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アートネタなど日々のあれこれ

ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?

2024-10-25 21:12:22 | 映画
恵比寿ガーデンシネマで「ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?」を見てきました。

全米人気No1だったバンドはなぜ失墜したのか…その謎に迫る音楽サスペンス・ドキュメンタリーです。1967年、アル・クーパーが結成したブラッド・スウェット・アンド・ティアーズはブラスロックというジャンルを打ち立て、1969年にはグラミー4部門を受賞する超人気バンドになりました。そして、その翌年、彼らはある事情からアメリカ国務省が主催する東欧諸国への「鉄のカーテンツアー」へと旅立ちます。カーテンの向こう側で彼らが見たものは…(以下、ネタバレ気味です)。

ブラスロック、と言うとまず思い浮かんでしまうのはシカゴですが、BS&Tの方が先だったのですね。元々はアル・クーパーが結成したバンドですが、彼のボーカルでは弱いから、ボーカルを変えたらとメンバーが打診したところ、アルは歌えないならやめるという話になり、代わりにボーカルになったのが、カナダ人のデヴィッド・クレイトン・トーマス。この映画にはライヴのシーンがたくさんありますが、当時の彼の輝きが凄い…力強い歌声と歌の説得力。しかし、彼はカナダにいた頃、10代の半分くらいは少年院にいたというワルだったらしく、その事がこの件の遠因ともなっています。

BS&Tが東欧へ旅立つことになったのは、アメリカ国務省の意向によるものでした。鉄のカーテンが厚かった時代、西側の音楽をワクチン代わりにということだったようです。あのディジー・ガレスピーがパリッとしたスーツに黒縁眼鏡といういで立ちで、素敵な武器(楽器)を持って闘いにいくんだ、と言っているシーンもあって、思わず目が点になってしまいました。そんなこんなで東欧へと旅立ったBS&T。訪れたのはユーゴスラビア、ルーマニア、ポーランドです。ユーゴスラビアでは全く受けなかったのですが、ルーマニアでは大いに盛り上がり…いや、盛り上がり過ぎました。当時のルーマニアは独裁政権による恐るべき監視社会、人々の音楽への渇望はそのまま自由への渇望でもあったのでしょう…。事態を危険視したルーマニア当局はBS&Tにデカい音を出すな、服を脱ぐな、物を投げるな、といった指令を出します。果ては音楽をジャズ寄りにしろ、と。これにはさすがにメンバーがどの程度ジャズ寄りかなんてルーマニアの誰が判断するんだよ、ジャズ目盛りでもあるんかい、と突っ込んでいましたね。厳重注意を受けていたにもかかわらず本番ではやっちまった彼ら、果たしてその結果は…。そして、時にスパイ大作戦ばりの展開を見せながら、鉄のカーテンの向こう側からやっとこさ帰国した彼らを待ち受けていたのは…。

BS&Tの凋落の原因をこのツアーのみに帰すのは早計かと思いますが、それでもツアーに行っていなかったら、とは思ってしまいます。しかし、当時の彼らには行かない、という選択肢は残されていませんでした。つくづく政治って怖い。とはいえ、結果的には半世紀過ぎて当時の輝かしい姿がこうして映画になり、ここ日本でも上映されているわけです。まさに禍福は糾える縄の如しというか、spinning wheelというか…。

さて、この日は帰りに恵比寿アトレの中にある「ル・グルニエ・ア・パン」でアボカドとサーモンのクロワッサンとチーズとハムのバゲットを買って帰りました。パンも具材もびっくりするくらい、美味しゅうございました…。
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ECMレコード―サウンズ&サイレンス

2024-10-24 21:07:06 | 映画
ヒューマントラストシネマ渋谷で「ECMレコード―サウンズ&サイレンス」を見てきました。

名門レコード・レーベル、ECMのドキュメンタリーです。私はECMの音楽の大ファンなので、公開を知った時から本当に楽しみにしておりました。長く憧れの人であった、マンフレート・アイヒャーのお姿を見ることができる…!ということで、公開後間もなく、いそいそと行ってまいりました(以下、ネタバレ気味です)。

映画で見るマンフレート・アイヒャーは想像どおりの人でした…年齢不詳のイケオジ、そしてどこか求道的な雰囲気を醸し出しています。寡黙な人のようですが、自分の過去をぽつりぽつりと語る場面もありました。元々ベースを弾いていたこと、しかし偉大な先人のようには弾けないことを悟り、録音する側に回ったこと。いい音楽をたくさん聴いて耳を鍛えたこと…。録音する側になると、音楽の聴こえ方が違ってきたというようなことも言っていましたね。ECMの音楽の透徹した音の響きは彼の耳によるものだったということをあらためて認識しました。彼はレコーディングに立ち会い、音量バランス、ダイナミクス、はてはピアノの調律にまで気を配ります。いい音楽は流星のような光の筋…と語っていたのが印象的でした。奏でられる音を聴きながら、きっと美しい光が見えているのでしょう…。

