雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

一神教

2024-05-21 00:00:19 | セツナイ
開経偈(かいきょうげ)」という過去記事に
青鈴猫さんからこんなコメントを頂いていました。



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祖父が毎朝お経を上げていたので、
聴いていた言葉が入ってますね。
元になるのが有るのに何故わざわざ宗派を創ったのだろう?
と常々思っていましたが、
色んな星から集まって来ていると考えると・・・。
猫一緒についてきてーーと云ったのは何方でしょうか、
画像の微笑んでらっしゃるイケメン神様?
ピノのチョコミント・・・
おやすみにゃさぁぁい(失礼致しました。)
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ピノのチョコミント!(((*゜υ゜)ノ
......という部分は、この
なんとなく
という記事を丁寧に読んでくれていたからでわないのか?
なんて思っておりますが。勝手に。
ええ。ええ。
今年も期間限定発売をしていたので、当然、
美味しく食べまくっておりまする♪(^^)
......と、今回の記事は、
このコメントへの僕さんの返答を
以下に転載しておこうかと思いまして。
ええ。ええ。



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「元になるのが有るのに何故わざわざ宗派を創ったのだろう?」

そうですよねーー。とてもよくわかります。
わかりやすいところで例をあげると、
一神教であるユダヤ教とキリスト教とイスラム教は
元は一つの神ですよね。
それが別れている。
別れているのにそれぞれ一神教としている。
しかも、互いに争いや戦争ばかりしている。

このことからハッキリとわかることは、
「宗教的な神とは人が生み出したもの」
といえるかと思えます。

この三つの宗派の聖典を読み解いていくと、
神は一つであり、厳然としたものとされているのに関わらず、
とても人間的に描かれ、
捉えられてもいるという不可思議さがあるということです。
そのことは、つまり、
神とは人間の都合により生まれ、
人間の都合の多様さに合わせて別れ、分岐し、
生まれているようにも思えますよね。

分け隔てをする民族主義的なユダヤの神を原点としたキリスト教は、
分け隔てをしない普遍的神へと変貌しています。
これは、時代と人の都合により変遷させてきた、してきた、、、
ということであるかと思います。

この辺のことは加藤隆さんの
「一神教の誕生」という本に詳しいのですが、
もし興味が湧くようであれば
一読の価値がある良書かと思いますよー(^^)
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どーも、地球という星の人間さんは、
ある時から宇宙の法?神?から離脱し、
自分達にとって都合の良い神をつくりあげて来たようなのです。
それは、実のところ神ではなく

「霊」

というものであるようで。
そして、そんなことをしてしまったことが
「罪」というようなものかもしれず。
大元の罪でもあるので

「原罪」
「カルマ」

なんて言葉も当てはまるのかもしれません。
神社仏閣や神殿など、
人が造った聖地的なトコロに入る神様は、実は、
そんな「霊」であることも多いのです。

人や土地、地域と関係の深い「獣霊」も多い。
身近で典型的なトコロではお稲荷さんなどは
あきらかに「獣霊」でしょうし。
冷静に眺めてみれば、
人はそんな獣をも祀り、神ともしている。

どうしてそんなことになっているのか?

自分に都合よく、
我欲をサポートしてくれる存在こそ神としたいからです。
獣霊に関しては、
その特徴が役に立っていたり。
癒しになっていたり。
可愛がってもいるペットを祀り上げているような感じ?
とでも言いましょうか。

本当の神的な存在は人の成長にとって最善と思える道を与えたり、
生命にとって大切な大自然の仕組みの保持や星々の運行、
宇宙の拡大や保持のために動いているような存在ですから、
いち人間の諸々に直接的な力添えなんてしてくれません。

つめたいっす......(T 。T)ぶぇ。

ただ、
そうであるから「本当の神」とも言えますし。

でも、
そんな本当の神のスタンスは厳しい現実を懸命に生きている人間や
自分にとってのメリットなんて何も無いですし。
僕らは弱いですし。
ならば、と。
この星の人間という生き物は自らの中から「霊」を生み出し。
影響力のある見えない世界、次元に解き放ち、
それらの存在を使役することにしました。
「運」なるモノを違法的に勝手に動かしてしまうわけです。
不公平さと理不尽さも生じてくるわけです。
そして、そんな霊達にとって人間は生みの親であって、
子は親の為に一生懸命働いてくれます。

神、、、としているものを、、、使役しているという状態。
世界。
星。
神と霊と神霊。
獣霊と獣神。

そんな霊や獣霊たちは親や主人である個々人様の
願望を叶えることで人から敬意を払われ、
尊厳までも与えられる。
なのでさらに懸命に人の願望を叶えようとしてくれる。
そんな動きをしてくれるモノこそがこの星では神ですから、と。
そんな存在こそが人にとっての神なのだ、と。
そんな霊や獣霊こそが神なのだ、と。

更に、当然、
神となった霊や獣霊の中からは自我を持つものも出てきます。
そんな霊や獣霊は子でありながら、
親である人間に復讐をするかのように逆使役をし出したりもします。
操ります。
親と子の戦いが始まります。
ペットと主人との闘いが始まります。
醜い醜い、近しいモノ同士の戦い。



僕らはそんな世界を、時代を、
長ーーーーーーーーーーーーーーーく、
生きてきているようなのです。



その神は本当の神なのか。
僕ら自らが創り出し、
君臨もさせている神なのか。
霊なのか。
獣霊なのか、獣神なのか。
聖獣なのか、精霊なのか、聖霊なのか。



空海さん曰く......



「三界の狂人は狂せることを知らず。
四生の盲者は盲なることを識らず(しらず)。
生まれ生まれ生まれ生まれて、生のはじめに暗く。
死に死に死に死んで、死の終わりに冥し(くらし)」



以前も2度ほど記していた句ですけど......
僕さんごときに世の正誤などわかりませぬが、
戦争ばかりの世界を見ていると、
ただひたすらにこの胸は痛むのです。



コメントの返答文の中にある加藤隆さんの著作。
僕にとっては学びの多かった本の1つです。(^^)


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コメント (19)
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