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アートネタなど日々のあれこれ

幻の食器

2019-11-23 12:10:41 | 美術
智美術館で「藤本能道 生命を描いた陶芸家」を見てきました。

今年は藤本能道の生誕百年なのだそうです。前回、智美術館で開かれた展覧会は見逃してしまったので、今度こそはと思い行ってきました。「幻の食器」のシリーズも出るそうですし。この美術館とはゆかりの深い陶芸家だったのですね・・・。

藤本能道は色絵磁器(磁器の表面に色絵具で絵や模様を描き、焼きつける製陶技術)の重要無形文化財保持者です。色絵磁器の大家である富本憲吉に師事していたこともあるそうです。白磁の上に水彩画のような繊細さで自然界の諸々を描いています。「幻の食器」は1976年の植樹祭の折に、菊地家の施設に宿泊された昭和天皇と皇后の晩餐用に、菊地智氏が制作を依頼したものです。鳥や果物、草花が描かれた食器の数々。まさに精魂を込めたというか、自然界が凝縮されたような作品です。食器の世界というのはかくも豊かになりうるものなのですね。その他の作品にも自然を瑞々しく描かれていますが、とりわけ動物シリーズが愛らしい。鳥、蝶、虫・・・。むくむくのフクロウ、色鮮やかなカワセミ、輝くような蝶・・・。背後に描かれた自然の風景と一体となって、独特の奥行、空気感を生み出しています。今回は藤本能道の最後の作品群、「陶火窯焔」のシリーズも展示されています。燃え盛る焔を背景に蝶が描かれた作品は速水御舟の「炎舞」を彷彿とさせます。炎舞は魔性を感じさせるとしたら、こちらは浄化を感じさせます・・・。

さて、例によって鑑賞後はランチ・・・ということで、神谷町の駅近くの和食屋「ふる」に行ってきました。ここはお魚が美味しい。寒ブリの漬け丼を頼みましたが、新鮮で美味しゅうございました。

秋の印象派まつり

2019-11-18 23:39:24 | 美術
秋の一日、上野で展覧会のはしごをしてきました。

まず向かったのは、上野の森美術館の「ゴッホ展」です。ゴッホ展はこれまで何度となく見ているので、この展覧会はどうしようかな・・・と思っていたのですが、やはり行ってよかったです。「ゴッホがゴッホになるまで」を丁寧に追った展覧会という感じで、見ごたえがありました。作品数は約80点ほどですが、点数以上の重量感があります。展覧会はほぼ時系列で構成されていましたが、特にハーグ派と印象派との関わりに焦点が当てられています。初期にはミレー似の生硬な作品も。その後、ゴッホの親戚でもあり師匠格でもあったアントン・マウフェの教えにより、農民の生活を描くようになります。「疲れ果てて」は憔悴しきった農民の姿。そして、初期の傑作「ジャガイモを食べる人々」が生まれましたが、この作品は友人の画家から酷評されてしまいます。同じく初期でも「雨」という作品はソール・ライターの写真のようで何となく好きでした。1886年にはパリに移住、そこで印象派と出会い、それまでのモノクロに近いような世界から一気に総天然色(←古い・・・)の世界へ変貌を遂げます。ここではモンティセリの作品も数点出ていましたが、ゴッホに与えた影響が如実に見て取れます。「麦場畑」は輝くような秋の風景。サン=レミの療養院に移ってからの作品は、もはやこの世ならぬ光景のようにも見えます。「サン=レミの療養院の庭」のむせ返るような緑。「糸杉」は燃え上がるような緑の木。「夕暮れの松の木」の黄金色に輝く落日。「オリーヴを摘む人々」は聖書の世界のようです。「薔薇」のミントグリーンと白の鮮やかな対比。咲き誇る花を描いたその数か月後にゴッホは突然、この世を去ります。

それから、東京都美術館で「コート―ルド美術館展」を見てきました。印象派とポスト印象派のコレクションですが、ゴッホの激しい作品を見た後に、こういった作品を見るとなんだか心が落ち着きます。まさに珠玉の作品の数々でしたが、とりわけセザンヌ作品が充実していました。「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」の前では立ち尽くしてしまいました。ルノワールが第一回印象派展に出品したという「桟敷席」も。ゴッホの「花咲く桃の木々」に降り注ぐ春の光。モネの「アンティーヴ」も好きな作品です。故郷の瀬戸内の海を思い出してしまいます。ドガの「舞台上の二人の踊り子」の華やかな世界の光と影。ゴーガンの「ネヴァーモア」は呪術的な作品。そして展覧会のメインビジュアルにもなっているマネの「フォリー=ベルジェールのバー」。喧騒と孤独。この世は実は鏡像のようなものなのかもしれません・・・。

そんなわけで、印象派の世界を堪能してまいりました。この秋はなにげに印象派の展覧会が充実していますね。私は美術鑑賞を印象派から始めた口なのですが、その後、長らく遠ざかっておりました。今になって見ると、一周回って新しい(?)というのか、なぜか新鮮な感じがします。不思議なものですね・・・。