この映画では世界各地のECMのミュージシャンと会うアイヒャーの姿を追っており、どこかロードムービーのような趣もあります。とりわけ、エストニアの教会でアルヴォ・ペルトがレコーディングしているシーンが感動的でしたね…弦の低音の重厚な響き、odessaのあるところで見てよかったとしみじみ思いましたよ…。ヤン・ガルバレクのレコーディングのシーンも。想像どおりのイケオジぶり、音も迫力がありました。アンゲロプロス映画の音楽を長く手がけたエレニ・カラインドルーのほか、デンマークのパーカッショニスト、チュニジアのウード奏者、アルゼンチンのバンドネオン奏者なども登場。かと思えば、戦火の中にあるレバノンで女性歌手が歌うシーンも。世界各地のミュージシャンとのセッション、ECMの音楽はもはやジャズの枠を超え、ワールドミュージックともどこか異なる、無国籍音楽とでもいうような広がりを見せています。しかし、そこにはアイヒャーの美意識が徹底して貫かれているのです。

この映画、映像もECMのジャケ写のような美しさでした。映像と音楽でECMの世界観を再現したような映画で、見ているとたゆたうように時間が過ぎていきました…。「静寂の次に美しい音楽」を追求するアイヒャーの旅は続いていくのでしょうか…。
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ソング・オブ・アース

2024-10-04 00:06:13 | 映画
TOHOシネマズシャンテで「ソング・オブ・アース」を見てきました。

ノルウェー西部の山岳地帯オルデダーレンの大自然と、そこで暮らす老夫婦の姿をとらえたドキュメンタリーです。この地帯は世界でも有数のフィヨルドを誇ります。この映画の監督は夫婦の娘であるドキュメンタリー作家マルグレート・オリン。ヴィム・ヴェンダースと、ノルウェーを代表する大女優リヴ・ウルマンが総指揮です(以下、ネタバレ気味です)。

映画はオルダーレンの春夏秋冬を順に追っていきます。84歳になるという監督の父が散歩する姿をひたすら映し出すのですが、これが散歩というよりはもはや登山…峻険な山道を、トレッキングポールをつきながら軽々と登っていきます。眩暈がしそうな断崖絶壁でも平然としていますが、住んでいる人にとってはいつもの光景なのでしょうね…。監督の母も時おり登場…お二人の仲睦まじい様子が本当に微笑ましいです。

雪山の白、氷河の青、湖の碧、草原の緑、花の赤、オーロラの七色…ドローンを駆使して撮影された映像は圧倒的な大自然を淡々と映し出します。まるで地球の歴史を見ているかのような、壮大な光景です。自然の中で生きている動物たちの姿も。トナカイ、馬、犬、フクロウ、ワシ…ちょいちょい現れたオコジョが愛らしかった…。この映画には自然の音も溢れています。氷河の音、雪崩の音、瀑布の音、風の音、川の音…まさに地球の歌。監督は自然の音を録音し、音楽に変換、作曲家が楽譜に起こし、オーケストラが演奏しています。監督のこの音への並々ならぬこだわりは、幼い頃に「氷河の音からオーケストラが聴こえる」と感じたことから始まるようです。

しかし、美しい自然は時に過酷です。この地でも雪崩や土砂崩れで命を奪われた人々がいました。一方で人間による環境破壊の影響も…この地でも年々、氷河は縮小しています。時に対立しながらも、この地で人々と自然は長い間共生してきました。それでも大自然と比べれば人間はあまりにも小さい…その事実をこの映画は目の当たりにさせてくれます。しかし、その小さな人間たちが細々と命をつないできた奇跡…この地球には奇跡が満ち溢れています…。

さて、アートといえば甘いもの…ということで、この日は日比谷シャンテにあるル・プチメックでクリームホーンマロングラッセを買ってきました。筒状にしたパイ生地の中にマロンクリームが入っているのですが、パイはサクサク、クリームは栗の味がしっかりして美味しゅうございました…。
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生まれておいで 生きておいで

2024-10-03 00:05:39 | 美術
ひさしぶりに上野で展覧会のはしごをしてきました。と言っても、だいぶ前のことになってしまいましたが…。

最初に行ったのは、東京国立博物館「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」です(展覧会は既に終了しています)。この展覧会、開催を知った時から楽しみにしていました…内藤さんの世界観と国立博物館がどういう出会いをするのかと。この展覧会は博物館の収蔵品や建築空間と内藤さんの出会いから始まりました。内藤さんは縄文時代の土製品に自身の創造と重なる人間のこころを見出したそうです…。展示は3か所に分かれていました。第1会場となっている平成館の細長い展示室では、ガラスケースの中に縄文時代の遺物がそっと並べられ、天井からは小さな球体のオブジェが吊り下げられています。私は太古から未来へとつらなる生命の連鎖をイメージしました…。第2会場は本館特別5室。カーペットと壁が取り払われ、むき出しの空間があらわれていました。思わず息を飲みましたね…長年通ってきた国立博物館は実はこうなっていたのかと。そして、アピチャッポン・ウィーラセタクンの映画のワンシーンに立ち会っているような不思議な感覚に陥りました。建物はその歴史を内包しているということを目の当たりにしたような…。第3会場は本館ラウンジ。小さなガラス瓶に水を満たした「母型」がそっと置かれています。壁にはきらきら光る金色の画鋲がいくつか。大きな窓からの光も差し込み、祝福された空間のよう。今まで見たことのないような感じの展覧会でしたが、内藤さんの祈りの縄文の人々の祈りが邂逅した場に立ち会っているような、そんな不思議な体験でした…。

