「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

結婚と離婚と仕事とSEX Ⅵ

2005年08月23日 23時15分06秒 | 結婚観
 断っておきますが、Cちゃんのお話は彼女の一方的な言い分のみで構成されていますので、事実と異なることがあっても事実の確認は取れませんし、「おかしいよ!それ!」とか言われても訂正のしようがありませんのです。

 プロポーズというものは色々と段階を経て、確認、および承認、および経験を伴う既成事実を作り上げつつ、一人気分的な盛り上がりをもって行われるものである。

 こういうもの一生に何度もあるわけではないので、失敗しても構わないというノリで行うものでないことは、良識のある人なら分かって頂けるかと思う。

 ということは、勝算50%で踏み切れるものではなく、少なくとも80%にはもっていきたいものである。

 で、それなりの既成事実がそれを支える根拠となりうるわけで、手を繋いだり、キスしたりする過程や、お互いの生活感覚(価値観)や結婚観のすりあわせが行われたりする中で、得るものである。

 それと何よりも自分は愛されているという自覚を持てるか持てないかを確信できないうちは踏み出せないものと考えられる。

 だけど世の中には相手の社会常識程度の好意、もしくは親近感を勝手に自分への愛情と勘違いし、一気にプロポーズに持ち込むケースもあるようである。


 Cちゃんへのプロポーズも唐突だったらしい。「へっ?」と本気で声に出して言ったらしいのである。

 職場の同僚として。同世代としての親近感しか持たない人だったらしいが、突然「今年中に結婚して欲しい。」って言われたらしい。

 無論、手も繋いでいないし、キスもしてない。仲間と一緒に飲みに行ったことが数回あったそうだが、二人きりになったことはないと証言している。

 だいたいプライベートな話はほとんどしたことがないらしかった。

 ただCちゃんは明るくて元気で男に対す感覚は僕たちの下宿で飲み明かしたり、僕たちは夏場はパンツ一丁で寝てたし、後に彼女の旦那になるSはパンツからはみ出させたまま寝てたこともある、状況のなかで平気なだったこともあり、男扱いについてはかなり慣れていた。

 というより距離感の取り方が、普通の女性と違って近すぎたのかもしれないと疑っている。

 で、その世間慣れしていない(Cちゃんの証言)彼は、Cちゃんの距離感を、自分のテリトリー内にいると勘違いしたらいく、世間一般の過程を経ないまま、プロポーズという暴挙に出たらしい。

 で、結果としては断ったらしい。

 ちょっと悩んだそうだ。

 僕にしてみれば「え~!何でそこで悩むんだよ!」と言いたいところだが、彼の家がかなりの資産家だったことがあるらしい。(現実的だね~)

 

 結婚は大きく言えば2種類に分類される。

 恋愛結婚とお見合いで結婚することである。

 結果には結婚なんだからどっちも同じようだが、離婚率からすると恋愛結婚の方が圧倒的に多い。

 数も多いから、そうなるのは当たり前なんだけどね。

 よく恋愛結婚は減点法、お見合い結婚は加点法という言い方がある。

 ある意味で当たっていて、ある意味で外れているのではないかと思うのだが
それはまた次のお話。

 ちなみにその彼は一年も経たないうちにCちゃんより若い女性と結婚したそうである。

 ちなみに結婚とほぼ同時期に彼等の住む大きな新居が、両親の大きな援助をもとにして竣工したそうである。

 結婚は新居のために必要だったのだとCちゃんは主張し、やっぱり行かなくて良かったと、胸をなで下ろしたそうである。

 で、その後も彼とは良い友人関係を保ち本人の結婚式にも参列し、涙ながらに「良かったね、ホントに良かったね。」を連発したそうである。

 よく分からない話になりましたが、今日はここまで。