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アートネタなど日々のあれこれ

『稀書探訪』の旅

2022-07-31 12:18:42 | 美術
日比谷図書文化館で「『稀書探訪』の旅」を見てきました(展覧会は既に終了しています)。

仏文学者の鹿島茂氏がANAの機内誌「翼の王国」に連載していた「稀書探訪」で採り上げた稀覯本全144冊を紹介する展覧会でした。以前、東京都庭園美術館の展覧会で鹿島コレクションは拝見しており…あの時は絵本が中心でしたが、溜息の出るような美麗な本の数々…今回はいったいどんな稀書が拝めるかしらん…と興味津々で行ってまいりました。

この展覧会、のっけから鹿島氏の紹介文に眼を奪われてしまいました。「収集家と表現者。収集のオートマティズムから生まれた「『稀書探訪』の旅」と題されたそのテクストによると、氏はなんでも収集デーモンに心身を乗っ取られており、そのデーモンが本人の意思とは関係なく氏をしてさまざまなジャンルのフランス古書を収集せしめた…のだそうです。そして、氏は私A(収集家)と私B(表現者)に分裂しており、AとBは分裂し、利害に反する行為をしながらも、最終的には「アルものを集めて、ナイものを創り出す」ということに落ち着いたのだとか。傍目には買うために書く→書くから買いたくなる、の無限ループのような気もしないのではないのですが、ご本人は破産寸前までいったということですから、洒落になりません。コレクションというのも一つの表現行為となりうるのでしょうが、それにしても収集デーモン、おそるべし…。

展覧会では挿絵本、パリの景観図、新聞、絵本、児童書、グラフィック資料など、多岐にわたる書籍や資料が展示されていました。挿絵本ではグランヴィル画の「動物たちの私生活」のシリーズがとりわけ面白く…この独特の毒はいったいどこから生まれるのでしょう…。パリの景観図は19Cのものですが、都市の記憶がこういう形で残るのだなぁ、としみじみしてしまいます。風刺新聞の中にはロートレック画のものもあり…やはりフランスはカリカチュール大国です。アール・ヌーヴォー、アール・デコ期の資料なども出ていますが、なかもデコ期のものは金額が桁違いで、これが氏にとっては躓きの石となったのだとか。ジャン・コクトー著・マルタン画の印刷会社の自社カタログがいかにもな感じで笑ってしまいそうでした。絵本・児童書では「ジャンヌ・ダルグ」が本当に素晴らしかったです。かと思うと「子どもの正しい礼儀作法」なんていうのも…古今東西、人々は子どものしつけには苦労するのですね…。グラフィック新聞・雑誌には木口木版の見事な技術が使われているものもありますが、この技術は写真の発展とともに衰えてしまったそうです。挿絵入り小説にはヴォルテール全集の挿絵集も…。今回の展示は膨大なコレクションのごく一部と思われますが、それでも頭がクラクラしてきそうな展開です。紙の上に表現された人間の知の集積を目の当たりにして、何やら粛然とした心持にすらなるようでもあり…しかし、この無限を前にして、鹿島先生とデーモンの戦いはいったいどこまで続くのか…。

さて、例によって鑑賞後はランチ、ということで、図書館近くの「シュリンプガーデン」に寄ってきました。エビラーメンをいただきましたが、パクチーなどものっていて、ちょっとエスニック風…濃厚なスープはエビのポタージュのようでもあり、美味しゅうございました。

