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アートネタなど日々のあれこれ

2021年ベスト

2021-12-30 23:28:13 | ベスト
そんなわけで今年も残すところあと少し。例によって、今年、見たもの/聴いたものからベスト3を選んでみたいと思います。基準はあくまで私に与えたインパクトの強さということで…(順番は観た順)。

○美術
 ・「GENKYO 横尾忠則」(東京都現代美術館)
   氏の画業を辿りながら、アートとエンタメの両立という永遠の課題に対する一つの解を見たようにも思います。
 ・「語りの複数性」(東京都公園通りギャラリー)
   日頃、意識していなかった感覚をひそかに揺り動かされた展覧会。視覚・聴覚・言葉で捉えている(と思っていた)世界は何だったのか…。
 ・「民藝の100年」(東京国立近代美術館)
   「用の美」の時空を超えた普遍性を、質量ともに圧倒的な展示で思い知らされました。
○映画
 ・「SLEEP マックス・リヒターからの招待状」
  今までにない音楽体験の一端を映画館で味わえました。長い長いコンサートの終わりを告げる夜明けの空の美しかったこと…。
 ・「シン・エヴァンゲリオン劇場版」
  この歳にしてエヴァデビュー。こんなに面白いんだったらリアルタイムでハマっておくんだった…。
 ・「アメリカン・ユートピア」
  完璧なステージを撮った完璧な映画、ということで、もはや突っ込みどころがございません…。
(番外)「サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレース」
  生きている時から不可解だったサン・ラー。まさかこんな映画を撮っていたとは、そして、このタイミングで日本で公開されるとは…。
○音楽
 選ぼうにもコンサートは2本しか行けていない…アンサンブル・アンテルコンタンポランもボンクリ・フェスも素晴らしかった!

去年の今頃は、来年はベストなんて選べるのかしらん…と思ってましたが、何とか書けました。一年の半分くらいは緊急宣言事態が出ていたような気がしますが、その割にはいろいろ見に行けたのかな…。まだまだコロナの状況は予断を許しませんが、来年もいいアートが皆を幸せにしてくれますように!



語りの複数性

2021-12-21 00:56:56 | 美術
東京都渋谷公園通りギャラリーで「語りの複数性」を見てきました。

前々から気になっていたギャラリーですが、今回、初めて伺いました。この展覧会は自分とは違う感覚や経験を持つ他者とその複雑な内面を共有する試みを紹介するもので、フィクションであり、ドキュメントでもあるのだそうです。

川内倫子「《無題》(シリーズ「はじまりのひ」より)」は、写真絵本を壁面に展開し、触図を加えて再構成したものです。彼女が母になる体験を通して得た気づきを言葉と写真で綴っていますが、どちらも柔らかい光に包まれているようです。この展覧会独自の試みとして目が見える人と見えない人が集まって読書会が行われ、目が見えない4人がとらえた「はじまりのひ」が展示されています。彼らがどうやって光を、そして世界をとらえるのか、のイメージを言葉やオブジェで表現しています。通路の細長いスペースには大森克己「心眼 柳家権太楼」が。落語家が古典演目の「心眼」を語る様子を撮影した一連の写真です。身振り手振りや表情がある意味、言葉以上に物語るということを目の当たりにします。やはり、プロの落語家って凄いです…。百瀬文「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」は、ろう者である木下知威さんとの対談を撮影した映像作品です。木下さんは百瀬さんの唇の形を読み取り、自身は口で話します。本当に唇の形だけで分かるんだ、ということにまずは驚きますが、映像を見ているうちに、次第にコミュニケーションとは何ぞや…ということに思いが至ります。小島美羽さんの作品は非常にユニークです。孤独死の現場を再現したミニチュア作品ですが、実際に遺品整理や特殊清掃の仕事に就いているそうです。実際の現場をそのまま再現しているわけではなく、さまざまな部屋の特徴を再構成したのだとか。とても生々しいけれど、けして他人事ではないのですよね…。岡﨑莉望さんのドローイングは繊細で夢幻的。小林紗織さんはスコアドローイングという手法で、音を聴いた時に浮かぶ色彩や形を五線譜に記録しています。齋藤陽道さんの映画の絵字幕も担当されていた方ですよね。目で見たイメージを音で表現するということはあっても、逆はあまり聞かないので、いったいどうなっているのだろう、と不思議に思うのですが、どのような音でも描けるという訳ではなく、特に引力を感じる音があるのだそうです。山崎阿弥さんはバイノーラル録音(実際に人間の耳で音を聴いている状態を録音)で渋谷の音を収音しました。同じ音を聞いていても、注意の払い方によって聞こえる音が変わることにあらためて気づかされます。山本高之「悪夢の続き」は、一人が実際に見た悪夢を話し、もう一人がその夢をハッピーエンドになるように続きを考えて話すという映像作品。いわゆる「夢」を他人と共有することはあっても、本当に見た夢を他人と共有することってまずないですよね…。

