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アートネタなど日々のあれこれ

東福寺

2023-04-25 01:15:19 | 美術
東京国立博物館で「特別展 東福寺」を見てきました。

この展覧会は東福寺初の大規模展覧会ということです。そして、吉山明兆の「五百羅漢図」全幅が修理後初公開…この羅漢図が画像で見てもインパクト大…ということで、行ってまいりました。

展覧会は5章で構成されていました。第1章は「東福寺の創建と円爾」。東福寺の開山円爾ゆかりの文物が並びます。明兆作の大きな「円爾像」が威厳を漂わせます。第2章は「聖一派の形成と展開」。聖一派とは円爾の後継者たちですが、彼らは密教にも通じ、中国から多くの知識、文物を持ち帰っていました…が、思わず眼が釘付けになってしまったのが「虎 一大字」。脱力系の「虎」は一見、子どもの落書きのようにも見えますが、これは聖一派の虎関師練が見る者の心に問いかける書なのだそうです。第3章はついに「伝説の絵仏師・明兆」。明兆は江戸時代までは雪舟と並び称されるほど高名な画家でした。私が行った時は「達磨・蝦蟇鉄拐図」が出ていましたが、これ雪舟のあの絵に似とるやん…というか、雪舟の方がインスパイアされていたようです。極彩色で描かれた「五百羅漢図」をはじめ、異様なパワーを放つ作品の数々。画力が圧倒的に高いわりに、評価的には現状、雪舟に水を開けられているというのは、この独特なキワモノ感が一因なのかも、とすら思ってしまいます。五百羅漢図は展示の仕方も面白かったです。右には4コマ漫画、上にはテロップ。漫画の解説のおかげで、絵のシチュエーションが理解でき、俄然、面白みが増します。テロップも文才ある方が書かれたようで、思わず笑っちゃうフレーズが続出…。展示の工夫と言えば、通天橋を再現した展示も。左に紅葉、右に新緑でちょっとした旅行気分を味わえます。第4章は「禅宗文化と海外交流」。ここにはシュールな漫画のような「十六羅漢図」が。第5章は「巨大伽藍と仏教彫刻」。サタデーナイトフィーバーを彷彿とさせる「二天王立像」や美男子「阿難像」。そして、2メートル超えの巨大な「仏手」が。いやもう、でかっ…としかコメントのしようがありません…。たしかにいろんな意味で規格外の展覧会だったかも…。

そんなわけで、東福寺の寺宝を堪能してまいりました。東福寺の所蔵が国宝7点、重要文化財98点ってけっこうな数ですよね…。不肖わたくし、東福寺は何度か訪れていたのですが、こんなお宝を隠し持って(?)いたとは露知らず、でした。京都のお寺は本当に奥深いです。いつか「大涅槃図」も拝んでみたい…。

ムーンエイジ・デイドリーム

2023-04-23 00:07:12 | 映画
シネクイントで「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」を見てきました。デヴィッド・ボウイのドキュメンタリーですが、デヴィッド・ボウイ財団初の公式認定映画ということです。ボウイが30年にわたり保管していたアーカイブから厳選された未公開映像と40曲で構成されています。ブレッド・モーゲン監督は2年かけて全ての素材を見たのだとか…。

初の公認映画ということで、公開を知った時から楽しみにしていました。ドキュメンタリーのようなMVのようなつくりでしたが、極彩色の映像の中で歌い踊るデヴィッド・ボウイの輝きは、もはやこの世のものとは思えません…まさに違う星からやってきたスター…。

デヴィッド・ボウイの人生を時系列で紹介するというよりは、映像と音の洪水、ボウイ自身の哲学的な言葉のコラージュのような映画でしたが、彼の人生を2時間程度の枠に収めるのは無理があるし、ボウイのある意味人間離れした姿を伝えるには、むしろこういう構成のほうがふさわしかったのかもしれません。ボウイ自身も「いろんな人が入れ代わり立ち代わり自分のことを語るような映画にしたいでくれ」と言っていたらしいです。ボウイの常に変化し続ける、変化を怖れない果敢な姿がとにかく眩しかったです。「人生そのものが創造」「(アーティストは)変化するのが仕事」と言い切っていましたね…。「誰にもできない大冒険をしようと決めていた」16歳の時から死ぬまでスターだったボウイ。スターと呼ばれた人は他にもいますが、ここまでスターとしての人生を徹底して生ききった人は他にいないのでは…。“Life is fantastic”と語り、変幻自在に生きたデヴィッド・ボウイの人間としての姿はいまだにミステリーのままです。監督が言うように「(彼を)知ることはできない、しかし体験することはできる」という唯一無二の存在であり続けるのでしょう…。