NO SMOKING

2019-11-17 11:17:48 | 映画
ユーロスペースで「No smoking」を見てきました。

こちらも公開を知った時から楽しみにしていた映画です。細野さんのことだからドキュメンタリーといっても一筋縄ではいかないかも、いったいどんな映画になるのかしらん・・・といそいそと行ってまいりました(以下、ネタばれです)。

映画は細野さんご本人や関係者のインタビュー、ライヴ映像などで構成されています。ナレーションはなんと星野源さん。やさしい語り口が印象的です。ヴァン・ダイン・パークスや横尾忠則といった有名どころも出演。ヴァン・ダイン・パークスは「彼は私のヒーローだ」と細野さんを褒めたたえ、細野さんに「いや、逆ですから」と冷静に突っ込まれてました。横尾氏はインドでの下痢の話を延々と続け・・・(笑)。映画は細野さんが生まれたところから始まるのですが、白金のご出身だったのですね。お母さまがハイカラかつ音楽好きな方で、細野さんも子どもの頃に良質な洋楽を聴いて育ったのが、その後の音楽に大きな影響を与えているようです。不肖わたくし、幼児を育てる身としては何だか身につまされる話です。そして、学生時代からはっぴいえんど、YMOを経て現在に至るまでが、淡々と、飄々と語られます。大瀧詠一さんとの出会いのエピソードは無茶苦茶かっこいい。YMOを結成する時には、あまり乗り気でなかった教授を「これを踏み台にして世界に出て行ってくれればいいから」と言って口説いたという話も。本当にその通りになりましたね・・・。80年代には松田聖子とか、アイドルの歌謡曲も手がけるようになります。今振り返ってみてもしみじみ、あれはいい曲だった、という曲がたくさんありますが、圧倒的な音楽の素養に裏付けられたものだったのですね。細野さんの趣深い名言、いや金言の数々も。「キーワードは自由、自由にふれると心が躍る」「商業主義と音楽主義は違う」。細野さんというと天才肌でひたすら自由に楽しく音楽を創り続けてきたのかと思いきや、「苦労してつくったものは今聞いても面白い」という言葉も。ミュージシャンって何年も会っていなくても、一緒に音を出した瞬間に元に戻れちゃうんだよ、というようなことも言っていました。これは音楽をやっていた人ならよくわかる感覚だろうと思いますが、細野さんの口から出た言葉と思うと感慨深いものがあります・・・。

この映画では細野さんの謎のダンスとか、火星歩行とかお茶目な面も紹介されています。「甘噛みカエル」も笑えたし。でも、時折、眼光が鋭い。好きな映画は?音楽は?と聞かれて「まだ見てない映画が好き、聴いていない音楽が好き」と答えてしまうような一面も(笑)。そんな細野さんが星野源さんに「後はよろしく」いう言葉を繰り返していたのが何だか切ない気もしますが、いやいやそんなことおっしゃらずに、生けるレジェンドでいつづけていただきたいものです。

輝く日の宮

2019-11-05 19:01:04 | 
丸谷才一「輝く日の宮」を読みました。

以前、米原万里さんがエッセーで絶賛していたのを読んで買ったのですが、その後、積んどく状態のまま長い年月が経過しました。いや、正確に言うと、最初の方で挫折していたのですが、ふと小説らしい小説をひさびさに読んでみたくなり・・・(以下、ネタバレ気味です)。

さすがに本読みの米原さんが絶賛されていただけのことはあり、“ザ・小説”という感じの読み応えのある作品でした。かなり実験的な作品でもあります。独特の旧仮名遣いの文体で前半は読み進めるのがちょっとしんどかったのですが・・・私がもっと国文学に造詣が深ければよかったのですが・・・とはいえ、松尾芭蕉はなぜ東北に行ったかの推論とか、興味深かったです。そして、後半、源氏物語の話になってからは、けっこう夢中になって読んでしまいました。不肖わたくし、源氏に関しては「あさきゆめみし」は熟読、田辺訳と村山訳は一通り読み、円地訳と谷崎訳は途中で挫折・・・という程度でしかないのですが、それでも十分楽しめました。源氏の冒頭「桐壺」と「帚木」の間に「輝く日の宮」という章があったのかなかったのか、あったとすれば何故失われたのかを、女性国文学者の杉安佐子が解き明かしていくという話なのですが、半ばミステリーのような趣もありました。源氏の成立過程、引き算の美学といった話についても語られていました。後世の人々に議論の余地を残しておくのが名作、という言葉に思わずうむむ、と唸ってしまいました。紫式部と藤原道長の関係についても考察というか想像というかが加えられています。ストーリーでは、杉安佐子は行きがかり上、「輝く日の宮」の再現に挑むことになるのですが、その結果はいかに・・・。

そんなわけでひさびさに充実した読書体験でした。源氏物語の奥深さについてもあらためて眼を開かされました。いつの日か、時間ができたら挫折した円地訳や谷崎訳にも再挑戦してみたいものです。いったいいつのことになるのでしょう・・・。