私はビル・エヴァンスのアルバムでは“You must believe in spring”が一番好きなのですが、なぜかあのアルバムからは死の平安、を思ってしまいます。黄泉とは安らかなところなのでしょうか・・・。

ビル・エヴァンスは「美と真実だけを追求し、他は忘れろ」と言ったそうです。まさにそのとおりの人生でした。そして、あとにはあの美しい音楽だけが残るのでしょう・・・。
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我ら人生のただ中にあって

2019-05-22 20:03:42 | 舞台
東京芸術劇場でローザス「我ら人生のただ中にあって」を見てきました。

先週に引き続き、ローザスです。この演目は前売りが売り切れていたのですが、「至上の愛」を見て矢も楯もたまらなくなり・・・当日券がけっこう出るというアナウンスもあったので、思い切って行ってきました。何とか立見席をゲット。2時間立ちっぱなしなんて、大丈夫か?と思いましたが、ちょうどいい塩梅のところに手すりがあったおかげで何とかなりました。

さて、この作品ですが、なんと、チェロはジャン=ギアン・ケラス氏の生演奏。そして、なんとなんと、ケースマイケル女史ご本人が出演。何ともゴージャスです。女史はもう、出てきただけで場の空気が一瞬にして引き締まる、という感じです。各楽章の冒頭に指でサインを出す仕草がチャーミングな魔女のよう。舞台上にテープで謎のサインが張られていくのも何かの儀式のようでした。ラフな格好をした黒衣のダンサーたちが踊ります。ソロあり、デュオもあり、最後の章では皆が踊る・・・。ケラス氏も単なる奏者の域を超えて、メンバーの一員のようでした。それにしても素晴らしい演奏でしたね。軽やかにして芳潤。ダンサーが踊っている間は控えめなのですが、ソロになると音の世界に引き込まれてしまいます。いつか、単体でも聴いてみたいな・・・。作品自体はザ・コンテンポラリーという感じでしたが、軽やかさのなかに深淵を見るような。バッハの音楽自体がそういうものなのかもしれませんね。「我ら人生のただ中にあって」の後には、「死に取り囲まれている」という言葉が続くのだそうです。生は死に含まれ、死は生に含まれているのかもしれません・・・。

帰りに東京芸術劇場の中にある「ビチェリン」で看板ドリンク「ビチェリン」をいただいてきました。コーヒー風味のビターで濃厚なチョコレートドリンク。美味しゅうございました。生クリーム、コーヒー、チョコレートが綺麗な層になっていたのを、うっかりかき混ぜて飲んでしまいましたが、これはかき混ぜないで飲むものだったらしいです・・・(爆)。
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クリムト

2019-05-21 20:10:35 | 美術
東京都美術館で「クリムト展」を見てきました。

開催を知ったときから楽しみにしていた展覧会です。私が行ったのは10連休の最中だったので、けっこうな賑わいでしたが・・・。

展覧会の冒頭にはクリムト様のお写真が。その履歴からかなりのイケメンを妄想していましたが、うむむ・・・でも、とっても猫好きだったということはわかりました!まずは「ヘレーネ・クリムトの肖像」が愛らしい。白い服を着た儚げな美少女。クリムトの姪っ子ちゃんのようです。日本の作品の影響を受けたと思われるものも。「女ともだち」は琳派のような浮世絵のような。「赤子(ゆりかご)」は色とりどりのおふとん(?)が鮮やか。錦絵の影響らしいです。そしてやはり、「ウィーン分離派」のコーナーが圧巻でした。今回の展覧会の目玉、「ユディト」はとにかく妖艶。金と黒、唇の赤がアクセントとなってゴージャス。「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」は今回、一番好きな作品でした。透けるような女の白い肌、水の青の透明感。何と「ベートーヴェン・フリーズ」の原寸大複製も。しかも、第九がBGMという念の入れようです。素晴らしい。「鬼火」も妖しい作品です。かと思うと、打って変わって風景画のコーナーが。普通に風景画も描いていたのですね。「丘の見える庭の風景」はむせ返るような緑と花の匂いが漂ってきそうな作品。最後の章は「生命の円環」。ウィーン大学の講堂の天井画・・・になるはずだった作品の習作が。暗く耽美な作品ですが、性愛を描いているということで却下されたようです。そして「女の三世代」。赤子とその若い母、老婆が描かれています。老婆の描き方が容赦ないです。クリムトは歳とった女は好きではなかったのだろうな・・・。「亡き息子オットー・ツィンマーマンの肖像」は生後80日で亡くなったクリムトの息子を描いた作品です。天使のような姿・・・。「家族」は眠る3人の母子を描いた作品ですが、背景は真っ黒。クリムトは家族というものにあまりいいイメージがなかったのでしょうか。そういえば、あれだけ女出入りが激しかった割には生涯結婚することはなかったのですよね・・・。

