杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

生きる LIVING

2023年03月31日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2023年3月31日公開 イギリス 103分 G

1953年。第二次世界大戦後、いまだ復興途上のロンドン。公務員のウィリアムズ(ビル・ナイ)は、今日も同じ列車の同じ車両で通勤する。ピン・ストライプの背広に身を包み、山高帽を目深に被ったいわゆる“お堅い”英国紳士だ。役所の市民課に勤める彼は、部下に煙たがられながら事務処理に追われる毎日。家では孤独を感じ、自分の人生を空虚で無意味なものだと感じていた。そんなある日、彼は医者から癌であることを宣告され、余命半年であることを知る――。
彼は歯車でしかなかった日々に別れを告げ、自分の人生を見つめ直し始める。手遅れになる前に充実した人生を手に入れようと。仕事を放棄し、海辺のリゾートで酒を飲みバカ騒ぎをしてみるが、なんだかしっくりこない。病魔は彼の身体を蝕んでいく…。ロンドンに戻った彼は、かつて彼の下で働いていたマーガレット(エイミー・ルー・ウッド)に再会する。今の彼女は社会で自分の力を試そうとバイタリティに溢れていた。そんな彼女に惹かれ、ささやかな時間を過ごすうちに、彼はまるで啓示を受けたかのように新しい一歩を踏み出すことを決意。その一歩は、やがて無関心だったまわりの人々をも変えることになる――。(公式HPより)



黒澤明の不朽の名作『生きる』(1952年)を小説「日の名残り」、「わたしを離さないで」のノーベル賞作家カズオ・イシグロの脚本で、古きよきジェントルマンの姿が色濃く残っていた 第二次世界大戦後のイギリスを舞台にリメイクした作品です。黒澤映画の“何事も世間の称賛のためでなく、それが自分の成すべき事だからやる。”という人生観に魅力を感じるイシグロは、戦後の日本やイギリス、現代においても普遍だと捉えていて、オリジナルをリスペクトしながらもビル・ナイ演じるウィリアムズの抑制された演技も相まって新しい物語を作り上げています。

冒頭に登場するのは初出勤のピーター(アレックス・シャープ)です。同じような背広と帽子姿の男たちに交じって駅に着くと同僚たちと出会って挨拶し、同じ車両で緊張しています。そんな彼に同僚たちは上司のウィリアムズの前ではより気をつけるよう忠告します。彼らは降りる駅でウィリアムズと合流しても一緒に並ぶことはせず少し離れてついていきます。それが彼らの儀礼なのです。

職場である役所の市民課。どの机にも山と積まれた書類が置かれています。同僚のマーガレット・ハリスは、書類が山積みになっているのが重要なのだ教えます。(忙しいふりですね)そこに子どもの遊び場を作って欲しいと陳情に来た女性たちが現れます。ウィリアムズから女性たちを他の部署へ案内するよう指示されたピーターは、彼女たちと部署から部署へたらい回しにされた挙句、市民課の仕事だと言われて戻ってきます。(このシーンはまさに「お役所仕事」そのもので、もう笑うしかない!)ウィリアムズは請願書を預かると目も通さずに書類の山に追加します。余計なことはしないのがここの暗黙のルールなのです。

その日、早退したウィリアムズが向かった先は病院です。医者は言いづらそうに検査の結果(末期がん)と余命を告げます。
夜。帰宅した息子夫婦(マイケルとフィオナ)は、真っ暗な部屋に父が佇んでいるのに驚きます。彼らは父が不在と思いあけすけな会話(引っ越して新しい家が欲しい)をしていたので気まずく、何か言いたそうな父を遮り部屋に引っ込んでしまいます。黒澤版では夫婦ともに父に冷淡だったようですが、こちらは妻はともかく息子は父を愛し思い遣っているように見えました。

翌日。ウィリアムズは職場を欠勤し、貯金の半分を下して海辺の町にやってきます。
そこで不眠症を訴える物書きのサザーランド(トム・パーク)と出会い、彼に睡眠薬(4瓶くらいあったかな)を渡して自分の命の終わりが近いことを打ち明けます。(本当は自殺するつもりで購入した睡眠薬ですが、家族に迷惑がかかると気付いてやめたようです)見ず知らずの他人だからこそ言えることってあるよな~~。楽しみ方を知らないというウィリアムズをサザーランドは夜の町に連れ出しバーやストリップ場に行きます。でもウィリアムズはちっとも楽しそうじゃないのね。バーでピアノ弾きにスコットランド民謡の「ナナカマドの木The Rowan Tree 」 をリクエストして歌う彼は全身に哀愁を纏っているかのように見えます。黒澤版では『ゴンドラの唄』 だそうですね。

