雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

連鎖

2023-11-11 00:39:51 | 願い
親に虐待をされて育った子供が、
自身も大人になり、親となって、
気がつくと同じことを自分の子供にしてしまう......



時折聞く話です。



記憶もうっすらとしている幼少期においては、
世界とは両親のことでもあり、
家庭が現実の全てであるのだとも思います。

そんな幼い子供の意識においては、
親から受けたり、されたりしていることは、
そのまま自分の生きる現実世界のルールともなって。
当然、未熟な心身である故に
当人にはその正誤の区別などはつけられず。
全ては、
その頃に一番欲っしているであろう「親の愛」であると捉え、
理解してしまったりもしているのではないでしょうか。

そんなふうにして、
幼少期に親から受けるコトゴトは無意識下に刻まれていき、
育っていったりしているようにも思います。

そんな無意識領域に刻まれたモノモノは、
当人は親の愛や愛情とも認識していたものであるので、
大人になった後も社会的正誤や常識とは別に、
親からうけたことを、
されてきたことを、
好きな人や関係の深い人にやってしまう。
ぶつけてしまう。
無意識でやってしまう。
表現してしまう。

かく記す僕にしても、
親の影響で無意識下に刻まれてしまったモノモノには
自分の中にある大きな問題点として強く意識させられたり、
深く捉え、
考え直さなければいけないような出来事を沢山経験して来ました。
それらは自分にとって対応したり処理したりするのが
とても難しい問題の一つでしたし、
年を重ねれば重ねるほど思い悩んだりする問題であったりもしています。



世には、
こんなことごとが透けて見えることが沢山存在しているように思います。
こんな親子間の出来事や説明で理解できることに
ぶつかることがあったりします。



思うに「自立」とは、
ある部分、
この無意識層に刻まれた親の愛情表現と捉えているモノからの離脱や
意識解放を意味するようにも思います。

親にされたことを、
親と離れたところに存在する1人の社会的人間として冷静に捉え直し。
考え直し。理解し。
判断もして。再定義もして。
自分の無意識層を自己の意思力でもって刷新していく。

そんなことを、
出来る、出来ないにかかわらず懸命にやること。
やり続けること。
それが自立という言葉に含まれる一つの要素なのではないかと、
時々、そんなことを思うことがあります。



親にひどく暴力をされた人は、
暴力「も」愛情表現の一つだと思っている。

親に罵声を浴びせられながら育った人は、
罵声「も」愛情表現の一つだと思っている。

声を荒げる親に育てられた人は、
声を荒げること「も」愛情の一つだと思っている。

親に過干渉された人は、
過干渉「も」愛だと思っている。

親にほっておかれて育った人は、
ほっておかれるの「も」愛だと思っている。

親に......

親に......



それは、
色々なことや形があるのだと思います。
自分にはどんな刷り込まれた無意識があるのだろうか。
僕の無意識領域にはどんな愛情定義があるのだろうか。
僕らの無意識領域にはどんな愛情表現が潜んでいるのだろうか。



親にされたことを、
それとは知らずに自分もやってしまう。



親の責任というのはとても重大なのだな、と。
改めてそう思います。
親からの自立というのは本当に大変なことなのだな、と。
時々、そうも思います。



両親の自殺幇助罪で裁判中の歌舞伎役者さんにとっての自立とは、
本当は、
正しくは、
どんなことであったのでしょうか。

ヨーロッパを親としてしまったアメリカという国。
そんなアメリカに子供の様に扱われている現在の日本国。
そんな国に住む僕らの無意識層に
今も着々と刻まれ続けているモノとはどんなことでしょうか。

ウクライナは自国の子供のようなものだと思っているロシア国。
ロシアという元親から自立せんと戦っているウクライナ国。
そんなウクライナの人々が受けてきた、
受けている親からの扱いとはどんなことなのでしょうか。
彼らの無意識層に今も着々と刻まれていることとは、
どんなことのなのでしょうか。

ユダヤの神を親とするイスラエル国。
アラーの神を親とするパレスチナの武装組織達。
そんな人々にとっての自立とはなんなのでしょうか。

パレスチナの人々は親からどんな扱いを受けて来たのでしょうか。
聖書などに時に親とも記される、
捉えられている「神」なる存在から人々が受けて来た
愛情表現とはどんなことだったのでしょうか。



それらは、
果たして、
親の愛や愛情、
神の愛や愛情などと言って良いものなのでしょうか。



これまで僕らは、
神にどんな扱いをされてきたのでしょうか。
なにを受けて来たのでしょうか。



こんなことを考えていくと、
神とは?
親とは?
なんなのか?

それらの存在は、
本当にいるとして、
果たして、
完璧なるものなのでしょうか?
完全なるものなのでしょうか?



それら存在というのは、
僕らにとっては自立する対象の一つではないのか。



最近の様々なニュースに接していると、
時折、そんなふうに心が掻き乱されます。



そんな時わ美味しいものでも食べちゃうぅぅ!
に限りますのな。
ええ。ええ。
横浜中華街「京華楼」本館の美味しさ極まる四川麻婆豆腐さん。
中華街でもとっておきの一品♪なんす。(^^)





チャーハンにかけて食べちゃったりしてね。
ええ。ええ。
ココロ掻き乱されまちゅな。( ̄▼ ̄*)ニヤリッ


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コメント (4)
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