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アートネタなど日々のあれこれ

ボレロ 永遠の旋律

2024-09-30 23:24:20 | 映画
TOHOシネマズシャンテで「ボレロ 永遠の旋律」を見てきました。

音楽史に残る傑作「ボレロ」の誕生の秘密を、史実をもとに解き明かす音楽映画です。この名曲は実は作曲者のラヴェル自身が最も憎んでいた曲でもあったという…それはいったいなぜなのか…(以下、ネタバレ気味です)。

1928年のパリ、ラヴェルは、ダンサーのイダ・ルビンシュタインからバレエの音楽を依頼されたものの、一音も書けずにいた…というところから話が始まります。編曲の名手でもあったラヴェルは既成曲を編曲して提供しようとするものの、曲の権利が既に他人にわたっていたことを知り、自身で曲を創ることに…。工場の機械音や家政婦の好きな流行歌などからヒントを得て、ボレロを完成させるのですが…。

ラヴェルの音楽の魅力は非常に理知的なところと官能的あるいは陶酔的なところが絶妙なバランスで同居しているところかと思いますが、この映画では官能的なところは本人の意図したところではなかったというスタンスです。ボレロも本人的には新しい時代を礼賛する意図で作曲したのですが、ラヴェルの音楽の特性をダンサーは鋭く見抜いていたのでしょう…この曲に非常に官能的な振付をします。これにラヴェルが激怒。さらにこの曲の大成功に「キャリアが飲み込まれてしまった」と…他の曲が埋もれてしまうという結果にラヴェルの苦しみが深まります。

この映画ではラヴェルの人生、どちらかというと影の部分にも焦点を当てています。思いのほか挫折の多い人生だったのですね…戦争の傷、ローマ大賞に5度の落選、盗作疑惑、母の死、自身の脳の障害…。晩年は、楽想はあるのに譜面に起こせないという状態に陥ります。さらに病が重くなると、ボレロのレコードを聴きながら「この曲誰が作ったの?悪くないね」と…。

それにしてもボレロって凄い曲ですよね…1分間のテーマが17回繰り返されているというだけの曲が時代を超え地域を超えて人を熱狂させているのです…映画のオープニングでもボレロのさまざまなアレンジの映像が流れますが、まさに永遠の旋律。さらに、この映画ではボレロ以外のラヴェルの名曲も使われています。ピアノ曲も海に沈む落日のような美しさ…思い出したのは教授の音楽です。教授はドビュッシーに傾倒していましたが、どちらかというとドビュッシーよりラヴェル寄りだったのでは…と今さらながら思い始めました。それにしても、エンドロールで使われていたあの曲は天国のような美しさだったなぁ…。
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アルディッティがひらく

2024-09-29 23:58:51 | 音楽
サントリーホールサマーフェスティバル2024「アーヴィン・アルディッティがひらく オーケストラ・プログラム」に行ってきました。

とは言っても、行ってからだいぶ日が経ってしまいましたが、自分の心覚えのために…。今回、プロデューサー・シリーズに登場したのはアーヴィン・アルディッテイ氏。氏の率いるカルテットは今年で創立50周年ということです。この日はクセナキスのオーケストラ曲を2曲も演奏するらしい…しかもアルディッテイ氏のソロもあるらしい…ということで、いそいそと行ってまいりました。

1曲目は細川俊之「フルス(河)」。いかにも細川氏らしい幽玄な響きの曲。弦楽四重奏が人、オーケストラが自然、宇宙と捉えられています。原型はアルディッティ・カルテットのために書かれた小曲で、この曲はカルテットの40周年のお祝いとして書かれたものだそうです。2曲目はクセナキス「トゥオラケムス」。祝祭的な響きをもつ小品。金管楽器のファンファーレから始まるこの曲は武満徹氏の60歳を祝うコンサートのために書かれました。ちなみにタイトルの「Tuorakemusu」とは「武満徹」のアナグラムなのだとか。アルディッティ氏と武満氏の間には絶大なる信頼関係があり、「私にとって武満は、日本の現代音楽界の王」とも語っています。3曲目はクセナキス「ドクス・オーク」。この曲が圧巻でしたね…巨大な音塊が迫ってくるようでした。この曲ではアルディッティ氏のソロも…ソリッドな演奏。この曲はアルディッティ氏に献呈、初演されています。アルディッテイ氏は「クセナキスは、私の若い時期から長い間に渡って一番影響を受けた作曲家」と語っています。最後はフィリップ・マヌリ「メランコリア・フィグレーン」。マヌリ氏は今回のテーマ作曲家です。魔境を探検しているような曲でした。この曲もアルディッティ・カルテットのために書かれていますが、曲の土台となっている弦楽四重奏曲はアルブレヒト・デューラーの銅版画「メランコリア」に着想を得ています。画に描かれている四次魔法陣から派生した数の組み合わせを用いて作品の基本構造を決定したということですが、多彩な音像が次々と現れては消え、現れては消えする摩訶不思議な曲でした…。