次に行ったのは、同じく東京国立博物館の「空海と神護寺」です(展覧会は既に終了しています)。この展覧会は神護寺創建1200年と空海生誕1250年を記念して開催されました。本尊の「薬師如来像」が寺外で初公開されるというので行ってまいりました…さすがに威厳のあるお姿でしたね…。国宝の「五大菩薩像」は五体が揃う例としては日本最古なのだそうです。曼荼羅のように配置され、ライティングの妙も相まってより神秘的に。また、230年ぶりの修復を終えたという「高雄曼荼羅」も。精緻な美しさがよみがえったような…。神護寺三像の揃い踏みも。その他にも「灌頂暦名」「観楓図屏風」などの国宝や「大般若経」などの重文の多数…神護寺の威力を思い知らされた展覧会でした。

最後に行ったのは東京都美術館の「デ・キリコ展」。キリコの10年ぶりの大回顧展です(展覧会は既に終了しています)。前回の汐留ミュージアムでの展覧会も行きました…あれからもう10年も経ったのか…。今回の展覧会は初期から晩年までの作品が網羅されていましたが、初期の形而上絵画がけっこう出ていたのが嬉しかったです…イタリア広場、形而上的室内、マヌカン…見ているだけで心が異界に飛びます。室内風景と谷間の家具も不思議…さすが謎を愛した画家です。その後、伝統的な絵画へと回帰しますが、再び形而上絵画へ描くように…過去の作品と新たなモチーフを再構成した作品は新形而上絵画といわれました。光と影のコントラストが強烈な初期の形而上絵画と比べるとどこか明るい印象を与えます。今回は絵画の他にも彫刻や、キリコが手掛けた舞台衣装も展示されていました…何ともシュールな衣装でしたね…。そんなわけで、前衛と古典を行き来したキリコの世界を堪能…キリコ展の決定版とも言えそうな充実した内容でしたが、再びこの規模のキリコ展が開催されるのはまた10年後になるのでしょうか…。
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LISTEN.

2024-10-02 00:20:44 | 映画
角川シネマ有楽町で「LISTEN.」を見てきました(この映画館での上映は既に終了しています)。

こちらもPeter Barakan’s Music Film Festival2024の一環での上映です。この映画はアメリカの映像作家ギャリー・バシン氏と女優の山口智子さんが10年かけて30カ国の伝統音楽を記録した企画の前半の5年分の素材を編集した作品です。不肖わたくし、民族音楽は大好きなのですが、そうそう自分で現地に出かけて行くわけにもいかず、こういう企画は涙が出るほどありがたく…(以下、ネタバレ気味です)。

このプロジェクトは山口さんのライフワークであり、LISTEN.は未来へ紡ぐ映像のタイムカプセルなのだとか。それにしても30ヵ国ってすごいですよね…カザフスタン、ハンガリー、トルコ、ギリシャ、セルビア、アルゼンチン、ベリーズ、インド、アイスランド、ジョージアなどの伝統音楽が取り上げられていますが、国名を並べるだけでなんだかクラクラしてしまいます…なんてワールドワイドな…!音も映像も素晴らしく、世界にはこんなに素晴らしい音と踊りが溢れているということを実感できる作品でした。まさに音の世界遺産。この企画は山口さんがハンガリーのブタペストで夜の帳から聴こえてきたヴァイオリンに魅せられたことから始まりました。カザフスタンの若手グループ、トルコのピアニスト、ギリシャのリラを奏でる詩人の歌、セルビアのバルカンブラス、アンデス山脈から響く歌、ベリーズの老人のギター弾き語り、インドの超絶技巧、アイスランドの古代の歌…とりわけラストのジョージアでの祝宴で披露されたポリフォニーが最高でした…。

私が行った日は山口さんとバシンさん、そしてバラカンさんのトークも行われていたので拝聴してきました。山口さんを生で拝見するのは初めてなのですが、さばさばしたかっこいいお姉さま、という感じで素敵でしたね。制作のお話がメインでしたが、お二人が現地に行かれると、まずは現地のCDショップでかの地のミュージシャンのCDを大量に買い、これはという人にコンタクトを取るのだとか。他にはボイジャーに載せられたレコードの話とかもされていましたね…。スポンサーさんへの感謝を述べる場面も。そして何より、音を聴いて、感じてほしい…という山口さんの情熱が伝わってくるお話でした。こんな素晴らしいタイムカプセルを残してくださったお二人に心から感謝です…。
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自分の道 欧州ジャズのゆくえ

2024-10-01 20:56:28 | 映画
角川シネマ有楽町で「自分の道 欧州ジャズのゆくえ」を見てきました(この映画館での上映は既に終了しています)。

Peter Barakan’s Music Film Festival2024の一環での上映です。この映画は「BLUE NOTEハート・オブ・モダン・ジャズ」と同じくユリアン・ベネディクト監督の作品です。この作品ではヨーロッパのジャズミュージシャンが独自の道を歩む過程を追っています(以下、ネタバレ気味です)。

