「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

結婚と離婚と仕事とSEX Ⅶ  ダスティンホフマンには…2

2005年08月28日 23時20分23秒 | 結婚観
 僕と彼女は一緒に仕事をすることが多くなりました。彼女は自習室の管理を一人で任されていました。ですから僕と話すか僕の上司と話す以外に余り人と話す機会はありませんでした。今から思うとかなりの閑職だったような気がします。

 僕は縁遠いと思っていた人が急に身近になったような不思議な感じをもっていました。
 
  会社の立場では一応上司でしたが、ただ2年目ということもあり、全然上司っぽく出来なかったのです。

 ただ仕事内容に関しては僕の方が分かっていましたし、気の使い所も押さえていましたから、そういった要領の部分は彼女に教えてあげました。
 
 後で聞いたことですが、、そういった上司(というか先輩)というのは初めてだったそうです。

 僕は人に怒られるのが嫌いです。そして他人が怒られるのを見るのも嫌いです。

 だからそうならないようにするのが良いことだと思ってました。

 その職場の上司は血気盛んな人達の集まりですから、僕を含めてよく怒られました。

 自分の人間性を否定するがごとく怒られることもしばしばでした。

 僕は大学の体育会出身者でしたから、理不尽がまかり通る世界を体験していましたが、それでもかなりきつかったと思います。

 だから忍耐強くなったというか、相手の感情の部分は横にのけておいて、伝えたい内容だけ受け取るというか、そこに含まれる真実の部分だけを受け取るように、自分の感情をコントロールする術を身につけてしまいました。

 これは後々かなり貴重な財産になったようで、僕はいつの間にか、太っ腹だとか器がでかいとかいう評価につながっていきました。

 ある時(今の職場)などでは、ある人(事務局長という身分)が感情的に興奮しているのを知らずに、話しかけてしまい、僕自身には全く関係ないのに、八つ当たり的に接せられたことがあります。
 そのときも、この人は僕に対するものと別の所で感情的なんだなと、気付き極めて普通にやりとりできました。

 その人がいなくなった直後に皆から拍手を受けたのを記憶しています。


 かなり自慢げな話ぶりですが、これが僕の最大の弱点になっても行くのです。

 

 
 もう忘れてしまったのですが、彼女のミスを上に知らせず、二人で処理したことがあります。

 そのとき彼女が何度もお礼を言った後、何かお礼をしなきゃと言いました。

 僕はお礼なんかいいから、今度一緒にご飯でも食べようと言いました。

 僕の彼女に対する感覚はどっちかというと同級生に近かったように思います。

 そしたら彼女はOKをくれました。