アルディッティ氏と音楽家たちとの絆、日本との縁…そういったものが浮かびあがってくるプログラムでした。また、アルディッティ・カルテットが現代音楽の世界で重要な役割を果たしていたことをあらためて認識させられる機会ともなりました。いろいろな意味で創立50周年のお祝いにふさわしいコンサートでしたね…。
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空想旅行案内人

2024-09-28 23:59:31 | 美術
東京ステーションギャラリーで「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」を見てきました(展示は既に終了しています)。

ジャン=ミッシェル・フォロンの日本で30年ぶりとなる大回顧展です。あの独特の淡く美しい色彩を生で見てみたい…と思い、行ってきました。展覧会ではフォロンの初期のドローイングから水彩画、版画、ポスター、晩年の立体作品まで展示しています。ちなみにこの展覧会のタイトルはフォロンが自分で作って使っていた「フォロン:空想旅行エージェンシー」という名刺からとられたのだそうです。

今回の展示は展覧会を旅に見立てたような構成になっていました。プロローグは「旅のはじまり」。ドローイングや彫刻などでフォロンの世界を概観できます。初期のドローイングの線の鋭さ確かさ、センシティブな感覚が印象的でした。帽子をかぶった謎の人物、リトル・ハットマンも登場…フォロンの分身のようなリトル・ハットマンは初期から晩年に至る重要なモチーフとなりました。第1章は「あっち・こっち・どっち」。フォロンは矢印に取りつかれたかのように、あちこちを指し示す矢印を描いた作品を残しました。その矢印は人を惑わすようでもあり、進む道は一つに限らないことを示すようでもあり…。第2章は「なにが聴こえる?」。フォロンはファンタジックなタッチで社会問題や環境問題をテーマにした作品も数多く描いています。淡く美しい色彩で世界の現実をシニカルに描く…「耳を澄ませば、世界が動いている音が聴こえてきます」と語っていたフォロンには世界の不穏な響きが聴こえていたのでしょうか…。第3章は「なにを話そう?」。フォロンは企業や公共団体からの依頼でポスターも数多く手がけました。「グリーンピース 深い深い問題」は一見、美しい海を描いた作品のようですが、色とりどりの魚に見えたものは…。「世界人権宣言」の挿絵も手がけていますが、そこには美しい未来と恐ろしい現実が描かれています。「HIROSHIMA 太田川の七つの流れ」のポスターも。当時、この作品を見に行きました…フォロンのポスターだったのですね。エピローグは「つぎはどこへ行こう」です。旅、出帆、道、夜明け…果てなき旅を思わせるタイトルの作品が続きます。その旅は現世にとどまらないのかもしれません。「私はいつも空を自由に飛んで、風や空と話してみたいと思っているのです」と語っていたフォロンの魂は今も自由に旅を続けているのでしょうか…。

さて、アートといえば美味しいもの…ということで、この日は東京駅近くにある「電光石火」に寄ってきました。見たことのないようなドーム型のオムレツ風お好み焼き。牡蠣入りのお好み焼きをいただきましたが、プリプリの牡蠣が美味しゅうございました…。
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BLUE NOTE ハート・オブ・モダンジャズ

2024-09-27 23:09:03 | 映画
角川シネマ有楽町で「BLUE NOTE ハート・オブ・モダンジャズ」を見てきました(上映は既に終了しています)。