映画では欧州ジャズの歴史を、アーカイブ映像と欧州ジャズメンのインタビューで明らかにしています。第二次世界大戦後、アメリカの著名ジャズミュージシャンがヨーロッパに演奏に行ったことから、ヨーロッパにジャズが伝わりました。ヨーロッパではミュージシャンがさほど黒人扱いされなかったらしく、人種差別を逃れてアメリカからヨーロッパにやってきたジャズミュージシャンがいる一方、東欧の共産主義政権の下ではジャズが自由の象徴という面もありました。映画ではジャズ・ジャイアンツのヨーロッパでの演奏シーン、欧州ジャズのアーティストのインタビューも多数(ECMのミュージシャン達も出ています)、そしてなんとヤン・ガルバレクがナレーターを務めています。私、ガルバレク大好きなんですよ…テナー吹きで一番好きかもしれません…彼の話す声を聴いて、演奏する姿を見られて満足でした。チャーリー・パーカーになろうとしてもなれない、自分の道を行くしかないということを語っていましたね…。最後の方にECMのマンフレッド・アイヒャーも出ていましたが、レコーディングを指揮する姿はイメージ通りでかっこよかったです。アメリカの黒人の音楽がメインストリームとなっているジャズにおいて、ヨーロッパの白人たちはいかに自分たちの道を見出していったのか…メインストリームではないからこその自由があったようにも思います。そして、さまざまなスタイルを受け入れる懐の広さがジャズの一番の魅力かもしれません…。

私が行った日はピーター・バラカンさんのトークもあったので拝聴してきました。その中でブルーノートの創設者はユダヤ系ドイツ人、ECMの創設者もドイツ人というお話もあり、ジャズの歴史でドイツ人が果たした役割の大きさにあらためて気づかされました。白人世界でマイノリティだった黒人がジャズを生み出し、黒人ジャズの世界ではマイノリティだった白人が白人ジャズを生み出すという入れ子構造、そしてキーマンは実はドイツ人…いろいろと発見のあった映画でした。
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ボレロ 永遠の旋律

2024-09-30 23:24:20 | 映画
TOHOシネマズシャンテで「ボレロ 永遠の旋律」を見てきました。

音楽史に残る傑作「ボレロ」の誕生の秘密を、史実をもとに解き明かす音楽映画です。この名曲は実は作曲者のラヴェル自身が最も憎んでいた曲でもあったという…それはいったいなぜなのか…(以下、ネタバレ気味です)。

1928年のパリ、ラヴェルは、ダンサーのイダ・ルビンシュタインからバレエの音楽を依頼されたものの、一音も書けずにいた…というところから話が始まります。編曲の名手でもあったラヴェルは既成曲を編曲して提供しようとするものの、曲の権利が既に他人にわたっていたことを知り、自身で曲を創ることに…。工場の機械音や家政婦の好きな流行歌などからヒントを得て、ボレロを完成させるのですが…。

ラヴェルの音楽の魅力は非常に理知的なところと官能的あるいは陶酔的なところが絶妙なバランスで同居しているところかと思いますが、この映画では官能的なところは本人の意図したところではなかったというスタンスです。ボレロも本人的には新しい時代を礼賛する意図で作曲したのですが、ラヴェルの音楽の特性をダンサーは鋭く見抜いていたのでしょう…この曲に非常に官能的な振付をします。これにラヴェルが激怒。さらにこの曲の大成功に「キャリアが飲み込まれてしまった」と…他の曲が埋もれてしまうという結果にラヴェルの苦しみが深まります。

この映画ではラヴェルの人生、どちらかというと影の部分にも焦点を当てています。思いのほか挫折の多い人生だったのですね…戦争の傷、ローマ大賞に5度の落選、盗作疑惑、母の死、自身の脳の障害…。晩年は、楽想はあるのに譜面に起こせないという状態に陥ります。さらに病が重くなると、ボレロのレコードを聴きながら「この曲誰が作ったの?悪くないね」と…。

それにしてもボレロって凄い曲ですよね…1分間のテーマが17回繰り返されているというだけの曲が時代を超え地域を超えて人を熱狂させているのです…映画のオープニングでもボレロのさまざまなアレンジの映像が流れますが、まさに永遠の旋律。さらに、この映画ではボレロ以外のラヴェルの名曲も使われています。ピアノ曲も海に沈む落日のような美しさ…思い出したのは教授の音楽です。教授はドビュッシーに傾倒していましたが、どちらかというとドビュッシーよりラヴェル寄りだったのでは…と今さらながら思い始めました。それにしても、エンドロールで使われていたあの曲は天国のような美しさだったなぁ…。
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アルディッティがひらく

2024-09-29 23:58:51 | 音楽
サントリーホールサマーフェスティバル2024「アーヴィン・アルディッティがひらく オーケストラ・プログラム」に行ってきました。

とは言っても、行ってからだいぶ日が経ってしまいましたが、自分の心覚えのために…。今回、プロデューサー・シリーズに登場したのはアーヴィン・アルディッテイ氏。氏の率いるカルテットは今年で創立50周年ということです。この日はクセナキスのオーケストラ曲を2曲も演奏するらしい…しかもアルディッテイ氏のソロもあるらしい…ということで、いそいそと行ってまいりました。

