あの青い空のように

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かけ算は 順序が違うと バツ ?

2013-01-26 22:50:55 | インポート

(1/25)付の朝日新聞社会面に、小学校のかけ算テストの結果を取り上げた記事がありました。見出しは「小学校のかけ算 えっ?  順序が違うと『バツ』」と書いてありました。その概要を紹介すると同時に、この記事に対する疑問点をまとめてみたいと思います。

取り上げられたテスト問題は、「8人に鉛筆をあげます。1人に6本ずつあげるには全部で何本いるでしょう。」という内容。東京都内の男性の娘が小学2年の時に、8×6=48 と書き、バツがついているのを見て驚き、このことをブログに書くと、「式の順序が正しくない」「かけ算に正しい順序などない」などと千件近いコメントが寄せられたそうです。

教科書会社の説明によると、かけ算は (一つ分の数) × (いくつ分) なので、(一人当たり6本) × (8人分) つまり 6×8 が正しく、教師が授業の参考にする「指導書」も、「立式で誤答が多いのが現状」などとして「正しい順序」を徹底するよう促している とのこと。さらに「正しい順序」の根拠は何なのかと尋ねると、文科省が教育内容の基準を示した「学習指導要領」の解説に「10×4は、10が4つ」などと書かれている。(一つ分の数) × (いくつ分)と順序を固定した方が、児童はかけ算の意味を習得しやすく、かけ算を教える際、順序を教えるのがいまは一般的だとのこと。

ところが文科省に問い合わせると、「正しい順序」を決めてはいないが、学校現場に裁量があり、コメントする立場にないという見解でした。

式の順序が逆だと間違いなのかどうかについて、東北大理学部数学科の黒木助教は、ナンセンスとの答え。鉛筆をトランプのように配れば「1巡あたり8本」×「6巡分」とも説明でき、バツにする根拠はないという。「算数には様々な解き方がある。先生は児童とのコミュニケーションを大事にしてほしい」。

小学校のPTA役員を務める作家の川端裕人さんは、小中学校長向けの専門誌に寄稿し「順序』の指導は、児童・生徒が数学の抽象世界に羽ばたくのを妨げているのではないか」と訴えた。

この問題は、41年前の朝日新聞にも記事がある。テストでバツがついた小学生の保護者が学校に抗議したという内容。これ対して京都大教授が次のような助言をした。「こどもの思考の飛躍、冒険は大切なことで、どんどん生かす指導をしてやらなくてはいけない。親が学校に対し、学習内容などについて発言するのは大いにけっこう。まず担任先生と率直に話し合って」 結びに書かれた記者の意見は、「(その助言が)41年を経た今も変わらぬ「正答」だろう」 とのこと。

…………

この記事を読んでまず第一に感じたのは、なぜバツを付けた教師の考えが書かれていないのだろう という疑問です。教科書会社や文科省、数学者、PTA役員には取材しながら、かんじんの指導教師のコメントがないのです。硬直化した教育現場に対する批判の思いがあったにせよ、当事者の考えを抜きにした 一方的な記事なのではないかと思いました。新聞の公正さは、どこにいってしまったのでしょうか。

記者は、かけ算の順序にこだわり指導することに、批判的な見解を持っているようですが、学校現場でかけ算がどう教えられているのか、その実情を知った上で、記事を書いてほしいと思いました。教育の仕事に関わった者の一人として、私にはバツを付けたのにはいくつかの理由があるからだと考えました。思いつくまま次に書き出します。

かけ算という計算に初めて子どもが出会うのが2年生です。足し算や引き算を学んできた子どもたちにとって、かけ算は未知の出会いとなります。5を10回足せば長い式の足し算になりますが、「×」を使えば 5×10 という簡単な式に表すことができるのです。どう このかけ算と子どもたちと感動的に出会わせることができるかと、教師は考えます。そのために、× の持つ意味を きちんと教え、どの子も考え方や計算の仕方が身に付けることができるよう教え方を工夫します。そういった取り組みについては、これまでも 教職員の研究会や組合の教育研究集会でたくさんの実践報告が積み重ねられているのです。

かけ算を (1あたりの数<量>)×(いくつ分)として表すのは、そのもの(1あたりの数の対象となるもの)が、どれも共通の属性として共通の数だけあり、それがいくつ分あるかが決まることで、かけ算が成り立つからです。問題文を例にすれば、1人にあげる鉛筆の数となる6本が、どの子にも等しくあげる共通の数であり、それを何人にあげるかは一定ではなく、この問題文ではたまたま8人になっているのだと考えることができます。つまり 1あたりの数が6となれば 6×( ) という式が成り立つことを意味します。いくつ分にあたる 3人にあげれば 6×3、100人にあげれば 6×100 の式となります。8×6 という式では、問題文は、「6人鉛筆をあげます。1人に8本ずつあげれば、全部で何本いるでしょう」 となります。