Peter Barakan's Music Film Festival2024の一環として上映されていた、ジャズ界の名門レーベル、ブルーノートの軌跡を追ったドキュメンタリーです。この映画はユリアン・ベネディクト監督が1997年に撮った映画で、レジェンド達の現役バリバリの頃の姿を見ることができます。この映画はヴィム・ヴェンダースがプロデュースした「ブルーノート・ストーリー」という映画の元ネタにもなっています。私はヴェンダースの映画も見ましたが、ヴェンダースの映画は創設者に、こちらの映画はミュージシャンたちの方に焦点を当てているという感じでした(以下、ネタバレ気味です)。

映画はドイツ系移民のアルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフがヒトラーによる迫害を逃れてアメリカにわたり、ブルーノートを創設したところから始まります。二人に音楽経験はありませんでしたが、いい音楽を聴き分ける耳は持っていて、外すことはなかったようです。なぜか絶対グルーヴ感のようなものがあって、彼らが踊り出せばOKということでした。映画にはライオンの元妻も登場。音楽を本気で愛している男に対しては、女は音楽に勝てない、と嘆いていましたね…。映画には比較的若かりし頃のレジェンド達も多数登場します。フレディ・ハバード、ホレス・シルヴァー、マックス・ローチがけっこうしゃべっていて、こんなにしゃべる人だったんだ…とちょっと驚き。若い頃のカサンドラ・ウィルソンもかっこいい。大西順子さんも出演していて、「大西順子といいます、ピアノを弾いてます」と初々しくご挨拶された後、ピアノをバリバリ弾いていらっしゃいました。かと思うと、サンタナがコルトレーン愛を切々と語る場面も。ライオンがジミー・スミスに入れ込んでしまい、レーベルをたたんでジミー・スミスのマネージャーになると言い出した…というエピソードもありましたが、もし実現していたらその後のジャズ史が変わってしまったかも…。

多くの傑作を世に送りだしたものの、レーベルは経済的苦境に陥り、1966年にライオンはブルーノートを売却、その後、1971年にウルフが、1987年にライオンが亡くなります。しかし、二人が制作した大量のレコードは後年にわたって聴かれ続け、発掘したミュージシャンたちは音楽史に残る存在となって今に至ります…。

私が行った日はピーター・バラカンさんと音楽ライター柳樂光隆さんのアフタートークがありました。かなりコアなお話をされていましたね…。お二人のコンピレーションアルバムの話や、ブルーノートの映画は作られた時期によって違いが出るというお話も。知らなかったミュージシャンの話もたくさん出ていました。やはりブルーノートの世界は奥が深いです…。
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ヴァタ~箱あるいは体~

2024-09-26 23:59:03 | 映画
ユーロスペースで「ヴァタ~箱あるいは体~」を見てきました(この映画館での上映は終了しています)。

マダガスカルの死生観に魅せられた日本人監督が撮影した映画です。高校時代からマダガスカルの音楽に魅せられてきた亀井岳監督は、この映画を全編マダガスカルロケで、マダガスカル人のキャストのみで製作しています。ちなみにヴァタとはマダガスカル語で「箱」あるいは「体」を指しています。そして、この映画では「箱」には楽器の箱、遺骨を入れる箱の二つの意味があるようです…(以下、ネタバレ気味です)。

少年タンテルが出稼ぎ先で亡くなった姉ニリナの遺骨をルールにのっとって持ち帰るよう長老に命じられ、付添の3人の男たちとともに旅に出ます。無事に遺骨を故郷に持ち帰ることができれば、ニリナは「祖先」になることができるということなのですが…。4人は楽器を鳴らし、歌を歌いながら旅を続けます。実はこの4人は全員、音楽経験があり、なかでも離れ小屋の親父役のサミーはマダガスカルを代表するミュージシャンとして「大海原のソングライン」にも出演しています。彼らは途中、出稼ぎに行ったまま行方不明になった家族を探すルカンガの名手・レマニンジに遭遇します。4人ははたして遺骨を無事に持ち帰ることができるのか、はたまたレマニンジは家族を見つけることができるのか…。

