「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

大井川の花火大会

2005年08月02日 00時33分03秒 | 日記
 夏はやっぱり花火大会でしょ。
 というわけではないですが、各地で色んな花火大会が企画されています。

 かと言って、席取りに駐車場、渋滞覚悟、時間待ちと、花火一つ見るにも気合いと根性のいるご時世になってきました。

 ところが僕はその手の根性にはとんと疎い男でして、愛する一人娘のために頑張るお父さんの図、というのも似合わないのであります。

 それでも何年かに一度は見たいと思う花火大会がありまして、家族で出かけたりするのです。

 ひたすら花火を見たがる僕にたいして、花火なんぞはたまに見ればいいのであって、要は屋台だのテキ屋さんと、乱暴な会話を愉しみながら、綿飴を始め、アメだのたこ焼きだのといわゆる夜店のフルコースをしないと気がおさまらない母娘とのバトルは年々過激になる一方であります。(嘘)

 で、この大井川の花火大会は、今はもう島田市になってしまった旧金谷町と島田市が共同して開催する花火大会で、大井川の両岸を会場とするから規模は結構大きい。
 
 僕は車の乗り入れが困難な河川敷会場には行ったことがなく大井川の西に拡がる牧ノ原台地の台上から眺めるのが専らだ。
 河川敷会場には駐車スペースが800台ほどしかなく、大渋滞に巻き込まれたまま終了時間を迎えるのにたいして、台上には移転した中学校の跡地がそのまま残っており、30分前でも充分に入れる。

 他にも穴場が数カ所あるが、地元の人の会話にとけ込む勇気がいる。

 僕が好きなのはこの台上からの眺めで、両岸の会場からアンサンブルのごときタイミングで打ち上げられる花火は絶景といって良い。

 つまり大地の海抜は最高部で120Mほどあるはずであり、東京の隅田川やお台場で言えばヘリコプターからの映像が見られるわけである。

 当たり前のことだけど僕は花火が球状に拡がるものであることを、実感したのはこの花火を見てからだ。

 しかも、この花火達は僕たちの平衡目線で花開く。

 したから上がってきて目の前で花開く花火はそうそうみられるものではないと思う。

 しかし、中止しておきたいのは、この角度からの花火には迫力に欠けるという批判もある。
 花火の醍醐味は天を覆わんばかりの迫力と拡がりを味わってこそのものであり、上から見下ろされることを想定して作られていない。

 その点で、台上からの花火にいちゃもんをつけ、僕を本会場の雑多な人混みの中に引きずり込もうと画策している二人は来年は下で見ようねと約束するが、僕以上にずぼらな二人が開幕2時間以上も前に席取りに出かけられるはずがないと僕はふんでいる。
花火大会のアニメーション