見ること、聞くこと、話すこと、触ること…でとらえた世界がどれだけ確かなものだったのか、実はすごく曖昧なものだったんじゃないか…そんなことを考えてしまう展覧会でした。結局、死ぬまでその曖昧の層のあわいに漂って生きていくしかないのでしょうね…。



庵野秀明展

2021-12-19 14:07:53 | 美術
国立新美術館で「庵野秀明展」を見てきました。

不肖わたくし、これまで特撮ものやロボットアニメにはあまり興味がなく、庵野監督のこともお名前は存じていましたが、エヴァを見たことはありませんでした…が、ひょんなきっかけで今年、「シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版」を見に行ったら、これが実に面白く…エヴァシリーズにリアルタイムでハマっておけばよかった、としみじみ後悔するも時に既に遅し。NHKの「プロフェッショナル」の庵野監督の回も見て、創る人の業が隅々までにじみ出たお話にも衝撃を受け…ということで、この展覧会も開催を知った時から楽しみにしておりました。

さて、この展覧会、非常にボリューミーな展示らしい…ということで、「ぶらぶら美術館」の庵野秀明展の回を見て予習してから行きました。鑑賞前の腹ごしらえに近くの「ウエスト青山ガーデン」にも寄ってきました。名物のパンケーキをいただきましたが、ふわっふわで美味しゅうございました。かなりボリューミーで、一枚でもすっかり満腹に…。

そんなこんなでようやく会場へ。展覧会は「過去」の章から始まります。庵野監督が愛する漫画、アニメ、特撮作品の資料が展示されていますが、既に膨大な量です。もはや一種の文化ですよね…。過去の蓄積が監督の内部にも蓄積されたことが窺い知れます。「現在」の章では、監督のアマチュア時代から現在に至るまでの軌跡が紹介されています。高校時代の「ナカムライダー」、大学時代の作品もユニークです。アニメーターだった頃の「風の谷のナウシカ」「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」は子供の頃に見ましたよ…本当に懐かしいです。「風の谷のナウシカ」制作時の宮崎駿監督からの督促メモ(?)も展示されていました。絵を早くあげろ、いつまで寝てるんだ、みたいなことが書いてありました…舞台上で庵野監督が観客に石を投げられている絵も(映画が失敗したらお前のせいだぞ、ということらしい)。宮崎監督、怖いっす…(笑)。その後、監督に転じ、いくつかの作品を経て、ついにヱヴァンゲリヲンへ。第3村の巨大模型も展示されていました。「残酷な天使のテーゼ」の歌詞の展示も。元々は「少年よ 凶器になれ」という歌詞だったのを庵野監督が「少年よ 神話になれ」に直したそうです。監督が手書きで「神話」と赤字を入れた跡を見て、背中がぞくっとしましたよ…。その後、2016年には「シン・ゴジラ」がヒット、そして今年、ついにエヴァシリーズが完結しました。「未来へ」の章では庵野監督が立ち上げたATAC(特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構)や最近の仕事も紹介されていました。監督の眼はもう未来に向かっているようです。

とつらつら書いてはみたものの、あのだだっ広い国立新美術館を実際に埋め尽くしていた膨大な量の原画、画コンテ、ミニチュア、模型などを何といえばいいのか、もう言葉がありません。圧倒的という言葉を通り過ぎ、もはや異様というか狂気というか…ものを創る人の業を、膨大な量の物たちが物言わずに語っていた展覧会でした…。

チェイシング・トレーン

2021-12-15 22:48:29 | 映画
ヒューマントラストシネマ渋谷で「ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン」を見てきました。