帰りに映画館と同じフロアにある「ほぼ日曜日」で「アート・シマツの極意」を見てきました(展示は既に終了しています)。「展覧会の後始末」がテーマのユニークな展示でした。森村泰昌氏が自身の展覧会で使った膨大な量のカーテンの再活用のアイデアを募り、採用者に廉価でカーテンを譲るというプロジェクトですが、カーテンが衣装やドレス、テーブルクロス、クッション、バッグ、ブローチ…いろいろなものに形を変えていました。リフォームされたカーテンもなんだか嬉しそう(?)。このカーテンの色が綺麗でしたね…ブルーグレーのような不思議な色、曇りの日の海面のようでもありました…。

BLUE GIANT

2023-04-20 22:29:05 | 映画
TOHOシネマズ日比谷で「BLUE GIANT」を見てきました。

ジャズを題材にした人気漫画のアニメ化ですが、不肖わたくし、原作の方は未読でした…が、映画も評判になっていて、何より上原ひろみさんが音楽を担当しているということで、いそいそと行ってまいりました。Dolby-atmosで見るために日比谷まで行ったのですが、その甲斐あって大迫力の映像と音楽を堪能…。

まだ上映は続いているようなので、極力ネタバレしませんように…。テナーサックスを吹く高校生・宮本大が仙台から上京し、凄腕ピアニストの沢辺雪祈と出会い、高校の同級生でドラム初心者の玉田俊二とともにジャズバンド「JASS」を結成、ジャズの殿堂So blueで演奏することを目標に切磋琢磨を重ねていく…というお話ですが、スポ根ジャズ映画のような趣で、もうずっと胸熱状態でした。思えばジャズって、音楽のなかでは比較的スポーツに近いというか…アドリブで演奏することになるので、技術と体力と瞬発力が要求される…というわけで、スポ根ノリとは意外とマッチするのかもしれません。主人公とその仲間が18歳というのも絶妙です。いろいろと突っ込みどころはあるのですが…ジャズのバンドって基本的に個人商店の集まりという感じで、バンド活動自体が目的になるという感じではないし、技量に差のあるプレーヤーが一緒に組むということはあまりないと思われますが、この映画では初心者と凄腕、天才肌というタイプの違う3人が時にぶつかり合い、時にフォローしあいながら同じ目標に向かっていきます。そして、個人的に最大の突っ込みどころはこのバンドがベースレスだということでした。ジャズのバンドでピアノとドラムがいてベースがいないということはまずないかと。ベースのいない状態でこれだけ早いテンポでコードチェンジも多い曲を演奏するには、ピアニストにかなりの技量が必要とされます。それを可能にするのが上原ひろみさんの強靭な左手…いやもう、恐れ入りました…。宮本大のサックスを演奏する馬場智章さん、玉田俊二のドラムを演奏する石若駿さんも素晴らしかったです…本当に熱かった…。

ジャズという音楽が時代を下るにつれ、intelectualな方向に向かうなかで、本来は初期衝動あってなんぼの音楽だということをあらためて思い出させてくれる映画でもありました。それにしても左手、大事ですよね…練習しよっと…。

エゴン・シーレ

2023-04-18 22:43:39 | 美術
東京都美術館で「エゴン・シーレ展」を見てきました(この展覧会は既に終了しています)。展覧会を見に行ったのはだいぶ前なのですが、その後、公私ともにいろいろなことが起こってしまい、なかなか感想を書けずにいました。もはや記憶もだいぶ薄らいでしまいましたが、自分の心覚えのために…。エゴン・シーレの展覧会は実に30年ぶりだそうで、自分にとってはシーレの作品をまとめて見る初めての機会でした。この展覧会ではレオポルト美術館の所蔵品を中心に、シーレの作品が50点、クリムトなど同時代の作家と合わせて約120点の作品が展示されていました。