柴田敏雄と鈴木理策

2022-07-30 19:29:13 | 美術
アーティゾン美術館で「柴田敏雄と鈴木理策」を見てきました(展覧会は既に終了しています)。

アーティゾン美術館のジャム・セッションは、石橋財団コレクションとアーティストの作品のセッションによって生み出される新たな視点による展覧会のシリーズです。今回は現代の写真作品と絵画の関係を問う試みということで、セザンヌの作品に関心を持ち、近代絵画に通じる造形思考を持っている作家として柴田敏雄氏と鈴木理策氏が取り上げられていました。両氏の作品をメインに、コレクションのセザンヌ、モネ、雪舟、藤島武二などの作品を織り交ぜて展示…という、なんとも贅沢な展覧会です。セクションⅠは「柴田敏雄 ―サンプリシテとアブストラクション」。柴田氏の写真はダムや橋梁などを撮った構築感のあるもので、抽象絵画のようにも見えます。「山形県尾花沢市」の水景は近代日本画のようでもあり…並置されていた藤島武二の「日の出」も色彩が美しく、ついつい見入ってしまいました。セクションⅡは「鈴木理策 ―見ることの現在/生まれ続ける世界」。モネの「睡蓮」と鈴木氏の「ジヴェルニー」に囲まれた空間はマイナスイオンが漂ってきそうでした。クールベの「雪の中を駆ける鹿」と鈴木氏の「white」のシリーズの並びは白が目にも鮮やか。「水鏡」のシリーズも美しかった…。セクションⅢは「ポール・セザンヌ」。柴田氏も鈴木氏もセザンヌの絵画に大きな影響を受けているのだとか。セザンヌの描いたサント=ヴィクトワール山を挟んで柴田氏の赤い橋、鈴木氏の白い山の写真の並びが圧巻。セクション IVは「柴田敏雄 ―ディメンション、フォルムとイマジネーション」。フォルムが強調された作品で構成されています。面で構成されたような不思議な感じの作品が並びます。空を切って、風景を静物のように撮るらしいです。そしてここでは円空仏も登場…。セクション Vは「鈴木理策 ―絵画を生きたものにすること/交わらない視線」。写真的な絵、絵のような写真が並びます。ボナールの絵の温かみが鈴木氏の写真と呼応しています。「りんご」の写真を見るとセザンヌのりんごを思い出したりも。セクション VIはなんと「雪舟」。雪舟の「四季山水図」と柴田氏のモノトーンのダム、鈴木氏の雪景の並びが実にスタイリッシュ…。そんなわけで、何とも贅沢かつボリューミーな展示でお腹いっぱいに…見るというのはどういうことか、そして絵画の眼、写真の眼の違いを体感できました。ストレートで強い写真の眼、抽象的で柔らかい絵画の眼…。

この日は帰る道すがら、渋谷の「THE ROOM COFFEE & BAR」に寄ってきました。暑い日だったのでアイスカフェオレが美味しかったのですが、かかっていたBGMがめっちゃお洒落…オーディオセットも立派だし、壁一面にアナログレコードのジャケットが飾ってありました。このカフェ、実はDJの沖野修也さんのプロデュースだったらしいです…。

自然と人のダイアローグ/THE GREATS

2022-07-18 13:37:37 | 美術
猛暑の中、ひさびさに上野で展覧会のはしごをしてきました。

最初に向かったのは国立西洋美術館。1年半に及ぶ改修工事の後、リニューアルオープンしたのですが、その記念展が「自然と人のダイアローグ」。国立西洋美術館とドイツのフォルクヴァング美術館との共同企画で、両館の名品約100点が共演しています。奇しくも同時代を生きた松方幸次郎とカール・エルンスト・オストハウス、この二人が収集した作品がどのように響きあうのか…。1章は「空を流れる時間」。この展覧会、各章のタイトルが綺麗なんですよね…。時間とともにうつろう空を描いた作品たち。とりわけモネの「舟遊び」とリヒターの「雲」の並びが素晴らしい。リヒターの作品はフォト・ペインティングの手法を使って描かれていますが、不思議な圧迫感…。2章は「彼方への旅」。この展覧会に来たのはフリードリヒの作品が目当てでもあったのですが、「夕日の前に立つ女性」にはいつまでも見入っていたいような謎の引力がありました。橙と紫が入り混じったような空の色が神秘的…。いつか彼の個展を見てみたいです。3章は「光の建築」。セザンヌの「ペルヴュの館と鳩小屋」が。セザンヌというと構築された作品のイメージが強いのですが、こういう作品を見ると彼も印象派の画家だったのだなぁ…と思います。どこか懐かしい光。シニャックの「サン=トロペの港」は七色に光る空と海が眩しい。アクセリ・ガッレン=カッレラの「ケイテレ湖」は透きとおる水の描写がみごと…近年、世界的に注目を浴びている方なのだそうです。4章は「天と地のあいだ、循環する時間」。ゴッホの「刈り入れ」の圧倒的な輝きには、死が内包されていますが、それは哀しいものではないのです…。そして、モネの「睡蓮」。水面をうつろい続ける色と光…。