言わずと知れたジャズ・ジャイアント、ジョン・コルトレーンのドキュメンタリーです。今回は生誕95周年の記念上映だそうです。95年って、何だか中途半端な感じもしますが、100年を待たずに上映してくれるのはファンにとってもありがたいことです…(以下、ネタバレします)。

この映画にはコルトレーン自身は登場せず、デンゼル・ワシントンが彼の遺した言葉を朗読しています。インタビュイーは錚々たるメンツです。ソニー・ロリンズ、マッコイ・タイナー、ウェイン・ショーター、ウィントン・マルサリス、カルロス・サンタナ、ジョン・デンスモア、そして、クリントン元大統領…。ソニー・ロリンズはサンタクロースみたいな恰好でしゃべってましたが、お元気そうで安心しました。ウィントン・マルサリスは例の物言いですが、コルトレーンへの敬意が伝わってきます。サンタナはかなりコルトレーンに傾倒していたようです。「彼は人生を演奏していたんだ」という言葉も。彼はホテルに帰るといつもコルトレーンの「至上の愛」をかけていたのだとか。ジョン・デンスモアはエルヴィンとコルトレーンの関係を自分とジム・モリソンの関係に例えていました。ミュージシャンも家族も、インタビューに答えていた人は、最後は涙目になってましたね。本当に子煩悩で優しい人だったようです…。

映画はコルトレーンの音楽的キャリアにも触れています。元々、テクニック的に卓越しているというタイプではなかったので、芽が出るまで長い時間がかかりました。最初に彼を見出したのはディジー・ガレスピーでしたが、麻薬が原因でバンドをクビになり、その後、マイルス・デイヴィスに抜擢され彼のバンドに参加します。ここでジャズ史に残る名盤を残しましたが、結局は辞めています。コルトレーン曰く「マイルスのバンドで吹いていると自分が間違ったことをやっているような気がした」のだとか。スタイリッシュに凝縮していくマイルスと、スピリチュアルに拡散していくコルトレーンでは、共通点はあれど、最終的に目指す方向が違ったのかもしれません…そういえばこんな小咄も(台詞は正確ではないですが)。
マ「どーしてお前のソロはそう長いんだ」
コ「だって、どうやってやめたらいいかわからないんだよ」
マ「(楽器を)口から離せばいいんだよっ!」
マイルスのバンドを脱退した後、コルトレーンは自身のバンドを結成、代表作「至上の愛」などの名盤を生み出しますが、その後、フリージャズに接近、よりスピリチュアルな方向へと進みます。1966年には来日し、あの時代に長崎を訪れて献花もしていますが、翌年に肝臓癌で亡くなりました。享年40歳。スピリチュアル的に非常に進化した存在だったので、生身の人間としての寿命の短さがあらためて衝撃的でした。葬儀で彼の指を見たが、それは彼の指ではなく魂は次の場所へ飛び立っていた、というコメントもありましたが、彼の魂は今、どこにいるのでしょうね…。



リスペクト

2021-12-14 00:40:43 | 映画
ヒューマントラストシネマ渋谷で「リスペクト」を見てきました(この映画館での上映は既に終了しています)。

言わずと知れたソウルの女王、アレサ・フランクリンの前半生を描いた伝記ドラマです。不肖わたくし、加齢ととともになぜか映画の嗜好がドキュメンタリーに偏ってしまい、フィクションの映画はほとんど見なくなっていたのですが、ジェニファー・ハドソンが主役を演じるということで行ってまいりました。「ドリームガールズ」での熱演も印象的でしたが、今回のキャスティングは何とアレサ本人からのご指名ということらしく…(以下、ネタバレ気味です)。

