企業・組織再生現場からの独り言

仕事の中で、覚えていったこと。感じたことなどなどを記していきます。我以外皆我師也。あと、読んでいる本を簡単に紹介。

こどもを「子供」と書いたら差別になる?

2005年01月31日 | 過去の不満たらたら記事
あるブログを読んで知ったのだが、「こども」を「子供」と表記すると差別になるらしい。教育現場では、結構話題になっているらしいが、私が朝日新聞を読んでいないからか(^^;知らなかった。(いや、昔聞いたことがあるような覚えもあるが、最近は忘れていたのだろう)
あるブログとはこちら、http://plaza.rakuten.co.jp/hijyoushiki/diary/200501280000/。なお、http://kan-chan.stbbs.net/word/pc/kodomo.htmlこちらに詳しい解説がある。私も、この後者のコラムの著者の考え方に同調したい。親が、自分のこどもについて複数いる場合に「子供」と言うのは、別に問題ないだろう。結局、使われる文脈に因るのではないだろうか?使われる時代背景にも因って違うだろうしね。例えば、子ども表記が始まったとされる1970年以前に、子供表記があってもかまわないだろう。でも、そんな文章を探し出してきて、あら探しをする人が多いものだ。

表記というものは、できるだけ多くの人が安心してみられるのがよいと思う。不快に思うことが少ない方がよいのだろう。その意味で、「子供」表記をすることにより、一部の人々が、不快感を感じるから、子どもにしよう、というのはわからないでもない。でも、こういう議論って、言ったもん勝ちなのではないか?というのが気になる。

たとえば、国会議員が、「子供」と表記をしたら、いきなり差別用語を使う国会議員だ、と言われて、下手したら辞任に追い込まれるのだろうか?首相だと、どうなるのだろう?責任ある人が、すべての差別用語、と言われている言葉について確認して、決して差別用語を使わないよう配慮しなければならないのかなぁ?、と思う。すっごい少数の人(権利意識の強い政治団体など)が、ちょっとウェブで訴えをかいていたからと言って、それまで気を使っていられないのも本当。政治家などを含め、リーダーにはリーダーとしてしてもらいたい仕事が多い。なんでも完璧な聖人が日本に何万人もいるわけではない、それどころかみんな得手不得手がある不完全な存在だ。リーダーであればあるほど、自分の至らなさを強くわかっているもんだと思う。指導者には、強いところを伸ばしてもらって、弱いところを見てたたき、引きずり下ろす、みたいなのはどうかと思う。

中には、ある人を、引きずり下ろしたいから、というので悪意で、陥れるようなことだって可能だ。この差別表現というのは、指定すればするほど、悪意で指導者たちを陥れることができるようになる、という両刃の剣でもある。差別だ、差別だ、と騒ぎ立てる人がでてくることで、気を使わなければならない人が増え、また、別の色眼鏡で人を見始める人もでてくるわけだ。ある考えを人に強いるということは、それだけ、たいへんな事であることをわかって、その上で、騒ぎ立てるなら騒ぎ立てて欲しい。(自分のblogも、ちょっと過激になりすぎているのだろうか?)
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