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アートネタなど日々のあれこれ

夏の東博

2021-07-31 23:42:28 | 美術
ひさびさに東京国立博物館で展覧会のはしごをしてきました。

最初に向かったのは東京国立博物館。本館で聖林寺十一面観音菩薩立像を見てきました。一目見た瞬間に息を吞むような、流れるような美しさ。この美しさは3Dじゃないと伝わりませんよね…。和辻哲郎「古寺巡礼」に人間のものならぬ美しさと書かれ、白洲正子をして世の中にはこんなに美しいものがあるのかとまで言わしめたというのも納得の美しさです。東京で展示されるのは初めてのことだそうですが、本当に見られてよかった…。展覧会では明治時代の神仏分離で離ればなれになっていた法隆寺蔵の菩薩立像、正暦寺蔵の日光菩薩・月光菩薩の三輪山信仰のみほとけたちも感動の再会。いろいろな意味でありがたい展示でした。

続いて平成館で「聖徳太子と法隆寺」を見てきました。この展覧会は聖徳太子の1400年遠忌を記念して開催されましたが、聖徳太子の展覧会の決定版ともいえそうな充実した内容でした。国宝・重文も数多く出ていましたね。会場に入るとまずは美しき如意輪観音菩薩半跏像がお出迎え。国宝の聖徳太子座像、薬師如来坐像、四天王立像も。そしてなんと天寿国繍帳が…。色も鮮やかな浄土の光景。それに橘夫人念持物厨子まで…。他にも愛らしくも賢げな太子の二歳像、釈迦の遺骨という南無仏舎利、止利仏師系のアルカイックな菩薩立像などなど、見どころがたくさん…長きにわたって脈々と続く太子信仰の世界を概観できる展覧会でした。昔読んだ「日出処の天子」をなつかしく思い出しながら見ていましたが、やはり聖徳太子って今も昔も日本史上最も神秘的な存在なのかもしれませんね…。

最後に東洋館で「イスラーム王朝とムスリムの世界」を見ました。マレーシア・イスラーム美術館の全面協力で実現した世界規模のイスラム美術の展覧会。9世紀頃から現代に至るまでの作品が幅広く紹介されています。日本で暮らしているとイスラム圏は比較的なじみの薄い世界ですが、広大な世界だったのだなとあらためて目を見張らさせられる思いでした。ウマイヤ朝とかアッバース朝とか、高校時代の世界史の授業の記憶がうっすらよみがってきたりも…イスラムの歴史を一気通貫で学ぶことはなかなかないので、いい機会でもありました。全体的にきらびやかな作品が多かった(特にジュエリー!)ですが、面白かったのがイスラーム書道芸術。いろいろとお作法がある世界のようですが、作品は複雑精緻。イスラム書道芸術の展覧会とかもいつか見てみたい気がします…。

最後にして最初の人類

2021-07-25 09:24:14 | 映画
ヒューマントラストシネマ渋谷で「最後にして最初の人類」を見てきました。

2018年に48歳で亡くなった作曲家、ヨハン・ヨハンソンが生前、最後に取り組んだ最初で最後の映画です。私がヨハン・ヨハンソンのことを知ったのはまったくの偶然(グレゴリー・コルベールの展覧会のBGMに彼の音楽が使われていた)でしたが、その美しさと狂気をあわせもつ独特の音楽に夢中になり…が、ある日、突然流れてきた訃報…彼にいったい何が起こったのかもわかりませんでした。その後、3年の歳月が過ぎ、まさかの映画公開…(以下、ネタバレ気味です)。

この作品、元々はヨハン・ヨハンソン自身が監督した16mmフィルムと生演奏によるシネマコンサート形式で上映されていたそうですが、映画は彼の没後、仲間の尽力で完成されました。原作はアーサー・C・クラークにも影響を与えたといわれるSF小説「最後にして最初の人類」です。ナレーションを務めるのはティルダ・スウィントン。深みのある荘厳な声です。映画は朗読劇のような形で進行します。20億年先の人類から送られるメッセージ。モノクロのざらついた画面には謎の石像が。これはスポメニックといって旧ユーゴスラヴィアに点在する戦争記念碑だそうです。人は登場せず、廃墟のようなイメージの映像が続きます。静謐な画面とコントラストをなすかのように、音楽は時折、劇的な起伏をみせます。ヨハン・ヨハンソンならではの、美しさと狂気、救済と絶望がないまぜになったような音楽が行きつくところまで行ったという感じです。こういう音楽を創るようになるともう長くは生きられないのではと予感させてしまうような…。ユートピアの愉悦とディストピアの恐怖は表裏一体なのかもしれず、最後は「美しい精神」がすべてを救うのでしょうか…。