会場に入ってすぐのところに、17歳のシーレが描いた農民の絵、母の肖像、叔父の肖像が展示されていました。とても17歳が描いたとは思えない完成度と風格…天才って恐ろしい。その後、ウィーン関連の画家の作品が続きます。カール・モルはなぜか今までアルマ・マーラーの義父という認識しかなかったのですが、木版画の作品が思いのほか面白く…浮世絵を思わせます。クリムトの「シェーンブルン庭園風景」は一瞬、モネの絵かと思いましたよ…。コロンマ・モーザーの「キンセンカ」は色鮮やか。ゲルストルの「半裸の自画像」には自殺する画家特有の暗さがありました。その中でシーレの「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」と「菊」の並びが文字通り異彩を放っています。どこか琳派をも思わせるこの作品、若きシーレの才気がほとばしるようです…。

後半はシーレの作品が続きます。メインビジュアルにもなっている「ほおずきの実のある自画像」は強い視線が見る者を射抜くよう。「自分を見つめる人Ⅱ(死と男)」は、人間は常に死神を背負っている存在であることを思い知らされます。「悲しみの女」を見るとなぜかピカソの「泣く女」を思い出し…「母と子」も幸せな母子像とは違い、子どもは何か怖いものを見て驚愕しているよう。シーレというと女性を描いた絵のイメージが強いのですが、風景画も。「モルダウ河畔のクルマウ」はミニチュアの街のような、いつまでも見つめていられそうな不思議な絵。裸体画のコーナーは春画展のような趣でした。「頭を下げてひざまずく女」の煽情的なポーズを見ていると、女性の私でさえ、なんだかドキドキしてしまいます…。女性を描いたデッサンを見ていると、やはりシーレは3次元を2次元に変換する能力がずば抜けていたのだなと思います。そして、線が強い強い…。最後の「しゃがむ二人の女」はホドラーを思わせ、これまでとはどこか違う場所へと向かう気配を感じさせます。師クリムトをして「才能がありすぎる」と言わしめながら、わずか28年でその生涯を終えたシーレ。「至高の感性は宗教と芸術」と語ったシーレが長生きしていたら、どんな風に画業を広げていったのだろう…と思わずにはいられませんでした。

さて、例によって鑑賞後はランチ…ということで、上野アトレの「灯火」に寄ってきました。鯛塩らぁめんと鯛茶漬けのセットをいただきましたが、鯛出汁が透きとおるよう、鯛のお刺身がのったお茶漬けも美味でした…。

Ars longa, vita brevis

2023-04-09 00:05:05 | 音楽
2023年3月28日、坂本龍一氏が亡くなりました。

数年前から末期癌で闘病中ということだったので、この日が来ることは覚悟していたし、怖れてもいました。大腸癌は比較的進行が遅いということに一縷の望みを託していたのですが、ついにその日が来てしまいました。教授の死を知ってから一週間ほど経ちますが、いまだに心にぽっかり穴が開いたままです…。

私が教授の音楽を初めて認識したのは8歳の時、エレクトーン教室のお姉さんたちとアンサンブルで「テクノポリス」を演奏した時でした。子供心にも不思議でかっこいい音楽だなぁ…と。一番チビだった私は当時まだ珍しかったシンセサイザーを弾かせてもらったのですが、こんな楽器を使って音楽を作っている人ってどんな人なんだろう、と思いましたよね…。本格的にハマるきっかけになったのは15歳、高校の放送委員会の先輩から「G.T.」を聴かされた時でした。放送室の大きいスピーカーからパンで振られた車の衝撃音が聴こえた瞬間から教授の音楽にどっぷりハマることになりました。「音楽図鑑」「未来派野郎」「Media Bahn Live」「Neo Geo」「Beauty」あたりは聴き倒しましたよね…。教授の影響でYMO関係者の音楽のみならず、現代音楽や民族音楽、前衛的なジャズも聴くようになりました。人生初ライブはbeautyツアー、人生初の大人向け映画はラストエンペラーでした。教授のアカデミー&グラミー受賞は嬉しかったですよね…本当に世界を股にかける音楽家なんだ、と…。人生初デモテープ(?)も放送室で友達と録音した耳コピの「千のナイフ」でした。大学ではジョン・ケージで卒論を書きましたが、これも教授の影響です…教授の真似をして「民族音楽か現代音楽の研究をしたい」と指導教官に相談したら、「民族音楽はフィールドワークしないと意味ないよ」と言われ、そんなお金はなかったので、現代音楽を選ぶことになったのですが…。

