ヒューマントラストシネマ渋谷で「アートなんかいらない!」を見てきました。
なかなかに刺激的なタイトルの映画です。この作品の監督である山岡信貴氏は縄文文化にハマる8年間を過ごすうちに、いつしか「アート不感症」に陥っていたのだとか。アートに接しても何も感じない、それどころか何を面白いと思っていたのかすらわからない…。監督にいったい何が…と半ば好奇心に駆られて行ってまいりました(以下、ネタバレ気味です)。
パンデミックの中、アートについて考えてみたというこの映画は2部作になっています。Session1は「惰性の王国」。映画はモーツァルトのレクイエムをBGMに何やらものものしくスタートします。そして、荒川修作氏の天命反転住宅を俯瞰で撮っているのですが、これが美しい…。このSessionではおもに日本でのアートをめぐる諸問題の考察と荒川氏がアートを捨てた理由の検証とが行われています。大地の芸術祭やあいちトリエンナーレの関係者などがインタビューに答える一方で、アートは必要とされているのか、という監督の問いが繰り返されます。アートはもはや○○○引越センターよりも、○○○ネイチャーよりも必要とされていないのではないか、という突っ込みが切ない…(さすが関西の方です)。そして、一緒に暮らすならモナ・リザよりも○○○○○と暮らしたい、と天命反転住宅の住人の驚愕の正体が明かされます…。
Session2 は「46億年の孤独」。今度は清らかなアリアの調べにのせて長崎の平和公園の光景からスタートします。なまはげ、蜂の巣アート(?)…いわゆる「アート」の周縁にあるものを「あーと」と呼び、あーと>アートの構図が示されます。ラスコーの洞窟絵画から縄文土器、さらには人工知能によるアートの可能性…などなど、めまぐるしく話は展開します。宗教学者の鎌田東二氏や理論物理学者の佐治晴夫氏も登場し、壮大な話へ…ローカル、グローバルを超え、もはやユニバーサルな展開です。結局、アートとは何だったのか…人間の自意識が創りあげた虚像なのか…かのドビュッシーは芸術とは最も美しい嘘、という言葉を残していたそうですが。あーとは常に人類とともにある存在なのかもしれませんが、一部をアートと呼び美術館の中に閉じ込めた時に何かしら違うものになっていったのやもしれません…。
そんなわけで、いろんな意味で刺激的な映画でした。そういえば私も展覧会を見るのは大好きなのですが、思えば年々、見る数は減っていました。展覧会に行くこと、心を動かされることさえ気が付けばルーチンになりつつあったような気すらします。恐ろしいことに…。アートを美術館で見られるようなものに限定すれば、いずれ飽和状態(お腹いっぱい)になるのは自明だったのかもしれませんが。それでもいまだ見たことのないものを見てみたい、という衝動は残っているのです…AIか宇宙人か、はたまた知られざるアーティストか市井の人によるものかはわかりませんが…。