1曲目は細川俊之「フルス(河)」。いかにも細川氏らしい幽玄な響きの曲。弦楽四重奏が人、オーケストラが自然、宇宙と捉えられています。原型はアルディッティ・カルテットのために書かれた小曲で、この曲はカルテットの40周年のお祝いとして書かれたものだそうです。2曲目はクセナキス「トゥオラケムス」。祝祭的な響きをもつ小品。金管楽器のファンファーレから始まるこの曲は武満徹氏の60歳を祝うコンサートのために書かれました。ちなみにタイトルの「Tuorakemusu」とは「武満徹」のアナグラムなのだとか。アルディッティ氏と武満氏の間には絶大なる信頼関係があり、「私にとって武満は、日本の現代音楽界の王」とも語っています。3曲目はクセナキス「ドクス・オーク」。この曲が圧巻でしたね…巨大な音塊が迫ってくるようでした。この曲ではアルディッティ氏のソロも…ソリッドな演奏。この曲はアルディッティ氏に献呈、初演されています。アルディッテイ氏は「クセナキスは、私の若い時期から長い間に渡って一番影響を受けた作曲家」と語っています。最後はフィリップ・マヌリ「メランコリア・フィグレーン」。マヌリ氏は今回のテーマ作曲家です。魔境を探検しているような曲でした。この曲もアルディッティ・カルテットのために書かれていますが、曲の土台となっている弦楽四重奏曲はアルブレヒト・デューラーの銅版画「メランコリア」に着想を得ています。画に描かれている四次魔法陣から派生した数の組み合わせを用いて作品の基本構造を決定したということですが、多彩な音像が次々と現れては消え、現れては消えする摩訶不思議な曲でした…。

アルディッティ氏と音楽家たちとの絆、日本との縁…そういったものが浮かびあがってくるプログラムでした。また、アルディッティ・カルテットが現代音楽の世界で重要な役割を果たしていたことをあらためて認識させられる機会ともなりました。いろいろな意味で創立50周年のお祝いにふさわしいコンサートでしたね…。
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空想旅行案内人

2024-09-28 23:59:31 | 美術
東京ステーションギャラリーで「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」を見てきました(展示は既に終了しています)。

ジャン=ミッシェル・フォロンの日本で30年ぶりとなる大回顧展です。あの独特の淡く美しい色彩を生で見てみたい…と思い、行ってきました。展覧会ではフォロンの初期のドローイングから水彩画、版画、ポスター、晩年の立体作品まで展示しています。ちなみにこの展覧会のタイトルはフォロンが自分で作って使っていた「フォロン:空想旅行エージェンシー」という名刺からとられたのだそうです。

今回の展示は展覧会を旅に見立てたような構成になっていました。プロローグは「旅のはじまり」。ドローイングや彫刻などでフォロンの世界を概観できます。初期のドローイングの線の鋭さ確かさ、センシティブな感覚が印象的でした。帽子をかぶった謎の人物、リトル・ハットマンも登場…フォロンの分身のようなリトル・ハットマンは初期から晩年に至る重要なモチーフとなりました。第1章は「あっち・こっち・どっち」。フォロンは矢印に取りつかれたかのように、あちこちを指し示す矢印を描いた作品を残しました。その矢印は人を惑わすようでもあり、進む道は一つに限らないことを示すようでもあり…。第2章は「なにが聴こえる?」。フォロンはファンタジックなタッチで社会問題や環境問題をテーマにした作品も数多く描いています。淡く美しい色彩で世界の現実をシニカルに描く…「耳を澄ませば、世界が動いている音が聴こえてきます」と語っていたフォロンには世界の不穏な響きが聴こえていたのでしょうか…。第3章は「なにを話そう?」。フォロンは企業や公共団体からの依頼でポスターも数多く手がけました。「グリーンピース 深い深い問題」は一見、美しい海を描いた作品のようですが、色とりどりの魚に見えたものは…。「世界人権宣言」の挿絵も手がけていますが、そこには美しい未来と恐ろしい現実が描かれています。「HIROSHIMA 太田川の七つの流れ」のポスターも。当時、この作品を見に行きました…フォロンのポスターだったのですね。エピローグは「つぎはどこへ行こう」です。旅、出帆、道、夜明け…果てなき旅を思わせるタイトルの作品が続きます。その旅は現世にとどまらないのかもしれません。「私はいつも空を自由に飛んで、風や空と話してみたいと思っているのです」と語っていたフォロンの魂は今も自由に旅を続けているのでしょうか…。

さて、アートといえば美味しいもの…ということで、この日は東京駅近くにある「電光石火」に寄ってきました。見たことのないようなドーム型のオムレツ風お好み焼き。牡蠣入りのお好み焼きをいただきましたが、プリプリの牡蠣が美味しゅうございました…。
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BLUE NOTE ハート・オブ・モダンジャズ

2024-09-27 23:09:03 | 映画
角川シネマ有楽町で「BLUE NOTE ハート・オブ・モダンジャズ」を見てきました(上映は既に終了しています)。

Peter Barakan's Music Film Festival2024の一環として上映されていた、ジャズ界の名門レーベル、ブルーノートの軌跡を追ったドキュメンタリーです。この映画はユリアン・ベネディクト監督が1997年に撮った映画で、レジェンド達の現役バリバリの頃の姿を見ることができます。この映画はヴィム・ヴェンダースがプロデュースした「ブルーノート・ストーリー」という映画の元ネタにもなっています。私はヴェンダースの映画も見ましたが、ヴェンダースの映画は創設者に、こちらの映画はミュージシャンたちの方に焦点を当てているという感じでした(以下、ネタバレ気味です)。