こういう映画を見てしまった後はクールダウンが必要…ということで、鑑賞後は近くの「茶亭 羽當」に寄ってきました。今回はブレンドとベイクドチーズケーキを注文。ここの珈琲を飲むと不思議と元気になれます。ベイクドチーズケーキもしっとりしていて美味しかったな。隣の方が頼んでいたパンプキンケーキも美味しそうだったので、今度はあれにしてみよう…。

日本の歴史

2021-07-22 10:21:20 | 舞台
シス・カンパニー「日本の歴史」を配信で見ました(配信は既に終了しています)。

初演時には見に行けず、今度こそ…と思っていたら、またしてもチケット取れず…がっくりしていたら、ありがたいことに配信してくれることになりました…(以下、ネタバレ気味です)。

この作品では20世紀初頭にテキサスに移住してきたシュミット家のファミリーヒストリーと、卑弥呼の時代から太平洋戦争に至る日本の歴史とが交互に進んでいきます。けっこう複雑な構成になっていて、一度見ただけでは全容を把握しきれず、アーカイブで2回目を見て、ようやく全体像がつかめてきたかな…という感じです。こういうことができるのも配信のありがたみではありますね。役者さんは全部で7人。この7人が60人以上の役を入れ替わり立ち替わり、早変わりで演じるさまは、手品でも見ているかのようでした。役者さんたちもみな達者…。とりわけ宮澤エマさんが大活躍でしたね。さすがの存在感の中井貴一さん、歌も踊りも貫禄のシルビア・グラブさん、クールビューティなのに面白い秋元才加さん、やはり華のある香取慎吾さん、ダメ男を見事に演じた新納慎也さん、不思議な雰囲気を醸し出す瀬戸康史さん…皆さん本当に素晴らしかった。配役にしても、あの役をあの人が演じる、というだけで笑える役がいくつも…。歴史上の人物のセレクトもいかにも三谷さんらしいです。歴史に残るような人も、歴史の波に翻弄される側の人々も…。一見、何の関係もなさそうなシュミット家と日本の歴史ですが、時に両者に起こる出来事がシンクロするような場面もあります。そして、舞台終盤近くのある一点で両者の歴史が思わぬ形で交わることになります。

この舞台、音楽も素晴らしいです。音楽は三谷作品ではお馴染みの荻野清子さん。温かみのあるメロディー、ユーモラスでキャッチーなフレーズ。「INGA 因果」「お前は誰だ 俺清盛だ」とか、舞台が終わってからも頭の中でぐるぐるしてしまいます。そういえば、荻野清子さんってエレクトーン界ではジュニアの頃から才能を発揮されていたのですよね…子どもの頃、ジュニアだった頃の荻野さんが作曲された「風船旅行」という曲を、なんてすばらしい曲なんだ!と思いながら必死こいて練習した記憶があります。舞台で荻野さんがすっと背筋をのばしてピアノに向かう姿を見ながら、あれからいったい何年たったのだろう…と思わずしみじみしてしまいました。

結局のところ人は歴史から学ぶのか、あるいは学ばないのか?時に学び、時に同じ愚行を繰り返しながら歴史は続いていくのかもしれません。劇中では「因果は巡る糸車…」という都都逸風のフレーズが何度か繰り返されます。若い頃は因果応報という言葉もいまいちピンと来ませんでしたが、この歳になると因果応報って本当にあるんだな…という場面に遭遇することも増えてきました。願わくばよき因果を巡らせることができますように…なんてことを考えていたら、また頭の中で「INGA 因果」のメロディーがぐるぐるしはじめたのでした…。

BILLIE ビリー

2021-07-17 21:41:46 | 映画
角川シネマ有楽町で「BILLIE ビリー」を見てきました。

ピーター・バラカン監修の音楽映画祭「Peter Barakan’s Music Film Festival」の一環での上映ですが、これが日本での初公開らしいです。不肖わたくし、これまでビリー・ホリデイはあまり聴いていませんでした。まだまだ若かった頃に「奇妙な果実」を聴いて怖くなり、それ以来ほぼ封印…。でも、今なら受け止め方も違うだろうし、この映画を見られるのはレアな機会かもと思って行ってまいりました(以下、ネタバレ気味です)。