映画はアレサの子供時代から始まります(子役のお嬢さん、眼が大きくて綺麗でした)。大好きだった母の急死、牧師の父による抑圧、ある悪夢のような出来事…。映画「アメイジング・グレイス」を見た時に、後年の女王様のイメージとは違う、アレサのセンシティブな面を感じたのですが、その種はこの時期に蒔かれていたのかもしれません。結婚によってようやく父親の元を離れたと思ったら、今度は夫からの抑圧が始まります。そして、ヒットが出ない苦しみ…。そんなある日、ブルースの女王、ダイナ・ワシントンの前で彼女の持ち歌を歌ったところ、彼女の逆鱗に触れ、自分の歌を見つけろと一喝されます(もっともこのエピソードは脚色のようですが…)。自分の歌を見出せずに苦しむアレサにとって転機になったのが、かのマッスル・ショールズとの出会いでした。半ば嵌められたような形での出会いでしたが、彼らの音に触発されて、アレサの歌がどんどん生気を帯びていくさまが見ものでした。やはりバンドは大事です。アレサはそれまでどこか教会っぽい歌い方が抜けなかったのですが、ここに来てようやく自分の本音を歌うというスタイルに目覚め、その歌は多くの人の共感を得ることになりました。あれほど待ち望んでいたヒットも飛ばし、成功を手にして幸せになるのかと思いきや、彼女の中の「虫」が蠢き出します。堕ちてはまた這い上がり、の繰り返しの末にアレサが見出した唯一の光は…。

この映画のラストがあの「アメイジング・グレイス」につながるということを知った瞬間が鳥肌ものでした。やはりあれはただのゴスペルアルバムではなかったのですね…地獄を見たからこそ歌える歌もあるのだろう、としみじみ思いましたよ…。

ところで、この映画、エンドロールに晩年と思わしき姿のアレサが登場しています。ゴージャスな衣装を着てガンガン歌っていた、そして、ずいぶん大きくなっていた!アレサは3年前に亡くなりましたが、彼女の前半生の苦しみが最後に報われたことを祈らずにはいられません…。



旅する画家の鎮魂歌

2021-12-13 00:23:03 | 美術
東京ステーションギャラリーで「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌」を見てきました(この展覧会は既に終了しています)。

こちらも開催を知った時から楽しみにしていた展覧会です。2年前、「國之楯」が話題になった時に加島美術の個展も見に行ったのですが、衝撃的でした…。その時に感じたのが、この方、もっぱら戦争画を描いたことで取り上げられているけれど、実はめちゃめちゃ巧いのでは、ということでした。今回は初めての大規模な回顧展ということで、いそいそと行ってまいりました。

展覧会は京都の修業時代から始まりますが、やはり最初から巧かったんだな…ということがわかります。17歳頃に描いたという山中鹿介の絵も出ていましたが、もう大人の絵ですよ…。秋聲は旅を好み、日本国内のみならず、アジア、エジプト、ヨーロッパ、アメリカを旅し、各地の作品を残しました。イタリアがお気に入りだったようですが、ベスビオスの夕月を描いた作品に不思議と眼を惹かれました。戦前の作品は明るくてカラフルなものが多かったです。「恋知り初めて」の背景の鮮やかなペパーミントグリーン、「未来」の赤ん坊の白い肌と赤い布団の縁、「長崎へ航く」の空と海のグラデーション、青や黄の洋服…。「薫風」は琳派の作品のよう。花びらが馬の涙ようにも見える「愷陣」も印象的です。しかし、その後、戦争が始まり、秋聲は従軍画家として戦地に赴くことになります。戦争を題材に描いてもどこか抒情的な風情があります。「御旗」は象徴派のような幻想的な作品。戦場の静謐な瞬間を描いた作品も。「護国」の焚火の焔、「虫の音」の眠る兵士。そして、「國之楯」。この作品は、軍部に受け取りを拒否されました。当初、兵士の頭の周りに円光、背景には桜の花びらが描かれていたといいます。終戦から23年経ってから秋聲は背景を黒く塗りつぶして作品を発表しました。タイトルも当初は「軍神」だったそうです。秋聲は何を思って作品を塗りつぶしたのか、その理由を語ることはついにありませんでした…。

戦後、秋聲は従軍画家として、罪に問われることも覚悟のうえで暮らしていました。結局、罪に問われることはありませんでしたが、戦後は宗教的なモチーフを多く描いたようです。「山を出でます聖」の清澄な佇まい。「天下和順」では満月のもと、酒甕の周りに人々が列をなして、楽しげに踊っています。タイトルは、元は仏典の中の言葉だそうです。秋聲の平和への祈りだったのでしょうか…。



SOUND&ART

2021-12-12 11:50:35 | 美術
アーツ千代田3331で「サウンド&アート展 見る音楽、聴く形」を見てきました(この展覧会は既に終了しています)。