映画はロードムービー風の展開ですが、後半になってマジックリアリズム的な要素も加わり、どことなくアピチャッポン監督の映画も彷彿とさせます。マダガスカルの美しい自然、現地の素朴な人々…さながら現地を旅しているような気分になりました。独特の色彩も音楽も素晴らしい。そして、この映画では音楽が重要な役割を果たしています。音楽はマダガスカルの死生観とも重なります。楽器は箱でその中には記憶があり、箱を通じて死者とも会えるのだと。マダガスカルでは、人生は永遠に続き、死はその通過点に過ぎないのだそうです。そして、音楽によって祖先と交わるのだと。ラストに焚火を囲んで生者と死者が共に歌い踊ります。トランス状態に入ったような演奏と踊りが圧巻でした。やはり生と死は地続きにあるのかもしれません…。

世界にはまだまだ見たこともない風景や聴いたことのない音がたくさんある…日本からマダガスカルは遠いですが、映画のおかげでこうしてかの地の光や音を感じることができます。映画って本当に世界に開かれた窓ですね…。
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リビングルームのメタモルフォーシス

2024-09-25 00:51:01 | 舞台
東京芸術劇場で「リビングルームのメタモルフォーシス」を見てきました。

演出家・作曲家として世界的に知られている岡田利規さんと藤倉大さんの初めてのコラボレーションです。チェルフィッチュのことは以前から気になっていたのですが、今回はなんと藤倉大さんの音楽、しかも演奏はアンサンブル・ノマドということで、いそいそと行ってまいりました。岡田さんによると、「音楽劇というより、そういう名の冠された何か、音楽と演劇の拮抗からなる何か」というこの作品、いったいどんな展開になるのでしょうか…(以下、ネタバレ気味です)。

俳優6人、演奏家7人によって演じられるこの舞台、演奏家は舞台の前方で生演奏し、俳優は後方で演じています。俳優たちが演じるのは家族らしき人々。彼らは軟体動物のように体をゆらゆらと揺らしながら、淡々と棒読みで台詞を言っています。舞台は日当たりのよいリビングルーム。家主からの突然の退去通告に動揺する一家の元に謎の生物(?)が現れ…。

この作品はこれまでジャンルの垣根を超える作品に挑戦してきた岡田さんが、演劇と音楽の新たな付き合い方に挑んだ作品だそうです。何というか、音楽と演劇が溶け合うような、不思議な作品でした。伴奏でもなく、対立でもなく、寄り添うでもなく…融解。作品自体、世界が溶解するさまを見ているかのようでした。ざわざわするような些細な違和感がいつしか世界の変容へとつながっていくさまが不気味です。自分が確かに立っていたと思っていた世界とはいったい何だったのか…世界は壊され、再生する…。

さて、この日は劇場近くの自由学園明日館にも寄って行きました。フランク・ロイド・ライトの名建築です。池袋にいながらにして、海外にいるような気分に。大げさな建物ではないのに、その空間の中にいるだけで癒され、豊かな気持ちになれる…建築の力をしみじみと味わいました。喫茶券付きの券を買い、コーヒーとパウンドケーキをいただいてきました。パウンドケーキは小ぶりながらしっかりしたお味で美味しゅうございました…。
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スオミの話をしよう

2024-09-23 23:33:10 | 映画
TOHOシネマズ池袋で「スオミの話をしよう」を見てきました。

三谷監督の5年ぶりの新作映画です。「記憶にございません!」からいつの間にか5年も経っていたのか…本当に時の経つのは早いです。ひさびさの映画、しかもミステリーコメディらしいということで、映画のことを知った時からずっと公開を心待ちにしておりました。

まだ公開されたばかりですし、一応ミステリーなのでネタバレしませんように…。長澤まさみさんが演じる著名な詩人の妻スオミが行方不明になったのですが、夫である詩人は大ごとにはしたくないと言いはります。スオミの過去の夫たち(4人!)が続々と屋敷に集まり、スオミの謎について話し合うのですが、彼らの思い出の中のスオミはなぜか人物像がかけ離れており…というお話です。人に合わせるのが得意なスオミが夫たちの望む妻像を察知して演じ分けていたということなのですが、それにはスオミの生い立ちが影響しているようです…。

