東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

中学生の試験前にいつも思うこと

2019-11-21 15:17:27 | 学習・塾に関する中身
 「先生が何を言っているのか分からない」。試験前にちょっと掘り下げた授業を行うと必ず生徒から出てくる言葉です。

 社会なら歴史でも地図帳は必須だよと話すと「授業で使ったこと無いで」と返ってきます。出てくる国や地域の位置関係や地形を無視して歴史を理解することは難しいはずです。

 国語なら題材に沿った直接的ではないお話(戦争の題材なら疎開のお話とか、惑星のお話なら宇宙の仕組みとか)をすると「へー。そんなこと授業でせーへん。中身と言葉やって終わりやもん」と返ってきます。予備知識や周辺知識が理解を深めるはずなのに。

 数学なら定義と定理をきちんと区別します。特に中2の証明の単元では「まずは形を真似ればいいよ。最終的にはあなたの証明を他人が読んで同じ結論に間違いなくたどり着ければ正解」と、表現の異なる証明例を同じ問題について示すと「そんなん言われたことない。こう書かないと×にするって言われた」と返ってきます。論理的思考を養うための数学で表現をがんじがらめにすると意味をなさなくなるはずなのに。

 英語なら文法用語を用いて説明しますし、直訳と意訳を対比させてみたり、辞書を調べてもらったりします。「授業中に辞書なんか使ったこと無い」と返ってきます。言語の学習で辞書を使わないとはこれいかに。これこそが言語学習の基本のはずなのに。

 理科は私の専門ですから、思わずしゃべりすぎることを自制するほうが大変です。それでも脱線したほうが生徒の目が輝きますので多少の脱線はします。目的は「興味を持って考えて欲しい」。これにつきます。そのほうが生徒も真剣に考えるはずなのに。

 授業を行うときに意識することは「この授業を通して身について欲しいことは何か」なんですね。宿題もそこを考えています。自分で深く学びたくなったり、宿題をすることで理解不足が炙り出されたときに、その宿題が足かせになって学びができなくなれば本末転倒なので、宿題は出来るだけ少なくしています。そして自主学習ができるように参考書や書籍や問題集はある程度のものを自由に使用できる環境を整えました。

 生徒が「先生が何を言っているのか分からない」と言うということは、少なからず授業に何かしらの問題があるのではないでしょうか?いやあると断言してもいいとすら思います。

 私は授業とは「生徒との対話」だと思っています。一方的に知識や解法をただただ教授するのではなく、指導者が学んで欲しいことを学ぶ側にいかにして伝えるのか? 対話であるという視点を持っていれば独善的な授業にはならないと思うのです。そして授業を通して何を伝えたいのかを常に持ち続けることもまた大切だと思います。そして人はそれを矜持と言うのだと思うのです。その矜持をしっかりと持っていれば「どうすれば伝わるか?」と考え続けることになるので「先生が何を言ってるのか分からない」という事態にならないのではないでしょうか?

 生徒から「先生が何を言ってるのか分からない」という類のことを言われるたびにそんなことを考えます。
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