映画はドイツ系移民のアルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフがヒトラーによる迫害を逃れてアメリカにわたり、ブルーノートを創設したところから始まります。二人に音楽経験はありませんでしたが、いい音楽を聴き分ける耳は持っていて、外すことはなかったようです。なぜか絶対グルーヴ感のようなものがあって、彼らが踊り出せばOKということでした。映画にはライオンの元妻も登場。音楽を本気で愛している男に対しては、女は音楽に勝てない、と嘆いていましたね…。映画には比較的若かりし頃のレジェンド達も多数登場します。フレディ・ハバード、ホレス・シルヴァー、マックス・ローチがけっこうしゃべっていて、こんなにしゃべる人だったんだ…とちょっと驚き。若い頃のカサンドラ・ウィルソンもかっこいい。大西順子さんも出演していて、「大西順子といいます、ピアノを弾いてます」と初々しくご挨拶された後、ピアノをバリバリ弾いていらっしゃいました。かと思うと、サンタナがコルトレーン愛を切々と語る場面も。ライオンがジミー・スミスに入れ込んでしまい、レーベルをたたんでジミー・スミスのマネージャーになると言い出した…というエピソードもありましたが、もし実現していたらその後のジャズ史が変わってしまったかも…。

多くの傑作を世に送りだしたものの、レーベルは経済的苦境に陥り、1966年にライオンはブルーノートを売却、その後、1971年にウルフが、1987年にライオンが亡くなります。しかし、二人が制作した大量のレコードは後年にわたって聴かれ続け、発掘したミュージシャンたちは音楽史に残る存在となって今に至ります…。

私が行った日はピーター・バラカンさんと音楽ライター柳樂光隆さんのアフタートークがありました。かなりコアなお話をされていましたね…。お二人のコンピレーションアルバムの話や、ブルーノートの映画は作られた時期によって違いが出るというお話も。知らなかったミュージシャンの話もたくさん出ていました。やはりブルーノートの世界は奥が深いです…。
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ヴァタ~箱あるいは体~

2024-09-26 23:59:03 | 映画
ユーロスペースで「ヴァタ~箱あるいは体~」を見てきました(この映画館での上映は終了しています)。

マダガスカルの死生観に魅せられた日本人監督が撮影した映画です。高校時代からマダガスカルの音楽に魅せられてきた亀井岳監督は、この映画を全編マダガスカルロケで、マダガスカル人のキャストのみで製作しています。ちなみにヴァタとはマダガスカル語で「箱」あるいは「体」を指しています。そして、この映画では「箱」には楽器の箱、遺骨を入れる箱の二つの意味があるようです…(以下、ネタバレ気味です)。

少年タンテルが出稼ぎ先で亡くなった姉ニリナの遺骨をルールにのっとって持ち帰るよう長老に命じられ、付添の3人の男たちとともに旅に出ます。無事に遺骨を故郷に持ち帰ることができれば、ニリナは「祖先」になることができるということなのですが…。4人は楽器を鳴らし、歌を歌いながら旅を続けます。実はこの4人は全員、音楽経験があり、なかでも離れ小屋の親父役のサミーはマダガスカルを代表するミュージシャンとして「大海原のソングライン」にも出演しています。彼らは途中、出稼ぎに行ったまま行方不明になった家族を探すルカンガの名手・レマニンジに遭遇します。4人ははたして遺骨を無事に持ち帰ることができるのか、はたまたレマニンジは家族を見つけることができるのか…。

映画はロードムービー風の展開ですが、後半になってマジックリアリズム的な要素も加わり、どことなくアピチャッポン監督の映画も彷彿とさせます。マダガスカルの美しい自然、現地の素朴な人々…さながら現地を旅しているような気分になりました。独特の色彩も音楽も素晴らしい。そして、この映画では音楽が重要な役割を果たしています。音楽はマダガスカルの死生観とも重なります。楽器は箱でその中には記憶があり、箱を通じて死者とも会えるのだと。マダガスカルでは、人生は永遠に続き、死はその通過点に過ぎないのだそうです。そして、音楽によって祖先と交わるのだと。ラストに焚火を囲んで生者と死者が共に歌い踊ります。トランス状態に入ったような演奏と踊りが圧巻でした。やはり生と死は地続きにあるのかもしれません…。

世界にはまだまだ見たこともない風景や聴いたことのない音がたくさんある…日本からマダガスカルは遠いですが、映画のおかげでこうしてかの地の光や音を感じることができます。映画って本当に世界に開かれた窓ですね…。
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リビングルームのメタモルフォーシス

2024-09-25 00:51:01 | 舞台
東京芸術劇場で「リビングルームのメタモルフォーシス」を見てきました。

演出家・作曲家として世界的に知られている岡田利規さんと藤倉大さんの初めてのコラボレーションです。チェルフィッチュのことは以前から気になっていたのですが、今回はなんと藤倉大さんの音楽、しかも演奏はアンサンブル・ノマドということで、いそいそと行ってまいりました。岡田さんによると、「音楽劇というより、そういう名の冠された何か、音楽と演劇の拮抗からなる何か」というこの作品、いったいどんな展開になるのでしょうか…(以下、ネタバレ気味です)。