続いて、東京都美術館で「THE GREATS スコットランド美術館 美の巨匠たち」を見てきました(展示は既に終了しています)。この展覧会ではスコットランド美術館のルネサンス期から19世紀後半までの巨匠たちの作品約90点を紹介していました。美術史に名を残す巨匠たちの作品の数々…。深紅の壁がより現地気分を盛り上げてくれます。ヴェロッキオ「ラスキンの聖母」の清楚な美しさ、ラファエロ「魚の聖母のための習作」の調和の美。エル・グレコの「調和するキリスト」はやはり異彩を放っています。そして、メインビジュアルにもなっているベラスケスの「卵を料理する老婆」。この絵を描いた時、ベラスケスは19歳前後。とんでもない描写力を発揮…これだから天才は…。レンブラントの「ベッドの中の女性」の異様な緊迫感。ブーシェの「田園の情景」はザ・ロココみたいな作品です。思わず見とれてしまったのはミレイの「古来比類なき甘美な瞳」。橋本環奈ちゃんと安達祐実さんを足して2で割ったような(?)ザ・美少女。ゴーガンの「三人のタヒチ人」はどこか意味深…。名画でお腹がいっぱいになったところでクールダウンさせてくれたのがフレデリック・エドウィン・チャーチの「アメリカ側から見たナイアガラの滝」。画面からマイナスイオンが漂ってきそうな作品。絵の前で涼んでいる(?)お客さんも多数。右下隅に描かれた小さな虹がなんだか嬉しいこの作品は、スコットランドで生まれ、アメリカで成功した実業家が母国への感謝の意を表して寄贈したのだそうです…。

そんなわけで、名画の数々を堪能してまいりました。まだまだ暑い日が続きそうな今日この頃ですが、そんな時はあの滝の絵を思い出して涼しくなることにします…。

歩いて見た世界

2022-07-17 23:37:16 | 映画
岩波ホールで「歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡」を見てきました。

イギリス人作家ブルース・チャトウィンの没後30年に彼と親交があったヘルツォーク監督が製作したドキュメンタリーです。不肖わたくし、チャトウィンのことは何も知りませんでしたが、行ってまいりました。この映画が岩波ホールの最後の上映作品になるということなので…。10代の頃から何度となく通った岩波ホール、まさか閉館してしまうなんて…(涙)。

ブルース・チャトウィンは神話を旅したといわれる“伝説の作家”。美術品の収集家、考古学の研究生、ジャーナリストなど、さまざまな分野で活躍した後、最後は歩いて旅しながら小説を書く人生を選びました。「パタゴニア」でデビューし、HIVで亡くなるまでに5作の小説を発表しましたが、そのうちの一つがアボリジニの神話に魅せられ自らの死に方を探りながら書いた「ソングライン」です。ヘルツォーク監督はパタゴニアやオーストラリアのアボリジニの地など、その足跡を辿る旅に出ましたが、それはチャトウィンが魅了された「ノマディズム/放浪」という概念を探求する旅でもありました。この映画ではチャトウィンの旅を関わりのあった人のインタビューを交えて追っていきます。実に壮大な旅、そして美しい映画でした。映像も音楽も言葉も…。アボリジニの歌も美しかった…アボリジニは土地は歌で覆われている、と考えるのだそうです。チャトウィンは「世界は徒歩で旅する人にその姿を見せる」という言葉を残しています。多くの人にはそれは不可能かもしれませんが、こうして映画を通して世界を旅することはできる、映画は世界に向かって開かれた窓だとあらためて思いました。そして人生そのものも旅のようなものかと…アボリジニの神話では「歩みの果てに正しく死ぬのが理想」なのだそうです。そして映画の中では「死に生き、生に死す」という言葉もありました。人はどこから来て、どこへ行くのか…というのは永遠のテーマですが、この映画はその答えの一つを示しているのかもしれません。岩波ホールが最後の上映作品としてこの映画を選んだのもそういうことなのでしょうか…。

この日、映画館の近くの「石釜 bake bread 茶房 TAM TAM」に寄ってきました。名物の石窯焼きパンケーキセットをオーダー。バターとメープルシロップ、てんこ盛りの生クリームが添えられています。パンケーキは外側はカリっと、中はふわっとしていて実に美味しゅうございました。