というわけで、クリムトの世界を堪能してまいりました。匂い立つような官能性、という言葉がこれほどふさわしい画家はほかにいませんよね・・・。そして、ふと、今から20年も前のことですが、ウィーンに行った時のことを思い出しました。分離派会館には金色のキャベツのようなドームがのっていたなぁ・・・またいつか、ホテル・ザッハーでザツハトルテでも食べてみたいものです。
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至上の愛

2019-05-16 19:02:12 | 舞台
東京芸術劇場でローザス「至上の愛」を見てきました。

あの「至上の愛」がコンテンポラリーダンスになるといったいどういうことになるのか・・・興味津々というか、半ば怖いもの見たさみたいなものもありました。公演から数日経った今になっても、なんと感想を書いていいかわからないのですが・・・。

何というかもう、胸アツになるような作品でした。スタンディングオベーションしている方もけっこういらっしゃいましたね。クールで熱い、黒衣の男4人の踊り。その姿はまさに音の化身のようで、この曲の崇高さを踊りで見せてくれました。私が初めてこの曲を聴いてから、四半世紀もの時が経ちますが、この音楽が即興で生まれたというのは、本当に奇跡だったんだな・・・ということを、ダンスを通してあらためて思い知りました。コアなジャズファンから見れば、グルーヴが・・・とかあるのかもしれませんが、ジャンルの垣根をとっぱらって、ある至高の瞬間が見られればそれでよいのかも、と思いました。光を求めて山頂に辿り着くルートは一つではないよね・・・。そして、今どきの若い方がジャズをどれくらい聴いているかわかりませんが、このダンスを見て、コルトレーンの音楽やジャズに興味を持ってくれる人が出てきたらいいなあ・・・と思わずにはいられませんでした。

興奮さめやらぬままに池袋駅のあたりをうろうろしていたら、「cheeseとはちみつ」というお店が目に入り・・・プリンとタルトを買ってきました。家に帰ってから、タルトをレンジで温めて食べてみたら、生地がサクサクでおいしゅうございました。
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ボヤージュ

2019-05-06 23:40:08 | 音楽
ラ・フォル・ジュルネ2019に行ってきました。

今年、選んだ演目は「藤倉大が考えるボヤージュ」です。藤倉大さんもだいぶ前から興味をもっていた作曲家さんなのですが、なかなか聴きに行く機会がなく・・・今回は藤倉さんの曲に加え、ライヒのディファレント・トレインズも演奏されるということだったので、これはもう行かねば・・・ということでようやく行ってまいりました。

1曲目はディファレント・トレインズ。昔から好きな曲だったので、生で聴けるというだけでもう感無量・・・何年か前に日本でも演奏されていたのを聞き逃して、地団駄踏んでいただけになおさらです。エモ系ミニマルとでも言いたくなるような曲で、聴いているとじわじわとこみ上げてくるものがあります。なぜか銀河鉄道の夜を思い出してしまう・・・。2曲目は、藤倉さんのマナヤチャナから「Puyu(雲)」。私にとっては、峻険な山の頂から眺める雲海のイメージです。笹久保伸さんのギターが本当に素晴らしかったです。最後は藤倉さんのサイレンス・シーキング・ルス(日本初演)。藤倉さんと長年コラボしているというハリー・ロス氏のテキストによる曲です。どことなくシュールな趣の詩です。繊細で綺麗な曲。ソプラノの三宅理恵さんのお声が天女の声のようでした・・・。

ライヒと藤倉さんの曲が一続きで演奏されても違和感なく、ここちよいプログラムでした。令和初のコンサートで清らかなひとときを過ごしたのでした・・・。
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