恵比寿ガーデンシネマで「ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?」を見てきました。
全米人気No1だったバンドはなぜ失墜したのか…その謎に迫る音楽サスペンス・ドキュメンタリーです。1967年、アル・クーパーが結成したブラッド・スウェット・アンド・ティアーズはブラスロックというジャンルを打ち立て、1969年にはグラミー4部門を受賞する超人気バンドになりました。そして、その翌年、彼らはある事情からアメリカ国務省が主催する東欧諸国への「鉄のカーテンツアー」へと旅立ちます。カーテンの向こう側で彼らが見たものは…(以下、ネタバレ気味です)。
ブラスロック、と言うとまず思い浮かんでしまうのはシカゴですが、BS&Tの方が先だったのですね。元々はアル・クーパーが結成したバンドですが、彼のボーカルでは弱いから、ボーカルを変えたらとメンバーが打診したところ、アルは歌えないならやめるという話になり、代わりにボーカルになったのが、カナダ人のデヴィッド・クレイトン・トーマス。この映画にはライヴのシーンがたくさんありますが、当時の彼の輝きが凄い…力強い歌声と歌の説得力。しかし、彼はカナダにいた頃、10代の半分くらいは少年院にいたというワルだったらしく、その事がこの件の遠因ともなっています。
BS&Tが東欧へ旅立つことになったのは、アメリカ国務省の意向によるものでした。鉄のカーテンが厚かった時代、西側の音楽をワクチン代わりにということだったようです。あのディジー・ガレスピーがパリッとしたスーツに黒縁眼鏡といういで立ちで、素敵な武器(楽器)を持って闘いにいくんだ、と言っているシーンもあって、思わず目が点になってしまいました。そんなこんなで東欧へと旅立ったBS&T。訪れたのはユーゴスラビア、ルーマニア、ポーランドです。ユーゴスラビアでは全く受けなかったのですが、ルーマニアでは大いに盛り上がり…いや、盛り上がり過ぎました。当時のルーマニアは独裁政権による恐るべき監視社会、人々の音楽への渇望はそのまま自由への渇望でもあったのでしょう…。事態を危険視したルーマニア当局はBS&Tにデカい音を出すな、服を脱ぐな、物を投げるな、といった指令を出します。果ては音楽をジャズ寄りにしろ、と。これにはさすがにメンバーがどの程度ジャズ寄りかなんてルーマニアの誰が判断するんだよ、ジャズ目盛りでもあるんかい、と突っ込んでいましたね。厳重注意を受けていたにもかかわらず本番ではやっちまった彼ら、果たしてその結果は…。そして、時にスパイ大作戦ばりの展開を見せながら、鉄のカーテンの向こう側からやっとこさ帰国した彼らを待ち受けていたのは…。
BS&Tの凋落の原因をこのツアーのみに帰すのは早計かと思いますが、それでもツアーに行っていなかったら、とは思ってしまいます。しかし、当時の彼らには行かない、という選択肢は残されていませんでした。つくづく政治って怖い。とはいえ、結果的には半世紀過ぎて当時の輝かしい姿がこうして映画になり、ここ日本でも上映されているわけです。まさに禍福は糾える縄の如しというか、spinning wheelというか…。
さて、この日は帰りに恵比寿アトレの中にある「ル・グルニエ・ア・パン」でアボカドとサーモンのクロワッサンとチーズとハムのバゲットを買って帰りました。パンも具材もびっくりするくらい、美味しゅうございました…。