ツンデレ妻、強い妻、中国人妻、頼りない妻、活発な妻…さまざまな妻像を演じ分ける長澤まさみさんの七変化ぶりが見ものでした。スオミは男たちを手玉に取っていたのか、はたまた男たちに依存していたのか、謎です。男たちは男たちで誰が一番スオミを愛していたのか、誰が一番スオミに愛されていたのかを議論します。スオミは皆を愛していたかもしれないし、誰のことも愛していなかったのかもしれません。底には虚無があるような気もするし…。ただ、彼女には宮澤エマさん演じる親友の薊がいて、この友情は本物のようです。そんなスオミが望んでいた未来とは…。ちなみにスオミとはフィンランド語でフィンランドのことらしいです。

夫婦とは何ぞや、というか人間関係とは何ぞや…についても考えさせられてしまう映画でした。スオミほど極端ではなくても、相手によってキャラを演じ分けてしまうことは誰にしもあるだろうし、長年連れ添った夫婦でも相手には絶対見せていない顔があるはず…。誰に対峙している時の自分が本物なのだろう、そもそも本当の自分って…などと考えはじめると訳が分からなくなってきますよね。三谷監督の作品って笑いの中にもひっそりとダークな要素が忍ばせてあるような気がします。この作品には賛否両論あるようですが、そういう意味で期待を裏切らない作品でした。

さて、この日は映画館の近くの「鶏の穴」でランチにしてきました。白鶏ラーメン(卵のせ)をいただきましたが、ポタージュのようなとろみがありながらもすっきりした味わいのスープが美味しかったです。煮卵もお店の焼き印入りでかわいかったなぁ…。

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NEO-SYMPHONIC JAZZ at 芸劇 2024

2024-09-22 23:54:23 | 音楽
東京芸術劇場で「NEO-SYMPHONIC JAZZ at 芸劇 2024」を聴いてきました。

…と言っても、実際に行ってからけっこうな日数が経ってしまいました。が、自分の心覚えのために…。ジャズ作曲家の挾間美帆さんがプロデュースするこの公演、6回目となる今回はマリア・シュナイダー氏が作曲家・指揮者として満を持しての登場。挾間さんはこのシリーズを始めた時から、マリアさんを招聘することが夢だったそうです。全てマリアさんの楽曲で構成されたプログラム、どんな展開になるのか、期待は膨らみます…。

コンサートは2部構成になっており、PART1は池本茂貴islesが演奏していました。1曲目は“Wyrgly”。初期に作曲された、モンスターを描いたという曲。イントロはマイケル・ブレッカーのEWIをイメージしたのだとか。2曲目は“Journey Home”。この曲好きなんですよね…懐かしくて泣ける曲。生で聴くとひときわ沁みます。3曲目は“Sky Blue”。天上の青を思わせる曲。この曲はマリアさんの友人に捧げられた曲で、余命わずかだった友人が医師から言われた「現実は空のようなものだ―あなたの心のなかの愛のように不変だから」という言葉がタイトルの由来になっているそうです。ソプラノサックスのソロが美しかった…。4曲目の“Dance you monster to my soft song”はダーク&シリアスな路線の曲ですが、デヴィッド・ボウイもこの曲が好きだったとか。PART1の池本茂貴islesは繊細かつエネルギッシュな演奏でマリアさんの音楽の世界観を表現してくれました。それにしてもこの感じどこかで…と思ったら、池本さんは慶應ライトのOBの方だったのですね…。

PART2は特別編成チェンバー・オーケストラによるによる演奏です。なんとマレー飛鳥さんも登場。1曲目は“Hang Gliding”。もう大大大好きな曲です。今回は挾間さんのアレンジでストリングスが入って、より色鮮やかな世界が開けていました。何と言うか、感無量です…。2曲目の“Sanzenin”はマリアさんが2017年の来日時に訪れた京都の三千院にインスパイアされた曲ですが、禅のような静謐さ。マリアさんは実はアルバム“Data Lords”の中でこの曲が一番気に入っていたのだとか。ラストは“Carlos Drummond de Andrade Stories”。この曲はアメリカを代表するソプラノ歌手、ドーン・アップショウの依頼により作曲された現代音楽で、2014年にグラミーの最優秀現代音楽作品部門を獲得しています。マリアさんは現代音楽にトラウマがあるそうですが、この曲はいかにもマリアさんらしい、メロディアスで美しい現代音楽でした。ソプラノの森谷真理さんもマレー飛鳥さんも本当に素晴らしかった…。