この考えをもとにすれば、6×0 と 0×6  の違いについても 説明することができます。6×0 が式となる問題は、「1人に6本ずつ鉛筆をあげたいのですが、あげる人が一人もいません。鉛筆は何本いりますか。」 となります。 0×6  については、「6人の子に、0本ずつ鉛筆をあげれば、全部で何本にいりますか。」 となります。しかし、この問題には無理があり、1あたりの数がどれにも共通して0になる問題設定でないと、子どもたちは納得できない面があります。そこで、1あたりの数が0になる 例えば へびの足の数などを例に、次のような問題文を設定します。「へびには足がありません。6匹のへびが集まれば足の数は全部で何本になるでしょう。」

答えが同じであっても、式にはこういったきちんとした意味があるということを知って、子どもたちは、かけ算の考え方を身につけていきます。そのことをきちんと理解した上で、計算上の操作では 6×8も 8×6も 同じ答えになることを 次の段階で 指導していくことになります。

どの子もかけ算の意味を理解し、確かな計算力を身につけて欲しい。そう願うからこそ、きちんと段階を踏み、積み重ねをしながら、教師は指導していきます。バツをつけたのは、かけ算の意味を理解する段階でのテスト問題だったからなのだと思います。問題に出てきた数字の順に立式してしまい、かけ算の意味を十分に理解していないと判断したからだと思うのです。

記事の中で、数学者の先生が、「1巡あたり8本」×「6巡分」で説明できるので、バツにする根拠がないと語っていますが、果たして子どもはそう考えたのでしょうか。1あたりの数×いくつ分の考え方に沿った考え方なので、そう考えて8×6 と書いたのであれば、私もバツは付けないと思います。では、かけ算の意味を 子どもたちに どう教えたらいいのでしょうか。順序を変えても答えは同じだという指導するのは簡単ですが、初めてかけ算に出会う子どもたちに その理由を どう納得いく形で 説明できるのか疑問です。授業の中では、さまざまな学習場面があり、その中で子どもたちはいろんな意見や考えを出し合いながら、かけ算の意味について一緒に考え、学んできたはずです。算数の楽しさや筋道だって考えることの面白さ、正しい答えや解決の方法を見つけた時の喜びを体感しながら、学んでほしい。教師たちの そういった目に見えない積み重ねがあった上での バツであったことを 理解してほしいと思います。

かけ算を学習した後に、子どもたちは割算を学びます。割算は、その答えの求め方は、2通りに区分できます。一つは、答えが「1あたりの数」を求める場合であり、もう一つは「いくつ分」を求める場合です。前者については、「48本の鉛筆を8人に同じ数ずつ分けます。1人分は何本になるでしょうか」。後者については、「48本の鉛筆があります。一人に6本ずつ分けてあげるとすれば、何人に分けることができるでしょうか」という 問題文になります。かけ算を(1あたりの数)×(いくつ分)と理解した力が、割算の考え方や答えの求め方に発展的に結びついていくのです。かけ算の順序は、ただの順序ではなく、かけ算の意味を理解するだけでなく、次に学ぶ割算の理解にも発展的につながっているのです。記者は、そのことを理解した上で、たかが順序と言っているのでしょうか。

記事の中で、PTAの役員も務める川端さんが、「算数には様々な解き方がある。先生は児童とのコミュニケーションを大事にしてほしい」と訴えていますが、算数の授業風景をご覧になったことがあるのでしょうか。子どもたちが、多様な解決方法を考え、話し合う活動場面は、どこの学校でも共通に取り入れられ、大切にされている授業風景の一コマです。

バツを付けたということだけで、教育現場が硬直し、柔軟性に欠けていると考えるのは余りにも短絡的で一方的な見方なのではないかと思います。

記事では、かって同様な問題があったことを指摘し、そこで語られた京大教授の助言を取り上げ、それがこの問題の正答であると結んでいます。しかし、決して学校現場は、こどもの思考の飛躍、冒険を 生かす指導をしていないわけではなく、子どもの自由で柔軟な発想や考え方を大切にした指導を実践しているのです。親が学校に対し、学習内容などについて発言するのを拒否しているわけではなく、むしろ教育内容に対して親の側から評価してもらい、要望や提言を積極的に発信してもらうよう努めているのです。また、親と担任の先生とが率直に話し合い、確かな信頼関係もとで 子どもたちのよりよい成長のために共にできることを考え実践する努力も続けています。

41年を経た今も、多くの教師たちが変わらぬ努力を続けていることを知ってほしいのです。

コメント (8)
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