ゲルハルト・リヒター

2022-07-16 23:54:11 | 美術
東京国立近代美術館でゲルハルト・リヒター展を見てきました。

今年一番、楽しみにしていた展覧会です。2005~6年の個展は見に行けなかったこともあり、その後、首をなが~くしてお待ちしておりました。今年はゲルハルト・リヒターの生誕90年、画業60年というキリのいい年でもあるようです。この展覧会では初期作から最新のドローイングまで約120点の作品でその画業を振り返ります。

ゲルハルト・リヒターの画業を通観できる展覧会ですが、構成はゲルハルト・リヒター本人が手がけているそうです。会場では特定の鑑賞順は指定されておらず、鑑賞者が自由にそれぞれのシリーズを行き来できるようになっています。入口すぐ近くには「鏡、血のような赤」が。一瞬、息を飲んでしまうような作品。タイトルからして怖いですが、不肖わたくし、フランボワーズケーキを連想してしまい…(爆)。「8枚のガラス」は覗き込むと何だかくらくらしてきます…。「グレイ・ペインティング」はキャンパスを灰色で塗りこめた作品群。どこかロスコの作品を彷彿とさせます。色を混ぜると最後は灰色にいきつくそうですが、リヒター自身は、灰色は無を示すのに最適、と語っています。「アブストラクト・ペインティング」は自作のへらを使って絵具を引きずって延ばしたり削ったりした作品。モネの睡蓮を想起させる作品もあり、リヒターはこの作品を描いた後、油絵はもう描かないと宣言しました。たしかにこんな作品を描いてしまったら、もう次はないと思えるのかも…。アブストラクト・ペインティングのシリーズの合間に頭蓋骨や花、風景なども描いています。意外なことにこういった時代遅れとも思われるモチーフに憧れがあるらしい…。かと思えば、家族を描いた肖像画のシリーズも。写真を基にして描いたようですが、不思議な仕上がり。家族って身近なようで遠い、よく見ているようで見えていない…そんな存在なのかもしれません。「オイル・オン・フォト」のシリーズは写真に油絵具を塗っています。具象と抽象が混じり合う不思議な感覚。「カラー・チャート」は色見本を偶然によって並べ替えたものに由来しているようですが、色彩の洪水…モンドリアンの作品を思い出したりも。さらに刺激的なのが「ストリップ」。もはや言葉もなくなります…圧巻。「ビルケナウ」は、アウシュヴィッツのビルケナウ収容所で撮られた4枚の写真のイメージを絵具で塗り込めた作品。人類の負の記憶を絵画にするとこういうことになるのでしょうか…。

この展覧会にはこれまで体験したことのない視覚の驚きがありました。純粋な視覚の追求…見るとはどういうことなのか、自分は何を見て何を見ていなかったのか、自分が見たと思ったものは本当は何だったのか…視覚と記憶、思考と感情…そのあわいをたゆたうようにして日々生きているのかもしれません…。

オードリー・ヘプバーン

2022-07-11 23:59:18 | 映画
ル・シネマで「オードリー・ヘプバーン」を見てきました(この映画館での上映は終了しています)。

この映画は彼女の本当の姿を描く初のドキュメンタリー映画ということです。オードリー・ヘプバーンは大好きな女優さんなので、映画のイメージそのままにプライベートのことはあまり知らない方がいいのかなと思ったりもしたのですが、行ってきました。やはり行ってよかったです(以下、ネタバレします)。

オードリーの人生は最初から苦難の連続でした。彼女が6歳の時にナチスの信奉者となった父親が家庭を捨て、後に離婚しました。このことは後々まで彼女の人生に影を落としています…。母に連れられオランダに移住したオードリーはバレエを習い、レジスタンス活動にも協力していました。戦時中はひどい栄養失調に陥り、後のユニセフからの食糧で回復するのですが、それが後年のユニセフでの活動につながっているようです。戦後はロンドンに移住し、本格的にバレエを学びますが、体格の問題などでプリマになることが難しいと分かると、演劇に転向しました。当初、舞台女優としてキャリアをスタートしますが、「ジジ」でコレットに見出されて脚光を浴び、「ローマの休日」の王女役に抜擢されて大ブレイクを果たしました。その後も数々の話題作に出演し、その活躍は世界中の人の知るところに…。