そんなわけで夢のような一夜でした。颯爽と指揮をするマリアさんは本当に慈愛に溢れた音楽の女神様のようでしたよ…。日本まで来てくださったマリアさん(しかも今回のために指揮を学びなおしに行ってくださったらしい…)、そして企画してくださった挾間さんに心から感謝です…。
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トノバン

2024-09-21 23:54:00 | 映画
恵比寿ガーデンシネマで「トノバン」を見てきました(この映画館での上映は既に終了しています)。

作曲家、プロデューサー、アレンジャーとして時代を先駆けた活動をしてきた音楽家・加藤和彦氏の初のドキュメンタリーです。この映画の制作のきっかけは、監督の相良裕美さんが「音響ハウス」の試写会の時に、高橋幸宏さんに「トノバンって、もう少し評価されても良いのじゃないかな?」と声をかけられたことだったそうです。加藤さんのことなら、と協力を申し出る方も多く、取材は1年で約50人にも及んだとか…多くの方の証言を得てとても見応えのある映画になっていました(以下、ネタバレ気味です)。

映画は加藤氏の生い立ちにさかのぼります…氏は京都で生まれ、高校時代を日本橋で過ごしますが、その頃に早くも輸入盤のレコードを取り寄せ、ギターを始めています。その後、京都の大学に進学し、フォーク・クルセーダーズを結成…メンズクラブにメンバー募集の広告を載せればお洒落なメンツが集まると考えたのだとか。そして、「帰って来たヨッパライ」がラジオで流れたのをきっかけに注目を浴びます。解散後はソロ活動を開始し、「あの素晴らしい愛をもう一度」をリリース。その後、ロックに転じ、妻のミカとサディスティック・ミカ・バンドを結成します。ロキシー・ミュージックなどを手掛けていたクリス・トーマスがプロデューサーとして名乗り出て、イギリスツアーも実現しますが、ミカがクリス・トーマスの元に奔り、離婚してバンドも解散。その後、ふたたびソロ活動でヨーロッパ三部作を発表、さらに映画音楽なども手がけています。1989年にはサディスティック・ミカ・バンドが再結成…「天晴」は私も当時リアルタイムで聴きました。その他にも日本初のPA会社の設立、ファッションブランド設立といった活動もしていましたが、2009年、自らの意志でこの世を去ります。

映画には今やレジェンドの錚々たる人々が登場し、加藤氏について語っていますが、尊敬を通り越し、畏怖の念すら感じます。盟友の北山修氏は、彼みたいな人にあったことはない、彼はミュータントだった、と。高中正義さんは加藤氏を失った悲しみをギターで表現していましたが、本当に胸を衝かれるような音でした。加藤氏が見出したミュージシャン達がJ-POPの礎を築いたと言っても過言ではなく、これだけの仕事を一人の人間が成し遂げたということに空恐ろしさすら感じます。まさにセンスの塊。そして、この映画で一番強く印象に残ったのは50年後、100年後も残る音楽を作る、という言葉でした。映画のラストではきたやまおさむさん、坂崎幸之助さん、高野寛さん、高田漣さん、坂本美雨さんらが「あの素晴らしい愛をもう一度」をレコーディングしています。今聴いても完璧な曲ですよね…この曲がリリースされてから50年を過ぎ…あの言葉が現実になりました…。
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ハーダー・ゼイ・カム

2024-09-20 23:10:42 | 映画
ヒューマントラストシネマ渋谷で「ハーダー・ゼイ・カム」を見てきました(上映は終了しています)。

レゲエのアーティスト、ジミー・クリフが主演・音楽を務めた映画です。この映画はジャマイカ初の商業映画で、レゲエの存在を世界に知らしめることになりました。ジミー・クリフのほか、ザ・メイタルズ、ザ・スティッカーズ、ザ・メロディアンズといったレゲエ・ミュージシャンが参加したサントラは米国議会図書館の国家保存重要録音物登録簿に登録され、米ローリングストーン誌の歴代最高のアルバム500にも選出されています(以下、ネタバレ気味です)。