教授からは音楽以外にも大きな影響を受けました。教授と村上龍氏、ゲストの鼎談を収録した「Ev.Café」という本が高校時代のバイブルでした。私は元々、音楽と本にしか興味がなかったのですが、この本をきっかけにアートや映画にも目を開かされることになりました。大江健三郎氏や中上健次氏の作品も読むようになり、現代思想の本を訳も分からないまま読んだりもしましたね…。私の父は音楽好きでアートや映画にも多少は関心がありましたが、好みはベタなものでした。仕事柄、大量の本を読んでいましたが、現代文学や現代思想にはあまり興味はなかったようです。母は小説はよく読んでいましたが、音楽やアートには関心がありませんでした。私の趣味嗜好の70%くらいは教授経由と思われますが、そういう意味では、実の親以上に影響を受けた人なのです…。

こうして10代後半~20代初めくらいにかけて教授の影響をどっぷり受けていた私ですが、大人になり、社会人となり、現実の世界に揉まれていくなかで、いつしか距離が離れていくことになります。それでも、アルバムが出れば買っていたし、コンサートやライブにも時折行っていました。離れていても常に心のどこかでは教授の音楽や言動が羅針盤になっていたのです…。

そんな私ですが、一度だけ教授に遭遇したことがあります。シュトックハウゼンの曲をシュトックハウゼン自身のPAで演奏するというなかなか珍しいコンサートでした。席に腰をおろすと何と眼の前に教授が…何年も何年も憧れ続けた人が眼の前にいる…と、音楽の方はすっかり上の空になってしまいました。コンサートが終わった瞬間、足早に出口に向かう教授に私は思わず手を差し出していました。プライベートでこういうことをされるのは大嫌いな人だと分かっていたはずなのに、手が勝手に動いてしまいました…。教授は一瞬、しかめ面をしましたが、しょうがないなぁ…という感じの苦笑いをして握り返してくださいました。大きな温かい手でした。この手だったら9度や10度も無理なく届くだろうなぁ、と思った記憶があります。もちろん、その日は一日、右手を洗わずに過ごしましたよ…。もう、あの手が新しい音楽を紡ぎ出すのを聴くことはできない…でも、Ars longa, vita brevis。彼の創り出した音楽は生き続けるのです…。

寄生するプラモデル

2023-04-02 01:07:25 | 美術
ワタリウム美術館で「寄生するプラモデル 加藤泉」を見てきました(展覧会は既に終了しています)。

加藤氏は画家としてキャリアをスタートし、木彫作品を経て、今はソフトビニール、石、布、プラモデルなど幅広い素材を用いて「人がた」をモチーフに制作をされています。新型コロナで展覧会が延期になったりしたため、ひさびさにスタジオでプラモデルを作っていたら、これは作品に使える…と思い、木彫作品にひっつけてみたのだとか。トーテムポールのような木彫やソフトビニールの人がたにプラモデルがちょこんと…スケルトンの人体や動物のプラモデルもありましたね。不思議な生物たちのような作品を眺めていると、どこか違う星に降り立ったような気すらします。私が行った時にはたまたま、子どもたちの集団が来ていたのですが、彼らも興味津々な様子でしたね…。2階はジオラマシリーズ、3階はビンテージプラモデルとのコラージュ作品。4階は部屋の壁一面にプラスモデルの箱が展示されており…プラモデルの箱もアートといえばアートなのかも…と今さら気づきました。そして、ここにはなんとオリジナルプラモデルが…手作りの箱には“IZUMI KATO”の文字がくっきり。プラモデルの素材は石です。そう、路傍の石だってアートになるのですよね…。いわゆるアートとアート的なものとの間を軽々と越境するのが、いかにもワタリウム的…そう、アートはもっと自由でいい…。地階では加藤氏のバンド“THE TETORAPOTZ”の関連展示も。なんと加藤氏はドラマーでもあったのですね…。

この日は帰りに美術館近くの「LATTEST」に寄ってきました。3月のシーズナルラテだったホワイトリボンラテを頼みましたが、50円分がジョイセフに寄付されるようでした。ホワイトチョコモカにマシュマロが添えられたラテはほわん、とまろやかで、美味しゅうございました…。