aquamarine lab

アートネタなど日々のあれこれ

円覚寺の至宝

2019-06-24 00:17:57 | 美術
三井記念美術館で「円覚寺の至宝」を見てきました(展示は既に終了しています)。

子どもが生まれるまでは、紫陽花の季節には毎年のように鎌倉に行っていたのですが、その後、ちょっとした遠出もままならず、さらに鎌近もなくなってしまったりで、すっかり足が遠のいておりました。円覚寺にも何度か行っているのですが、紫陽花の記憶はあっても、仏像の記憶がなかったような・・・。

展覧会はまずは「開山箪笥」から。素敵な箪笥でもあるのかしらん、と思ってしまいましたが、開山の無学祖元の所用品のことでした。鎌倉彫の元祖なのでしょうか、みごとな彫物の数々・・・。お隣の部屋には「青磁袴腰香炉」が。独特の色合いとフォルム。青磁好きの方にはたまらんでしょうね。次のお部屋には「霊照女図」が。大きな達磨図も。メインの展示室にはお宝が集結。「宝冠釈迦如来像」は麗しい。宝冠も繊細です。「華厳海会善知識曼荼羅」も初めて見るようなユニークな曼荼羅でした。そして、仏教界的にも一大イベントと思われる、蘭渓道隆と無学祖元のツーショット展示が。各々の像と墨蹟が並べて展示してあります。どちらの座像も生きているかのようで、各々のキャラをみごとに伝えてくれています。厳格そうな蘭渓道隆、懐深そうな無学祖元。ありがたく拝んで参りました。続いて「大陸文化との交流」の章。「白衣観音図」が綺麗。青磁もいくつか。最後は「円覚寺派の展開」。雪村「竹に鷺図」が、すっきりとした美しさ。

そんなわけで、円覚寺の仏像はどういうことになっていたのか、を長い歳月を経て、ようやく知ることができました。これも仏のお導きでしょうか・・・。そろそろ鎌倉を再訪してみたいものです。

さて、例によって、鑑賞後はランチを、ということで、美術館のすぐ近くにある「離島キッチンに行ってまいりました。そうですよ、「ぶらぶら美術館」を見たら行きたくなってしまったのですよ・・・。メインの丼プラスお惣菜のビュッフェがあります。丼は「寒シマメの漬け丼」をセレクト。生卵を絡めて食べると美味しゅうございました。食後のびわ茶もほっとするお味。物販もあったので、ぶるべりげというブルーベリーのマカロンとびわ茶を買ってかえりました。家でおやつにすると、島でくつろいでいるような気分になりました。離島好きとしては、こういうお店ができたのはうれしいことです。また、離島めぐりもしてみたいな・・・。
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世紀末ウィーンのグラフィック

2019-06-11 19:07:47 | 美術
目黒区美術館で「世紀末ウィーンのグラフィック」を見てきました(展示は既に終了しています)。

先日見に行ったクリムト展といい、今年は実は「日本におけるオーストリア年」とかだったのか?というくらいウィーン関連の企画が続いているような気がしますが・・・。ちなみに、この展覧会は京都国立近代美術館のコレクションによるものです。

最初は「ウィーン分離派」のセクション。機関誌やカタログなどが並んでいます。華麗なデザインの数々。クリムトの蔵書票も。なんだか面白い顔です。ココシュカやクリムトの素描もあります。そして、ここで最もというか、展覧会全体でも最もインパクト強かったかもしれないのがエゴン・シーレの素描。ラフに描いたようにも見えますが、何なんでしょう、このパワー・・・。次は「新しいデザイン」のセクション。ここにはココシュカの絵葉書が。「窓辺の少女」はステンドグラスのような素敵なデザイン。青と緑の取り合わせが幻想的な趣です。マックス・ベニルシュケの「書籍装丁と平面模様」も見飽きないデザインだし、コロマン・モーザーのころんころんの山椒魚もかわいい・・・。その次は「木版画の復権」。日本の多色木版画のブームが木版の復権のきっかけだったとか。絵画と比べて廉価なこともあり、広く芸術を行き渡らせるという意義もあったようです。カール・モルの作品はスタイリッシュ。エルンスト・シュテールの「山の湖」もカラフルで楽しい。最後は「新しい生活」。コロマン・モーザーの「月次絵」は幻想的で美しいデザイン。ユリウス・クリンガーの「ソドム:ある遊戯」は退廃的で妖しい・・・。

というわけで、ウィーン・グラフィックの世界を楽しんでまいりました。ところでこの展覧会、カタログもなかなか評判のようです。それだけでなく、チラシもとても素敵でした。A4見開きの凝ったデザインで、情報量も豊富。いかにもこの展覧会にふさわしい感じです。さすがです・・・。
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ヨーゼフ・ボイスは挑発する

2019-06-06 19:46:16 | 映画
アップリンクで「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」を見てきました(上映は既に終了しています)。

「社会彫刻」の概念を生み出したアーティスト、ヨーゼフ・ボイスのドキュメンタリー。いまだ全容をつかみきれない、そして、とらえどころのないアーティストです。30年以上も前に亡くなっていたということが信じられないくらい、今になってもその叫びは生々しく響きます(以下、ネタバレ気味です)。

死んだウサギを抱っこしたり、コヨーテと同居(?)したりといったパフォーマンで知られるボイスですが、その原点はやはり、第二次世界大戦で自身が乗っていた飛行機が撃墜され、死にかけたということにあるようです。この時、タタール人に救出され、体温維持のため脂肪を塗りフェルトでくるむという治療によって一命をとりとめたとか。戦後、ボイスは重い鬱病になり、「芸術は終わった」と語りました。ボイスの原点は「傷」とは、教授の言葉でもありますが、おそらくそうなのでしょう。自身の、そして社会の傷を修復する試みがアートだったのでしょうか。

デュッセルドルフ芸術大学の教授に就任するも、定員で入れなかった学生の受け入れをめぐり当局と対立、解雇。「緑の党」から選挙に立候補するも、落選。チャレンジと挫折の繰り返し。そのアグレッシブな行動からエキセントリックな人柄を想像してしまいますが、彼を知る人によればこの上ないくらいの常識人だったらしいです。言われてみれば、常識人だったからこそ、常識を疑うということができたのかも・・・。

アートは世界を変えることができるか、というのは永遠の命題であり、謎なのだと思います。ボイスは「芸術だけが革命的な力を持つ」「芸術によっていつか民主主義が実現する」と言いました。すべての人間が芸術家、とも。美術館やアカデミーに体現されるものだけが芸術ではない、ということを、身体を張って主張し続けたボイスの生きざま自体がアートでした。そして、死してなお、ヨーゼフ・ボイスの遺したものは人々を挑発し続けるのでしょう・・・。
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