オードリーのキャリアは順調そのものでしたが、プライベートは悩み多いものでした。二度の結婚と離婚。やっとの思いで探し出した父親にも冷たい態度を取られ…。どうして、こんな美しい人がこんな目に会うのか…不思議でたまりません。二度の結婚で二人の息子が生まれますが、子どものことは心底可愛かったらしく、1967年以降は映画の仕事から退き、家庭生活にほぼ専念しています。本来は家庭的なタイプだったらしく、家の仕事をしているのが本当に幸せだったようです。1988年からはユニセフの親善大使となり、貧困国の子供たちの支援に身を捧げます。スクリーン上の彼女は輝くような美しさでしたが、途上国の子供たちを抱きしめる姿はもはや神々しいです。しかし、数年後には病が発覚…最後のクリスマスのエピソードはあまりにも切なかったです…。

彼女の人生は彼女の映画以上だったのかもしれません。比類のない美しさ、人生の光と影の濃さ、愛と献身…存在そのものが奇跡のような人だったということをあらためて思い知りました。これからもきっと時を超えて輝き続ける存在なのでしょう…。

鍋島焼-200年の軌跡-

2022-07-09 23:51:50 | 美術
戸栗美術館で「鍋島焼-200年の軌跡-」を見てきました。

戸栗美術館の開館三十五周年記念の特別展です。この展覧会では江戸時代の200年に及ぶ鍋島焼の歩みを成形や装飾の技法、技術に注目して紹介しています。鍋島焼の歴史は17世紀後半に始まります。佐賀鍋島藩では従来の伊万里焼よりもさらに徳川家への献上品にふさわしい意匠と技法を探求していました。今見てもお洒落なデザインの作品の数々…。「瑠璃銹釉染付金銀彩 草子形皿」も江戸時代のものとは思えないユニークなデザイン。「牡丹形皿」はその名のとおり花形の面白い器形。「亀甲椿文 皿」は椿の赤が美しい…。鍋島焼は17世紀末期~18世紀初頭に最盛期を迎えます。「桜霞文 皿」は舞い散る桜花が何とも可愛らしい作品。メインビジュアルにもなっている「毘沙門亀甲文 皿」赤・黄・青の三色の取合わせの妙と絵柄が相まって目にも楽しい。「十七櫂繋ぎ文 皿」は色とりどりの櫂を綱で結んだ斬新なデザインです。「水車文 皿」は水車文様が縁をぐるりと囲むなか、波がしぶきをあげる涼しげな皿。鍋島焼はデザインが「当世風」であることも求められていたのだそうです。花を描いた作品も多かったです…水仙、蒲公英、紫陽花、椿…関連するようなデザインの作品を並べて見せるような展示の工夫もされていました。18世紀になると倹約令が出た影響で色絵の作品の制作が控えられるようになってしまい、青色の絵付けや青磁の作品が中心になりましたが、限られた条件のなかで洗練されたデザインの作品を生み出そうとする努力の跡が窺えます…。染付の「牡丹文 皿」はマイセンのお皿といっても通りそうな…。青磁の「瓜型香炉」もコロンとした瓜型が愛らしい。18世紀の後期になると幕府の意向で新たな器形や意匠の鍋島焼が製作されるようになりました。「蝶文 捻花皿」は蝶の羽を思わせる器形。しかしながら、19世紀後半には鍋島焼はその歴史を終えることになります…。

最後の展示室では「江戸時代の伊万里焼―誕生からの変遷―」が開催されていました。ここで伊万里焼の歴史をあらためておさらい…。やきもの展示室では「中島瞳作品展」が開催されていましたが、幾何学文様のデザインがイスラム文様のようで不思議な感じでした。それにしても、焼き物って本当に昔から今へとつながるものですよね…見入っていると、ついつい時間を忘れてしまいます…。

さて、例によって鑑賞後は甘いもの…ということで近くの「SHOTO CAFÉ」に寄ってきました…が、時間がなかったので、アイスラテと名物の松濤ロールをテイクアウト。松濤ロールのボリュームに一瞬ひるみましたが、ふわっふわのスポンジであっさり完食…美味しゅうございました。

シェイン

2022-07-06 01:33:54 | 映画
シネクイントで「シェイン 世界が愛する厄介者のうた」を見てきました。

イギリスのパンクバンド、ザ・ポーグズのフロントマン、シェイン・マガウアンのドキュメンタリーです。とはいえ、不肖わたくし、シェインのこともザ・ポーグズのこともアイリッシュ・パンクのことも何も知らずに見に行きました…映画館のサイトで見たトレイラーが面白そうだったものですから…5歳で酒・タバコ、高校でドラッグ依存症、生きてるのが奇跡!って、いったいどんな人生やねん…(以下、ネタバレします)。