この展覧会は「見る音楽、聴く形」をテーマに、新しい創造的な楽器やサウンドをめぐる作品を集めた展覧会です。20世紀に入り、従来「音楽」とは考えられていなかった「音」や視覚的な要素を音楽に取り込む試みがなされる一方、視覚芸術のなかには魅力的な音を奏でるものもあり…ということで、この展覧会では「見る音楽」「聴く形」の作品、約40点が集められていました。

「01一緒につくる」は誰もが音を鳴らすことができる楽器の展示。「バシェの教育音具」は体験もできたので、私もジャカジャカ鳴らしてまいりました。音の振動が手に伝わる感覚が心地よい。明和電機の「オタマトーンジャンボ」も。オタマトーンは長年、憧れの楽器(?)だったのですが、ようやく本物に触れる日がやってきました。しかもジャンボだし。胡弓のような不思議な音。実は意外に難易度の高い楽器かもしれません。「02演奏する」は「新しい音」を求めて生み出された楽器たち。フランソワ・バシェの「勝原フォーン」は葉を重ねたような斬新なルックス。ルイジ・ルッソロの「イントナルモーリ」の再制作も。ハンス・ライヒェルの「ダグソフォン」はアートなルックスです。「03形をみる」は音と形の関係性を見つめる作品ということですが、武満徹や一柳慧の図形楽譜などが展示されていました。「04形をみる」は自然の音に関わる作品たち。Invis dirの「スパイラル木琴」は檜でできていますが、エッシャーの絵のような形です。日本のサウンド・アートの草分け、吉村弘「サウンド・チューブ」も。「05動きを楽しむ」は自動で音を出す作品たち。私が行った時には宇治野宗輝「The District of Plywood City」が動いていました。西原尚「勤奮機械」や明和電機の「セーモンズII」「マリンカ」「ザ・スパンカーズ」もインパクトのある作品。動いているところを見て見たかった…。藤田クレア「Invisible soundscape version1 : (1 + √5)/2+x~」は貝を奏でるユニークな作品。というわけで、新たな音の世界を楽しんでまいりました…。

さて、例によって、アートといえば甘いものということで、この日は近くの「うさぎや」に寄ってきました。どら焼きで有名なお店です。どら焼きを頼むと「今すぐ食べますか、お持ち帰りですか」と聞いてくださったので、「今すぐ食べます」と言うと、あったかいどら焼きが出てきました。さすがの美味です。皮までおいしかったな。ここのどら焼き、いつかドラえもんにも食べさせてあげたいものです…。



SAYONARA AMERICA

2021-12-11 23:48:31 | 映画
シネクイントで「SAYONARA AMARICA」を見てきました。

2019年に活動50周年(!)を迎えた細野晴臣氏のドキュメンタリーです。あの年、日本では展覧会「細野観光1969-2019」が開催され、映画「No Smoking」も公開されました。どちらも見に行きましたとも…。さらにアメリカではソロライブも開催されました。この映画では、このライブの模様と現在の細野さんとを追っていきます(以下、ネタバレ気味です)。

2019年のライブはニューヨークとロサンゼルスで行われました。意外にもアメリカでのソロライブは初だそうですが、チケットは完売、会場の周りをファンの長蛇の列が取り巻いています。アメリカのファンたちが細野愛を熱く語るのですが、的確かつ鋭い意見の数々に思わず唸ってしまいましたよ…。「ノーマン・ロックウェルの絵のようにアメリカを感じた」「彼の音楽には狂気と暖かさが同居している」「音楽家に変わらないでいてほしいなんて思わない」などなど。本当に愛されてるんですね…。なかには「パシフィックを100万回は聴いた」という彼女に連れられてきた彼氏の姿も。そして、満場のお客さんを前に、いつものように飄々と、軽々と、音楽を奏でる細野さん。バックの皆さんも凄いです。本場アメリカでアメリカ人のお客さんを前にアメリカン・ミュージックを演奏する…って、とても勇気のいることのような気もしますが、緊張は微塵も感じさせず、堂々と自分のグルーヴを貫きます。会場が細野さんの音楽がもたらす幸福感で包まれていく様子が画面越しにも伝わってきて、ああ、できることなら現地でビールでも飲みながら見たかったよ…と、しみじみ思ってしまいました…。