この映画はビリー・ホリデイに共感し、伝記を書いていたジャーナリストが、1960年代から10年かけて録りためた関係者へのインタビューを元に構成されています。ジャーナリストの名はリンダ・リプナック・キュール。映画はビリー・ホリデイの人生とリンダ自身の人生とを追う形で進行します。冒頭、いきなりショッキングなシーンから始まりますが、何が起こったのかは恐ろしすぎて書けません…。ビリー・ホリデイの人生は幼少から過酷なものでした。ミュージシャン、特に黒人ミュージシャンのドキュメンタリーは壮絶な過去に触れているものが少なくありませんが、彼女の場合は壮絶の度合いが違うというか…。黒人であることに加え女性であることで二重の差別を被り、生きるためにそこまでしなくてはならなかったのか、ということも…。歌にしても歌が好きで歌うことが楽しくて、というよりは、歌わずにはいられなかった、もしくは生きるために歌っていた、という気配が強いです。歌っている時は女王のようにしか見えないのですが、意外にも自分の歌には自信がなかったようで、自分は女優や芸術家のようは人たちとは違う、と恥ずかしそうに話すシーンもありました。麻薬のために収監されていた時はまったく歌っていなかったという証言も。関係者の一人は「数十人の前で歌える人はいくらでもいる、でも数千人の前では皆カチコチさ」と言っていましたが、ビリーにしても例外ではなかったようです。麻薬に走ったのはそのプレッシャーもあったのでしょうか…。それでも、歌っている時の燦然とした輝きと深淵を覗くような凄みは無二のものでした。彼女は不幸である時にしか幸せを感じない、という言葉もありましたが、不幸であるほどに輝きを増すタイプの人だったのかもしれません。インタビューでなぜ、ジャズシンガーは短命なのか聞かれて、私は1日で100日分生きたいのと答える場面もありました。その言葉の通り、駆け抜けるように生きたビリーが亡くなったのは、62年前の今日、44歳の時でした。

映画では「奇妙な果実」をライヴで歌う場面もありました。若かった頃の自分がなぜこの曲を聴いて怖いと思ったのか、その後封印したのかがおぼろげながらわかったような気がしました…。これはもう歌とか芸術とか、そういう領域を超えた告発にほかならないかもしれません。そしてそれは差別した人間のみならず、あらゆる人間の中にある罪に向けたものかもしれず…。

さて、例によって鑑賞後は甘いもの、ということで映画館のすぐ近くにある「シクスバイオリエンタルホテル」でパンケーキを食べてきました。2枚重ねでバターもたっぷりかかったパンケーキ、ふわっふわっかつボリューミーで美味しゅうございました…。

アメイジング・グレイス

2021-07-05 01:37:33 | 映画
ル・シネマで「アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン」を見てきました。

これも公開を知った時から楽しみにしていた映画です。この映画は1972年1月13日・14日にロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で行われたアレサ・フランクリンのライヴのドキュメンタリーです。アルバムの方はつとに有名ですが、映画の方は技術的理由により長らくお蔵入りになっていました。なんでもカチンコを忘れてしまったため、音と映像をシンクロさせることができないという状態になっていたそうです…が、テクノロジーの進歩によりみごと映画としてよみがえったのだとか…(以下、ネタバレ気味です)。