この映画はなんと、ジョニー・デップが製作・出演しています。驚いたことに、シェインとは30年来の友人らしく、シェインのことを「20世紀最も重要な詩人の1人」と称えています。シェインがデップに「ハンサムすぎてムカつく」と言う場面もあるくらい、気のおけない友人のようです。この映画ではシェイン自身が自分の人生を振り返ります。1957年のクリスマスにアイルランドで生まれたシェインは破天荒な大家族の中で育ち…酒やタバコを覚えたのは親戚の影響のようですが、その一方で信心深い一族でもあったらしく、シェインも4歳で立派な狂信者になった、と語っています。その後、ロンドンへ移住、シェインも学校に通うことになりますが、クラスメートに薬を盛ったかどで退学になりました。この時、お父ちゃんはそんな学校やめちまえ!と言ったらしいです…まさにこの親にしてこの子あり。シェインはパンク系のクラブに出入りするようになり、自身もアイリッシュの仲間とパンクバンドを結成しました。めでたく人気も出て、エルビス・コステロのツアーの前座を務めたりもします。1987年には「ニューヨークの夢」が大ヒット、クリスマスのスタンダードナンバーになりますが、その後、シェインは諸事情(もっぱら素行の悪さ)あって脱退…。

過去を語るシェインはまさに酔いどれ詩人の趣です…そして、終始人を食ったような毒舌。でも、根底にはアイルランドへの愛と信仰が見え隠れしています。「神様が俺にアイルランドを導けと言った」「アイルランドが持つ文化の豊かさを世界に分からせたかった」とも語っています。彼の書く詩は詩人の詩のようですが、彼自身はあくまで自分を音楽家と思っていて、「いい音楽をつくりたいなら帰る場所ななんて考えちゃだめだ、聴かせたいという執念を持つこと」とも。そんな彼がなぜあそこまで酒やらドラッグやらにハマるのか…音楽で革命に加わったつもりでも、動かせない現実から目を背けたい思いもあったのやもしれません…。

そんなこんなで、まさに生きてるのが奇跡!なシェインですが、奇跡的に今も存命中。シェインが死なずにすんだのは家族の支えも大きかったのかもしれません。映画では60歳の時のスペシャルコンサートの映像も。サブライズゲストとしてU2のボノやシンニード・オコナ―も登場するなか、車椅子で歌うシェイン。そして、まだ曲を書きたいらしいシェイン。酒は飲んでも飲まれずに、書き続けていただきたいものです…。

線のしぐさ

2022-07-05 01:13:14 | 美術
東京都渋谷公園通りギャラリーで「線のしぐさ」を見てきました(この展覧会は既に終了しています)。

この展覧会はアメリカの障害のある人々の創作活動を牽引してきたクリエイティブ・グロウス・アート・センターの作家と、日本の作家をともに紹介しています。このセンターでは1,100平米余りのアトリエに100人以上の障害のある人が通い、制作を行っているのだそうです…。私が今回、一番惹かれたのは坂上チユキさんの作品でした。水色や青色の線で描かれた繊細なドローイングには「父は鳥、母は魚(故郷はパプアニューギニア)といった不思議なタイトルがつけられています。太古の海を想起させる作品を見つめていると、心がしんと静かになっていくような…。坂上さんの自叙伝には「5億9千万年前プレカンブリア紀の海に生を受けた」とあるのだそうです。トニー・ぺデモンテの作品は木材や廃品を組み合わせた骨組みを糸や毛糸で包みこんでいます。張りつめられた糸の織り成す色の諧調も美しい。スーザン・ジャノウはグリッドをクロスハッチングで埋めるドローイングを制作しています。モンドリアンを思わせるような作品も。東恩納侑さんの作品は針金のゆがみを利用しながら3次元的にかたちを捉えるというもの。針金で作られた機関車はどこか素朴でユーモラスな趣…。齋藤裕一さんの作品は好きなテレビ番組名などを書き連ねるドローイング。どんな字が隠れているのかを探すのも楽しい。ダン・ミラーも関心のあるものに伴う形、アルファベット、数字を重ねる作品を制作しています。意味から解き放たれた記号たち…。ドワイト・マッキントッシュは自身の経験に由来するモチーフを線で捉えます。奔放かつ強い線は感情の高まりにより描かれているのだとか。西村一成さんは大胆で伸びやかなドローイング作品を制作、「線は僕の肉体の延長」と。松浦繁さんの作品は木に彩色をしたものですが、独特のフォルムが面白い。ジュディス・スコットは毛糸などを丹念に巻き付けた、繭のような立体作品を制作。毛糸の絡まり合う毛糸に包まれた作品は謎の生物のようにも見えてきます…。