2年後、世界は大きく変貌しました。人々が一つの会場に集い、ともに音楽を楽しむという当たり前だったことも、まるで過去の出来事のようになってしまいました。すっかり髪が伸びた細野さんが語ります。「ニューヨークとロサンゼルスでやったライブはまるで別世界の出来事のように思える」と。というか、世界そのものがまるで別世界のようになってしまいました…。細野さんはその後、2年もギターもさわらず、音楽をやめちゃおうかとすら思ったそうです。一方で、「やっぱり音楽は面白い、音楽は自由だ」とも。この自由さに憧れ、解放感を覚えるのですよね…。そして「音楽やめるのやめた」と。思わず胸をなでおろしてしまいました…。

それにしても「SAYONARA AMERICA(SAYONARA NIPPON)」って何だか意味深なタイトルですよね。感謝しつつも次の場所へ向かうということなのか…いや、それにしても、音楽やめるのやめてくれて、本当によかったです…。



響きあう魂

2021-12-08 23:55:54 | 美術
ひさびさに上野で展覧会のはしごをしてきました。

まず向かったのは、東京国立博物館の「最澄と天台宗のすべて」(この展覧会は既に終了しています)。伝教大師一二〇〇年大遠忌記念で、天台ゆかりの秘仏たちが上野に集結…。会場に入ると国宝の聖徳太子及び天台高僧像十幅が。事前に「ぶらぶら美術館」で予習して、高僧の皆さんの人間関係を把握しておいてよかったです。私が行った時は聖徳太子像の本物が出ていました。最澄自刻の像を模したという薬師如来立像も。小ぶりで優美な像です。嵯峨天皇の素晴らしい書も出ていました。天台美術の数々も。六道絵も出ていました…等活地獄がとりわけ恐ろしげ。かと思うと、きらびやかな法華経が。延暦寺の根本中堂の厨子の再現展示もありました。不滅の法灯も再現されていましたが、何でも油断という言葉はここから生まれたとか。秘仏も展示されていましたが、お隣の寛永寺からは日光・月光菩薩像がお出まし。素朴ながらすらりとした気品のあるお像です。そして、最後にはビッグなお像が…深大寺の慈恵大師座像です。205年ぶりの出開帳なのだとか。やはり「すべて」というタイトルに違わぬ展覧会でございました…。

鑑賞後は館内に出店していた「梵字カフェ」に寄ってきました。抹茶ラテを頼んだら、自分の生まれ年の干支のラテアートをしてくれました。お札のシールまでいただきましたよ…。

続いて向かったのは、東京都美術館の「ゴッホ展」。ゴッホの世界最大の個人収集家、ヘレーネ・クレラー=ミュラーのコレクションによる展覧会です。ゴッホの初期から晩年までの作品と、印象派などの近代絵画を併せて展示していました。ゴッホ以外では、ルノワール、スーラ、モンドリアン…ルドンの「キュクロプス」も出ていましたね。ゴッホの作品はオランダ時代から始まります。「砂地の木の根」は「人間のような感情を吹き込んだ」という風景ですが、木の根が人の顔ようにも見え…。「白い帽子を被った女の顔」には何とも言いようのないインパクトがありました。パリに移ると一気にカラフルで華やかな画風に。「レストランの内部」は、まんまスーラですが、こんな絵も描いてたんですね。アルル時代の作品には、ヘレーネが見れば見るほど気に入ったという「レモンの籠と瓶」も。「黄色い家」は家の黄と空の青の対比が鮮やか。珍しく爽やかな海景を描いた作品も。サン=レミ時代の作品では「夜のプロヴァンスの田舎道」が16年ぶりの来日。私も16年ぶりに拝みます。生のエネルギーが立ち昇るような作品です。「サン=レミの療養院の庭」の目に染みるような緑。「悲しむ老人」はヘレーネが25回目の結婚記念日にご夫君から贈られたという作品。ヘレーネはものすごく喜んだそうです…いろんな意味で羨ましい人生ですよね。コレクション全体が知的な趣味のよさで一貫していたという印象がありますが、肖像画や写真で見るヘレーネ自身も知的な意志の強さを感じさせます。ゴッホがゴッホになるまで(その間10年!)、を知ると同時に、ヘレーネの眼を通して、これまでとは違うゴッホの一面をも垣間見たような、そんな展覧会でした。

私が行った時は上野公園の銀杏が綺麗でした…それが仕事にかまけてブログも書けずにいる間にはや師走。一年が経つのは早いですね…。