このライヴ、バックのメンバーも豪華です。コーネル・デュプリー(g)、チャック・レイニー(b)、バーナード・パーディー(ds)…仕切りはゴスペル王、ジェームズ・クリーブランド師。なんかもう、メンツ見ただけで最強な感じですよね…。この映画は2日にわたるライヴのいいとこどりをした形になっています。2日目の方がお客さんも増えて華やかな雰囲気なのですが、客席になんか目立つ白人のお兄ちゃんがいるなぁ、と思ったらミック・ジャガーでした…。アレサ・フランクリンは歌を聴いているとパワフルな人を想像してしまいますが、映像で見ると本当はむしろシャイな人だったのかな、という感じです。アレサは汗だくになりながら、そして時には涙を流しながら歌っています。彼女に影響を与えたというクララ・ウォード、そして父親のフランクリン師も登場。アレサ父は、アレサは教会から離れたことは一度もない、と力説します。ゴスペルは何を歌うかではなくて誰に歌うかが重要だとも。そして、アレサの少女時代の思い出話も…彼女は幼い頃から耳のいい子だったと言っていましたね。そんな父の話を涙ぐみながら聴いているアレサは何だか少女のようでした…。曲はほぼゴスペルでしたが、アレサの歌はマーヴィン・ゲイの”Wholy Holy“で始まり、“You‘ve got a friend”をゴスペルっぽい替え歌にして歌ったりもしています。この曲でのクワイアの盛り上がりは鳥肌ものでしたね…。“Amaging grace”は自由に伸びやかに歌っていて…何かが降りてきているようでした。ライヴは二日目の終盤が凄いことになっていました。異様なまでの高揚感で、ヒステリー状態になるお客さんも。客席のハンドクラップも凄かった。黒人以外には絶対真似できなさそうなグルーヴを軽々と…。そして、神への信仰を歌うというよりは叫ぶように告白するアレサ…やはりゴスペルには信者にしか踏み込めない領域が存在するのだとあらためて思い知らされました…。

製作から約半世紀を経て公開されたこの映画、アレサ自身は生前、公開を望んでいなかったそうです…が、その後、アレサも亡くなりました。そして、今このタイミングで映画が公開されたというのも、何やら神の思し召しなのかもしれませんね…。

ネコの5原則

2021-07-03 23:49:39 | 美術
東京国立近代美術館で「隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則」を見てきました。

例によって鑑賞前に腹ごしらえ…ということで、パレスサイドビルの中にある「赤坂飯店」で担々麺を食べてきました。竹橋近辺はお店が少なめということもあり、ここには何度となく通っています。ここの担々麺、なんか癖になっちゃう美味しさなんですよね…。

さて、お腹もふくれたところで会場へ。会場は有料の第1会場と無料の第2会場とに分かれています。第1会場は隈氏の作品の中から公共性の高い68作品をピックアップ、氏が考える5原則「孔」「粒子」「斜め」「やわらかい」「時間」に分類して紹介しています。この5原則はネコの価値観によるものらしく、「公共性」は人間を軸にして建築を考えるということのようです。作品の解説も隈氏自身によるものです。エントランスには浮く茶室「浮庵」、会場入ってすぐには「国立競技場」の模型と写真が。氏がデザインしたランプシェードも展示されていましたが、これもかっこよかったな…。映像インスタレーションもスタイリッシュ。そして、会場には多数の模型が…これでも作品の一部なのですから、もはや一人の人間の仕事量とは到底思えません…。模型の中には小さな小さなネコちゃんも。個々の作品については書ききれないのですが、全体を通して感じたのは、不思議な抜け感というか、開放感。威圧的なところがないのですよね…癒しというか、ヒーリング効果すら感じました。これはいったいなんなのだろう…。解説ではハコものに対する疑義が書かれていましたが、一貫して従来的な建築観に対するアンチテーゼのようなものは感じました。水平・垂直/斜め、固い/やわらかい、塊/粒子、壁/孔、空間/時間…ネコ的価値観というか、アフターコロナの価値観もこういう方向に向かうのかもしれませんね。会場で謎の多幸感に包まれながら、人を幸せにする建築って、どんなんだろう…と、ぼんやり考えたものでした。

第2会場では「東京計画2020(ニャンニャン) ネコちゃん建築の5656(ゴロゴロ)原則」が紹介されていました。このプロジェクトでは神楽坂の半ノラ猫にGPSを付けてその行動をトレースし、映像化しています。地面に近いネコの視点で都市を見るとヒューマンな建築が作れるのでは、ということのようです。このネコちゃんの面構えが実に立派なのですよね…彫刻ネタとかになりそうな逞しさです。こちらの会場では隈氏のインタビュー映像も上映されていたのですが、これも面白かったです。建築家は余計なものを排除したくなる傾向があるけど、自分は雑音大歓迎と。そしてクライアントとの対話を大事にし、クライアントにリラックスしてもらうことに心を砕いているようです。クライアントが言いたいことを言えずにギクシャクしたものが残っていると、それが建築に悪さをするのだとか。氏の作品に漂う不思議なリラックス感の理由はこのあたりにあるのかもしれませんね…。というわけで、リラックスって大事、と肝に銘じました。まあ、ただでさえぐーたらな不肖わたくしがこれ以上リラックスしてどうするのだ、という気もしないではないですが…(爆)。