一本の線を引く、というのはとてもシンプルな行為です。でも、その線がある方向に延びたり、あるいは重なり合ったりすることによって無数の新たな世界が生まれる…ということを目の当たりにしました。世界は線でできているのかも…。

鑑賞後はちょっと一息…ということで、近くのTAILORD CAFÉに寄ってきました。アイスラテを頼みましたが、エスプレッソがベースの濃厚なお味で、美味しゅうございました…。


図案と、時代と、

2022-07-02 23:53:35 | 美術
松濤美術館で「津田青楓 図案と、時代と、」を見てきました。

2年前に練馬区立美術館で津田青楓の回顧展が開かれていましたが、不肖わたくし、コロナ禍の影響もあって見逃してしまい…今回は早めに行ってまいりました。この展覧会は津田青楓の作品を中心に、図案集と図案に関する作品を紹介しています。図案はもともと工芸品の下絵でしたが、明治時代から美術家の作品として芸術化が試みられるようになりました。展覧会では図案の変革期にあたる明治から大正時代の作品が展示されています。展覧会の第1章は「青楓図案万華鏡」。津田青楓の図案集、装幀図案、刺繍、日本画・洋画を紹介しています。最初に「青もみぢ」「うづら衣」などの図案集が展示されていましたが、まさにセンスの塊、としか言いようのない感じです。とりわけ図と地のバランスが絶妙…。青楓は京都に生まれ、呉服問屋の千切屋に丁稚奉公に出ますが、そこで意匠の仕事にも携わるようになりました。青楓が当時評判だった神坂雪佳の作品を見て、あれくらいなら自分にも描けると、生家近くの本屋に図案を持ち込んだところ、破格の値段で買い上げられ、最初の図案を出版したのはなんと16歳。おそるべし…。大正時代に入ると本の装幀も手掛けるようになります。とりわけ夏目漱石の本の装幀を数多く手がけていますが、今見ても本当に素晴らしい。青楓は人嫌いの傾向のあった漱石にも殊の外気に入られていたようです。漱石が亡くなった時、青楓は人目もはばからずに泣き、「漱石」は永遠に生きているが、「先生」には永遠に会われなないのだ、と言ったのだとか…。鈴木三重吉の全集の装幀も手がけますが、こちらは三重吉にくどくど言われるのに耐えられなくなった、と途中で降りてしまいました。一方で、日本画や洋画の作品も残しています。ある評論家は「津田にとっては描きたい時に描きたいことを描きたいように描いていさえすれば、それが日本画でも西洋画でも図案でも、頭の中では一つのもので統一されている」といった言葉を残しています…。第2章は「青楓と京都図案」。当時、近代化を図っていた京都の工芸の動向を紹介しています。青楓の師匠だった谷口香嶠や、人気だった神坂雪佳、新風を吹き込んだ浅井忠など、数多くの図案が展示されていましたが、今見てもお洒落。谷口香嶠の作品はやはりどことなく青楓の作品と似ているような…。第3章は「青楓と新しい試み」。明治40年にパリに留学し、帰国した青楓は打って変わって素朴な表現に挑むようになります。当時、生活に密着した「小芸術」への注目が集まっていたという背景もあり、大正2年には青楓図案社を設立、実用品のデザインも手がけるようになりました。展覧会は大正時代で終わっていますが、その後、青楓はプロレタリア活動に身を投じ、小林多喜二の虐殺を描いた「犠牲者」で警察に検挙され、転向…と激動の人生を送ります。練馬区立美術館の展覧会では当時の作品も展示されていたようです…いつか観られる機会があるといいのですが…。

さて、例によって鑑賞後は甘いもの、ということで東急本店の地下にある「ミカドコーヒー」に寄ってきました。暑い日だったのでモカフロートを頼みましたが、アイスコーヒーの上にどーんと乗っかっていたモカソフトが実に美味しゅうございました…。