俳優6人、演奏家7人によって演じられるこの舞台、演奏家は舞台の前方で生演奏し、俳優は後方で演じています。俳優たちが演じるのは家族らしき人々。彼らは軟体動物のように体をゆらゆらと揺らしながら、淡々と棒読みで台詞を言っています。舞台は日当たりのよいリビングルーム。家主からの突然の退去通告に動揺する一家の元に謎の生物(?)が現れ…。

この作品はこれまでジャンルの垣根を超える作品に挑戦してきた岡田さんが、演劇と音楽の新たな付き合い方に挑んだ作品だそうです。何というか、音楽と演劇が溶け合うような、不思議な作品でした。伴奏でもなく、対立でもなく、寄り添うでもなく…融解。作品自体、世界が溶解するさまを見ているかのようでした。ざわざわするような些細な違和感がいつしか世界の変容へとつながっていくさまが不気味です。自分が確かに立っていたと思っていた世界とはいったい何だったのか…世界は壊され、再生する…。

さて、この日は劇場近くの自由学園明日館にも寄って行きました。フランク・ロイド・ライトの名建築です。池袋にいながらにして、海外にいるような気分に。大げさな建物ではないのに、その空間の中にいるだけで癒され、豊かな気持ちになれる…建築の力をしみじみと味わいました。喫茶券付きの券を買い、コーヒーとパウンドケーキをいただいてきました。パウンドケーキは小ぶりながらしっかりしたお味で美味しゅうございました…。
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スオミの話をしよう

2024-09-23 23:33:10 | 映画
TOHOシネマズ池袋で「スオミの話をしよう」を見てきました。

三谷監督の5年ぶりの新作映画です。「記憶にございません!」からいつの間にか5年も経っていたのか…本当に時の経つのは早いです。ひさびさの映画、しかもミステリーコメディらしいということで、映画のことを知った時からずっと公開を心待ちにしておりました。

まだ公開されたばかりですし、一応ミステリーなのでネタバレしませんように…。長澤まさみさんが演じる著名な詩人の妻スオミが行方不明になったのですが、夫である詩人は大ごとにはしたくないと言いはります。スオミの過去の夫たち(4人!)が続々と屋敷に集まり、スオミの謎について話し合うのですが、彼らの思い出の中のスオミはなぜか人物像がかけ離れており…というお話です。人に合わせるのが得意なスオミが夫たちの望む妻像を察知して演じ分けていたということなのですが、それにはスオミの生い立ちが影響しているようです…。

ツンデレ妻、強い妻、中国人妻、頼りない妻、活発な妻…さまざまな妻像を演じ分ける長澤まさみさんの七変化ぶりが見ものでした。スオミは男たちを手玉に取っていたのか、はたまた男たちに依存していたのか、謎です。男たちは男たちで誰が一番スオミを愛していたのか、誰が一番スオミに愛されていたのかを議論します。スオミは皆を愛していたかもしれないし、誰のことも愛していなかったのかもしれません。底には虚無があるような気もするし…。ただ、彼女には宮澤エマさん演じる親友の薊がいて、この友情は本物のようです。そんなスオミが望んでいた未来とは…。ちなみにスオミとはフィンランド語でフィンランドのことらしいです。

夫婦とは何ぞや、というか人間関係とは何ぞや…についても考えさせられてしまう映画でした。スオミほど極端ではなくても、相手によってキャラを演じ分けてしまうことは誰にしもあるだろうし、長年連れ添った夫婦でも相手には絶対見せていない顔があるはず…。誰に対峙している時の自分が本物なのだろう、そもそも本当の自分って…などと考えはじめると訳が分からなくなってきますよね。三谷監督の作品って笑いの中にもひっそりとダークな要素が忍ばせてあるような気がします。この作品には賛否両論あるようですが、そういう意味で期待を裏切らない作品でした。

さて、この日は映画館の近くの「鶏の穴」でランチにしてきました。白鶏ラーメン(卵のせ)をいただきましたが、ポタージュのようなとろみがありながらもすっきりした味わいのスープが美味しかったです。煮卵もお店の焼き印入りでかわいかったなぁ…。

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NEO-SYMPHONIC JAZZ at 芸劇 2024

2024-09-22 23:54:23 | 音楽
東京芸術劇場で「NEO-SYMPHONIC JAZZ at 芸劇 2024」を聴いてきました。

…と言っても、実際に行ってからけっこうな日数が経ってしまいました。が、自分の心覚えのために…。ジャズ作曲家の挾間美帆さんがプロデュースするこの公演、6回目となる今回はマリア・シュナイダー氏が作曲家・指揮者として満を持しての登場。挾間さんはこのシリーズを始めた時から、マリアさんを招聘することが夢だったそうです。全てマリアさんの楽曲で構成されたプログラム、どんな展開になるのか、期待は膨らみます…。

