東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつらねてみるブログ

2016-08-17 23:38:50 | 日記
 「今の小学生が成人し仕事をする頃には、3割~4割の人間が今はない仕事に就いている」という記事を見ました。

 う~ん、にわかには信じがたい気はしますが、でも説得力も感じます。たとえば自動車の自動運転が実用化されれば、運転士(鉄道・バス・タクシーなど)の仕事はなくなりますし、工場の製造ラインの完全機械化が実用化されれば、ライン工は死語になっていまいます。
 最近は「セルフレジ」もスーパーへの導入が進んでいますし、大手の家具屋さんでは、備え付けのタッチパネルで在庫状況や、入荷待ちの期日まで自分で見ることができます。

 機械化は、効率化・コストダウンを進めますが、同時に人から仕事を奪っていきます。単純作業は機械が代わりにしてしまうのです。10年と言うくくりで物事を考えたとき、今ある仕事そのものがなくなっている場合があるということも容易に想像できます。

 私は、人間死ぬ時までの苦労はそんなに人によって変わらないと考えています。だから学生時代に苦労をたくさんしておけば、大人になってから苦労は少なくてすむと思うんです。

 ただし、苦労の質は苦労をする時期で変わると思うのです。大人になってからの苦労は、自分の力ではどうにもならない、抗うことのできない事態に直面する場合もあるでしょう。もしかしたら、その後の生活をも左右するかもしれません。

 でも、学生時代の苦労は正直そこまでではありません。遊びたい・なまけたい・楽をしたい気持ちに打ち勝って、目の前の課題を着実にこなしていく。それが苦労の大半だと思います。

 運動は素質が大きくものを言いますが、学力はスポーツほどの素質は求められません。もちろん、生まれながらの能力に差があることは否定しません。それでも学力は、スポーツよりは努力が結果に正直に結びつきます。これは指導者生活20年以上の経験から、間違いのない事実です。

 学生のうちに、しっかりと自分の能力を磨きあげることができ、何か誇ることのできる技術が身に付けば、未来の社会に恐れる必要はないのではないでしょうか?

 私は、いつの時代でも通用するはずの中身を指導し続けているつもりです。それでも、時代の変化に応じてパソコンを使用した指導も始めました。これからは少しずつその比重も増えていくでしょう。

 時代の動き・流れをしっかりと見極めながら、それでも人に求められる根本の部分を大切にしていきたいと考えています。

 カンジノホンガアトイッサツデオワルノ。サンキュウノシドウショモデキタノ。マダマダガンバルヨ。マッテテネミンナ!
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