映画はジャマイカの農村からレゲエ歌手を夢見て大都会のキングストンに出てきた青年アイヴァンが、自作曲「ハーダー・ゼイ・カム」をレコーディングする機会を得たものの、曲は安値で買い取られ、いつしか犯罪に手を染めることとなってしまい…というお話です。映画の後半の方は実在の犯罪者がモデルになっているのだとか。カルトっぽい独特の熱気がある映画でしたね…ジミー・クリフの存在感、そして何といっても音楽が素晴らしかったです。「ハーダー・ゼイ・カム」のレコーディングのシーンも。あるシーンで“Many Rivers to Cross”がかかるのですが、これがまた切なかった…。教会のゴスペルのシーンも迫力がありましたね。音楽劇映画のようですが、ジャマイカの暗部も生々しく描かれていて、この国にしてこの音楽が生まれたのね…というのがひしひしと伝わってきました。

私が行った日は上映後に上田正樹さんのトークイベントがありました。上田さんはもう70歳を過ぎていらっしゃいますが、すらりとした長身で若々しかったですね…。ジミー・クリフと下北の飲み屋で二晩飲み明かしたという思い出話をされていました。とにかく音楽に対する熱量が凄かった、そしてやはり声が素晴らしかったそうです。また、亡くなる少し前のボブ・マーリーに会った時のお話も。暑い時期にもかかわらず毛布にくるまって寒そうにしていたけれど、眼がものすごく綺麗だったとか。レゲエという音楽は、ゆったりした音楽に聴こえるけれど、実は高速で演奏しているというお話もされていました。上田さんは音楽について語り出すともう止まらないという感じで、会場の人々に向かって、何でも聞いて!と何度も呼びかけておられたのが印象的でした。上田さんは1978年にハーダー・ゼイ・カムをカバーされていますが、こちらもかっこいいんですよね…しかもバックはStuff…。
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アンゼルム

2024-09-09 01:18:00 | 映画
ヒューマントラストシネマ渋谷で「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」を見てきました(この映画館での上映は既に終了しています)。

こちらも公開を知った時から楽しみにしていた映画です。ヴィム・ヴェンダースが撮ったアンゼルム・キーファーの映画、なんて考えただけでわくわくしてしまいますよね。しかもなんと3D映画らしい…ということで、いそいそと行ってまいりました(以下、ネタバレ気味です)。

この映画はアンゼルム・キーファーの生涯と現在を追っていますが、ドキュメンタリーのような映像詩のような不思議な作品になっています。途中、再現ドラマもありますが、キーファーの青年期をキーファーの息子が、幼少期をヴェンダースの孫甥が演じています。映画は主にフランスのバルジャックにあるキーファーのアトリエで撮影されています。このアトリエが驚くほど広大…3Dで撮影されたのはこのためなのでしょうか。アトリエは作品の所蔵庫や図書館を兼ねており、キーファーはこの中を口笛を吹きながら自転車でスイスイと移動しています。キーファーの壮大な世界観を持つ膨大な作品群はこの壮大なアトリエから生まれたのですね。人間の傷と原罪、救済を圧倒的なスケールで描き出す、まさに不世出のアーティスト…。映画はキーファー自身とその作品の人間離れした様相を過去と現在、現実と幻想を織り交ぜながら、淡々と、そして美しくとらえています。

ところで、キーファーとヴェンダース監督は同じ1945年生まれ、旧知の仲だったそうです。実は映画監督になりたかったキーファーと、実は画家になりたかったヴェンダース。二人が一緒に映画を作ろう、と話したのは90年代のことでした。このお二人も運命の出会いですよね…そして、約30年前の構想が今、実現したということにも何らかの意味があるのかもしれません。

その後、表参道のファーガスマカフリー東京で開催されていたキーファーの個展「opus magnum」も見てきました(展示は既に終了しています)。ガラスケースの作品と水彩画、あわせて20点が展示されていましたが、廃墟をイメージさせるオブジェとは対照的な水彩画の瑞々しさが印象的でした。画家のパレットとともに展示されていた水彩画を見て青木繁の「朝日」を思い出しました…。キーファーの個展は実に26年ぶりだそうですが、そうか、あれから26年も経ってしまったのか…。

さて、例によってアートといえば美味しいもの…ということで、この日はギャラリー近くの「青山シャンウェイ」でランチにしました。日替わり定食をいただきましたが、とりわけ薬膳スープが美味しかったです…体も心も癒されるような、滋味あふれる一品でした。
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