コンサートは2部構成になっており、PART1は池本茂貴islesが演奏していました。1曲目は“Wyrgly”。初期に作曲された、モンスターを描いたという曲。イントロはマイケル・ブレッカーのEWIをイメージしたのだとか。2曲目は“Journey Home”。この曲好きなんですよね…懐かしくて泣ける曲。生で聴くとひときわ沁みます。3曲目は“Sky Blue”。天上の青を思わせる曲。この曲はマリアさんの友人に捧げられた曲で、余命わずかだった友人が医師から言われた「現実は空のようなものだ―あなたの心のなかの愛のように不変だから」という言葉がタイトルの由来になっているそうです。ソプラノサックスのソロが美しかった…。4曲目の“Dance you monster to my soft song”はダーク&シリアスな路線の曲ですが、デヴィッド・ボウイもこの曲が好きだったとか。PART1の池本茂貴islesは繊細かつエネルギッシュな演奏でマリアさんの音楽の世界観を表現してくれました。それにしてもこの感じどこかで…と思ったら、池本さんは慶應ライトのOBの方だったのですね…。

PART2は特別編成チェンバー・オーケストラによるによる演奏です。なんとマレー飛鳥さんも登場。1曲目は“Hang Gliding”。もう大大大好きな曲です。今回は挾間さんのアレンジでストリングスが入って、より色鮮やかな世界が開けていました。何と言うか、感無量です…。2曲目の“Sanzenin”はマリアさんが2017年の来日時に訪れた京都の三千院にインスパイアされた曲ですが、禅のような静謐さ。マリアさんは実はアルバム“Data Lords”の中でこの曲が一番気に入っていたのだとか。ラストは“Carlos Drummond de Andrade Stories”。この曲はアメリカを代表するソプラノ歌手、ドーン・アップショウの依頼により作曲された現代音楽で、2014年にグラミーの最優秀現代音楽作品部門を獲得しています。マリアさんは現代音楽にトラウマがあるそうですが、この曲はいかにもマリアさんらしい、メロディアスで美しい現代音楽でした。ソプラノの森谷真理さんもマレー飛鳥さんも本当に素晴らしかった…。

そんなわけで夢のような一夜でした。颯爽と指揮をするマリアさんは本当に慈愛に溢れた音楽の女神様のようでしたよ…。日本まで来てくださったマリアさん(しかも今回のために指揮を学びなおしに行ってくださったらしい…)、そして企画してくださった挾間さんに心から感謝です…。
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トノバン

2024-09-21 23:54:00 | 映画
恵比寿ガーデンシネマで「トノバン」を見てきました(この映画館での上映は既に終了しています)。

作曲家、プロデューサー、アレンジャーとして時代を先駆けた活動をしてきた音楽家・加藤和彦氏の初のドキュメンタリーです。この映画の制作のきっかけは、監督の相良裕美さんが「音響ハウス」の試写会の時に、高橋幸宏さんに「トノバンって、もう少し評価されても良いのじゃないかな?」と声をかけられたことだったそうです。加藤さんのことなら、と協力を申し出る方も多く、取材は1年で約50人にも及んだとか…多くの方の証言を得てとても見応えのある映画になっていました(以下、ネタバレ気味です)。

映画は加藤氏の生い立ちにさかのぼります…氏は京都で生まれ、高校時代を日本橋で過ごしますが、その頃に早くも輸入盤のレコードを取り寄せ、ギターを始めています。その後、京都の大学に進学し、フォーク・クルセーダーズを結成…メンズクラブにメンバー募集の広告を載せればお洒落なメンツが集まると考えたのだとか。そして、「帰って来たヨッパライ」がラジオで流れたのをきっかけに注目を浴びます。解散後はソロ活動を開始し、「あの素晴らしい愛をもう一度」をリリース。その後、ロックに転じ、妻のミカとサディスティック・ミカ・バンドを結成します。ロキシー・ミュージックなどを手掛けていたクリス・トーマスがプロデューサーとして名乗り出て、イギリスツアーも実現しますが、ミカがクリス・トーマスの元に奔り、離婚してバンドも解散。その後、ふたたびソロ活動でヨーロッパ三部作を発表、さらに映画音楽なども手がけています。1989年にはサディスティック・ミカ・バンドが再結成…「天晴」は私も当時リアルタイムで聴きました。その他にも日本初のPA会社の設立、ファッションブランド設立といった活動もしていましたが、2009年、自らの意志でこの世を去ります。

映画には今やレジェンドの錚々たる人々が登場し、加藤氏について語っていますが、尊敬を通り越し、畏怖の念すら感じます。盟友の北山修氏は、彼みたいな人にあったことはない、彼はミュータントだった、と。高中正義さんは加藤氏を失った悲しみをギターで表現していましたが、本当に胸を衝かれるような音でした。加藤氏が見出したミュージシャン達がJ-POPの礎を築いたと言っても過言ではなく、これだけの仕事を一人の人間が成し遂げたということに空恐ろしさすら感じます。まさにセンスの塊。そして、この映画で一番強く印象に残ったのは50年後、100年後も残る音楽を作る、という言葉でした。映画のラストではきたやまおさむさん、坂崎幸之助さん、高野寛さん、高田漣さん、坂本美雨さんらが「あの素晴らしい愛をもう一度」をレコーディングしています。今聴いても完璧な曲ですよね…この曲がリリースされてから50年を過ぎ…あの言葉が現実になりました…。
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