あぽいち

温泉とヨガ、たまに心臓外科医

今後の人生でやっていきたいこと

2017-01-14 23:28:55 | 人生のリトリート
うーん、いつか将来的には、今の経験を生かして、病院でスタッフや患者さん相手にマインドフルネスをやっていくと良いだろうなぁと思っていたら、朝日新聞にこんなんありました。


医師・看護師が「修業」する寺とは

生死見つめ「瞑想」
2017年1月14日提供 朝日新聞

岐阜県高山市にある寺院を、全国各地の医師や看護師が訪れている。目的は瞑想(めいそうだ。なぜ飛騨の寺まで来るのか。そこには医療の現場に立っ人ならではの理由があった。この寺は標高約900メートルの山中にある飛騨千光(せんこう)寺。住職で真言宗僧侶の下大目(だいえん)さん(62) は2014年から東京と名古屋、神戸で「臨床瞑想法」基講座を開く。 1年間に約1 00人か受講し、うち3分の1がもっと深く瞑堰を学びたいと希する。ほとんとか医療関係者だという。そうした熱心な人向けの「指導者講座」が飛騨千光寺で開かれ、 これまでの3年間に60人い医師、看護師たちが「修行」にやってきた。医療関係者か目指すのは、瞑想を通じて生とにっいて自分なりの考えを持っことだ。約20人か集まった昨年11月中旬の指導者講座。熊本市医師会が開設する「熊本地域医療ンター」から消化器内科医長の中原和之さん(46)が参加していた。専門は膵臓(すいぞう)l。難治l性の膵臓かんの発症か分かると「助からない」と絶望する人多いという。医師として治療に力を尽くしながらも’’、悩む患者を前に心が乱れることもあっ。患者はもちろん、自身の心のケァが大切だと考えて心理療法なとも学んだ後、瞑想にたと言いたという。15年9月から寺を4回来訪。大下さんが考えた4段階瞑想で最終段階の、 「ゆだねる瞑想まで学んだ。命をゆだねる対象となる「何か大きなもの」は、神や仏、宇宙、大自然、祖先なと、人それれでよいという。中原さんは「死は人生の集大成で、自然なことと受け止めるようになりまた」と話す。「医者の自分の気持ちの安定は患者さんに伝わる。穏やかに最期を迎える方か増えたようにいます」東京都内の大学病院看護師長、越山智子さん(51)も飛騨千光寺で瞑想を学んだ。その体を生かし、亡くなった患者への対応を看護師たちが振り返る「デスカンファレンス」と呼ばる会議の前に、出席者による瞑芯を採り入れる。患者の死後は、往々にして反省や後''侮なと様々な感情が看護師を襲うといい、そうした感情ケァも兼ねての瞑態だ。患者の表情や言葉、自分たちの看護にっいて6~7分間、全員が静に思い返す。越山さんは「一人ひとりの死を丁寧に見送ることで、多くのスタッフは死を尊思うようになります。それは次の丁寧な看護にっながっていくはずです」と話す。求められる死生観米グーグルなとが社員研修で採用した「マインドフルネス」でも実践される瞑想。指導する下さんが最も意識するのは、仏教と社会とのっながりだ。高野山やスリランカで密教や仏教瞑想を学び、約30年前から故郷の飛騨で末期患者や様々病の人の心のケァを続けてきた。不治、難治の患者と向き合う医療関係者に「診断と治療たでなくもっと人間の心をみるべきだ」と力説。昨年は1年間で約BO=、全国で講演や講義した。その約7割は医療や介護関係者向けだったという。高齢化が加速して「多死社会」が迫るニ本。聖路加国際病院(東京都中央区)で精神腫瘍(ゅよう)科部長を務める精神科医、保坂隆さん(64)は「日々、多くの死と向き合う医師看護師が自分の死生観を持っように求められている」とみる。保坂さんも密教や空海を研究同病院では昨年暮れ、 「臨床瞑態法」基礎講座が開かれ、大下さんが講師を務めた。「瞑想は宗教者た゛けのものではない」と大下さんは語り、心を落ち言かせて生と死を見っめ動きの担い手として医療関係者に期待をかける。大下さんと日本看護協会が連携した瞑想の修会が今年、青森県なと゛全国数カ所で実施される。
(永持裕紀)大下大圓さんが考えた瞑芯の4段階(大下さんの著作から)
(1) 「ゆるめる」 (主に呼吸法を通じて心身共にリラックスする)
(2) 「みっめる」 (過去の嫌なできごと、コンプレックス、対人関係の課題なとをありのまに観察、洞察)
(3) 「たかめる」 (自分が生き生きする薯らし方生き方をイメージ)
(4) 「ゆだねる」 (自分の命が「何か大きなもの」とつながっている感覚を持つ)

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