あれほど判を押したように規則的に行動していたウィリアムズが突然職場に来なくなったことに同僚たちは戸惑い心配して語り合います。ポツンと空いた課長の席が何より雄弁に彼の不在を示しています。

ウィリアムズは町で偶然見かけて声をかけてきたマーガレットを高級店のランチに誘います。マーガレットは転職のための推薦状を彼に書いてもらい、同僚たちにつけたあだ名を披露します。怒らないと約束させてウィリアムズのあだ名が「ミスター・ゾンビ」だと教えてくれるんですね。まさに今の自分は生きているのに死んでいるようだと気付いた彼は、マーガレットの若さや輝きに惹かれていきます。

二人が会っているところを近所の噂好きの婦人に見られて噂となり、嫁のフィオナはマイケルに事の真相を義父に聞くようせっつくのですが、マイケルは切り出せません。この時の夕食の会話の噛み合わなさ具合が何とも微妙でちょっと笑えます。

ところで、この時代にもクレーンゲームが既にあったとは!!ってそこに反応するかってことですが、何気に目を引きました。
マーガレットがウサギのぬいぐるみ(しかもトコトコ動く)をGETするシーンが好き😀 

遅くまで引き止めるウィリアムズに、マーガレットは婉曲に注意しますが、逆に彼から余命わずかなことを打ち明けられます。家族にも話していないと言う彼に理由を聞くと「息子夫婦には彼らの生活があり迷惑をかけたくない、息子を愛している」と言いました。
ウィリアムズは子供の頃、「ジェントルマン」になりたかったのだと話します。それは背広と帽子を身に着けて毎日出勤するごく普通の大人という意味でした。いつのまにか惰性と平穏に埋没し「ゾンビ」になっていたことに気付かせてくれたマーガレットに感謝するウィリアムズに思わず涙するマーガレットです。

翌日。土砂降りの中出勤してきたウィリアムズは、棚ざらしにしていた「子供の遊び場」の陳情の処理にとりかかります。いきなりの彼の変化に部下たちは戸惑いながらもついていきます。

冬。場面は変わって葬儀シーンへ。
ウィリアムズは雪の日に亡くなったことが語られます。
葬儀の後、マイケルはマーガレットに「父は自分の命が長くないことを知っていたのか」と尋ねます。彼女は自分の口からは言えないと答えます。本当は父との関係を聞きたかったのかもしれないけど、これがマイケルの精一杯なんだろうな~~。そして息子夫婦は最後まで父から打ち明けられていなかったんだね。ウィリアムズは預金を半分下ろしましたが残りは息子たちに渡すつもりがあったのでしょうか。そんなことも気になりました。自分や亡き妻の遺産を当てにしていた嫁との関係はたぶん最後まで他人行儀だった気もします。

ウィリアムズの熱心な仕事が実り、子供の遊び場は無事完成しています。その功績を横取りするかのような上司の発言に、帰りの列車内で同僚たちはやはりウィリアムズの熱意がこの案件を動かしたのだと語り合い、自分たちも責任を持って仕事をしようと誓いあいます。
しかし半年が過ぎる頃、市民課の仕事ぶりは以前の状態に戻っていました。
思わず異を唱えようと立ち上がったピーターも周囲の雰囲気に押されて座ってしまいます。

夜。出来上がった遊び場に佇み、ピーターはウィリアムズからの手紙を思い返していました。そこには自分がしたことはほんの小さなことに過ぎないし、やがて忘れられていくだろう。しかしあの時の情熱を忘れそうになったら遊び場が完成した時の気持ちを思い出して欲しいと書かれていました。

通りかかった警官が不審に思いピーターに声をかけてきます。自分は市民課の者でこの遊び場作りに関わったと話すと、警官はウィリアムズの最後の姿を見ていたことを話します。雪の中、歌「ナナカマドの木」を口ずさむ彼があまりに幸せそうだったので声をかけなかったと悔いる警官に、ピーターは声をかけなくて良かったのだ、なぜなら彼は幸せだったのだからと話すのでした。

ピーターとマーガレットが交際を始めた感を出して物語は幕を閉じます。
旧態依然とする職場は一朝一夕では変わらないかもですが、若い人の中に変化の種は確実に蒔かれたのだと思わせるラストでした。

ウィリアムズが人生の終わりに選んだのは、誰かのために何かをすることでした。それは彼の自己満足かもしれないけれど、確実に関わった人たちに何かをもたらし記憶にとどめられると言う意味では素晴らしい選択だったと思います。


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