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アートネタなど日々のあれこれ

Given~いま、ここ、にあるしあわせ~

2016-02-27 23:58:28 | 映画
アップリンクで「Given ~いま、ここ、にあるしあわせ~」を見てきました。

難病の子供を持つ3家族の日常を追ったドキュメンタリー。長男が悪性腫瘍のために左目と顔半分を失った塩川ファミリー、一人娘が日々退行していくムコ多糖症を患う志藤ファミリー、次女が18トリソミーを持って生まれた米田ファミリー。どの子も命に関わる病です。ひたすら日々を精一杯生きる、子どもたちとその家族・・・。(以下、ネタバレ気味です。)

この映画に出てくる子どもたちは強く、親たちも強い。とりわけ、母たちの強さは眩いばかりでした。日々再発の可能性と向き合わねばならない悪性腫瘍、時間の経過が成長ではなく退行になってしまうムコ多糖症、そもそも1週間の命と言われていた18トリソミー・・・。自分だったら到底耐えられそうにないです。神様は病気の子供をちゃんと育てられるような親を選んで授けるというけれど、当の親からすればどれだけ辛いことか。それでも、片目を失った子供のために学校で説明会を開き、片目をネタにしてしまう強さを持つ、塩川ママ。「ま、いっか」と言いながら、淡々と介護を続けるおおらかな志藤ママ。子どもをきっかけに海外デビュー(?)と果たす米田ファミリー。父たちの思いも深い。「いのちだけは頼むで」と、毎日氏神様に手を合わせる塩川パパ、「誕生日が嬉しくない、このまま時が止まってくれたら」と言う志藤パパ、「こいつ、死んどるんですわ」と言いながら、娘によって生き方が変わった米田パパ。子どもたちの兄弟にも、医者になりたい、看護師になりたいという子がいます。

本当に何とも言葉にしがたい映画でした・・・映画のサブタイトルは「いま、ここ、にあるしあわせ」ですが、とにかく、いまを精一杯生きること、そして結局、そこにしか幸せはないんだろうな、ということを、映画に出てくる3家族から教えられました。究極の状況に置かれることによって、見えてくるものがあるのでしょう。わが家の子ども達は今のところ健康で、比較的育てやすい子どもです。きっとヘタレ母である私めを見越して、神はこの子らを使わしたのだろうか・・・と、そんなことを子供たちの平和な寝顔を見ながら、しみじみ思ってしまいました。

ところで、この映画、綾戸智恵さんがナレーション、エンディングテーマも歌っています。パンフレットに綾戸さんと総指揮の大住力さんの対談が載っているのですが、その中にあった綾戸さんの言葉が心に残りました。「人はいのちもろて、いつかいのちを渡していく。これはその間の出来事や」。この言葉を心底理解するのはもう少し先になるかもしれませんが・・・。
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トゥーマスト

2016-02-03 22:46:11 | 映画
アップリンクで「トゥーマスト」を見てきました。(この映画館での上映は既に終了しています。)

サハラ砂漠の遊牧民、トゥアレグ族のバンド「トゥーマスト」を追ったドキュメンタリー。トゥアレグ族といえば、昔、ティナリウェンは聴いてましたが・・・。「トゥーマスト」はティナリウェンの弟分にあたるバンドで、2008年にピーター・ガブリエルのレーベルからデビューしています。(以下、ネタバレします。)

トゥアレグ族は、サハラ砂漠を遊牧する、ベルベル人系の遊牧民族。20世紀にフランスによる植民地政策が始まり、5つの国に分散、「国家なき民族」になりました。トゥーマストのムーサは元レジスタンス兵士。80年代にサハラ共和国構想を打ち出したリビアのカダフィ大佐の元で兵士としての訓練を受け、そこでギターとカラシニコフを手に入れ・・・音楽で世界を変える戦いを始めます。ちなみに「トゥーマスト」はトゥアレグの言葉で「アイデンティテイ」を意味するそうです。

映画はムーサやトゥアレグの人々へのインタビューを中心に進んで行きます。そして、その背後に映し出されるサハラ砂漠の美しさ。砂漠というと、索漠としたイメージでしたが、こんなに美しかったんだな、と初めて思いました。ムーサの話は淡々としていますが、仲間が次々と死んでいく、過酷なゲリラ戦の様相が伝わってきます。ムーサは武器では世界にメッセージを伝えられないことを悟り、音楽を武器に世界にメッセージを送ることを決意します。トゥアレグ族には新聞もラジオもないのです。カセットテープを所持することも許されないため、パリで活動をすることになります。

音楽が出てくるシーンは後半に集中していましたが、ムーサたちのレコーディングのシーンがあって、これがけっこう微笑ましい感じでした。マイクに向かうと緊張しちゃうとか、メトロノームにうまく合わせられられないとか。でも、ライヴになると神がかったパフォーマンスを繰り広げます。ムーサの奥さんもバンドに参加しているのですが、歌っているとトランス状態に入るというようなことを言っていました。トゥアレグは母系社会で、音楽では女性も重要な役割を果たしています。そう言えば、女性だけの歌のグループも登場していました。曲は全てオリジナルで、社会的な問題も歌にしています。

映画の中で最も心に残ったのは、ムーサの「もう二度と銃は使わない。俺たちが 銃で戦っていたときはトゥアレグ族の状況は知られていなかった。今、やっと俺たちのメッセージが世界に伝わり始めた」という言葉です。確かにそれは正解、こうして彼が音楽を始めたからこそ、彼らの音楽が、そして映画が極東の島国にいる私のところまで届いてきたのでしょう。まさに、「ペンは剣より強し」ならぬ「ギターは銃より強し」なのやもしれません。ただ、彼はある意味、幸せな転向をはかることができましたが、世界にはその逆を行かざるを得なくなってしまった人々も少なからずいるだろう、と思うと暗澹たる心持ちになりました。そして、レベル・ミュージックの宿命についても考えさせられるところがありました。送り手側にとっては生きるか死ぬかのメッセージだけれど、受け手の側は、エンターテインメントとして消費してしまっているという面もある。しかもメッセージが切実であればあるほど、エンターテインメントとしての価値も増すという・・・。とはいえ、メッセージが言葉だけであったとしたら、赤の他人にどこまで伝わっただろうか・・・。娯楽にもなれば武器にもなる、諸刃の剣ともいえる音楽の力について、あらためて考えさせられてしまった映画でした。
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