非常事態宣言の前日。
神様から突然のお呼び!?がかかりまして。
何故か?東京、渋谷区の「代々木上原」というところに一人、
向かうことになりました。
とにかく、わけもわからず、
行くだけ行ってみたのですが、
ついてみると、
「ハハァ、、、ココかぁ、、、、」
と思う場所がありまして。
それが、
この「東京ジャーミイ(Tokyo Camii)」という建物。
トルコ大使館が所有する日本最大のイスラム教寺院だそうです。
いわゆるモスクってやつです。
導かれるまま、
ドーム型の大きな礼拝堂の中に上がり込んでみると、
コロナショックの時節柄か、中には誰もいなく。
そこで、しばし、僕は礼拝をしました。
当然のことかもしれませんが、
このモスクにはココに導いてくれた日本の神様とは違う
外国の神様がおられる様で。
個人的には、
これまで体感したことのないエナジーが降り下りてきます。
しかも、とても強い。
ストロングなハードさ(@_@)
今、こうして記事を書いているだけでもカナリのノックダウン感。
そんなパワーの強さに、
この時の僕さんは少々息苦しい状態ともなり。
喉も閉まり。
ミゾオチの奥の方も締まり上がる感じで。
ちょっと吐き気ももようしてしまうくらいの強力さ。
頭も右サイドを中心にみるみる腫れ上がってきます。
「ムムムむ、、、、、( ̄▽ ̄;)
な、なかなか、味わったことのないチカラだなぁ、、、
アメリカやギリシャの神々とも違うしなぁ......
どなた?だべ、か、、」
と、そんな感じでの拝礼を終え。
結構キツい、
その体のまま、
せっかくなので!
おいちいカレーを食べるべく!
僕はすぐ近くにある下北沢という街によってから
家に帰ることにしちゃいまちた。ええ。ええ。
外出わ自粛ちうでちゅから。ええ。
そして、カレー屋さんに入ると少し体も楽になり。
僕はもう一度、冷静に、
モスクで降り下っていた神様の言葉を確認することにしました。
その言葉は、どうも、このブログの過去記事のことのようで。
この、
【「青き炎」海賊編】
【「青き炎」海賊編 2】
という二つの記事に関することのようでした。
これを、今、もう一度読め、と。
「お前が書いたのだろ。
もう一度読みなさい。
心持ちのことだ。
ブログを見てくれる皆にも、もう一度、
伝えられるなら、伝えてみなさい......」
と。そんなお言葉。イメージ。
僕さんとしては初めて味わう感覚のエナジーだったので、
そう言ってくれている神様のイメージがもう一つ湧かず。
掴めず。
勿論、外国の神様であることは間違い無いとは思うのですが、
それをより正確に知るために、
僕は、こんなカレー屋での話は一切せず、
突然、プリリンねーさんにシンプルなラインを送ることにしました。
「なにか、イスラムの神様から言葉が降りてるんだ。
正確に取れたら、お願いします」
すると、直ぐに、
「ハモラビと言ってる」
との返事が。
「ハモラビ、、
ハムラビ法典の?かなぁ、、」
「みたいだよ。
調べるとハンムラビになってるね」
......さて。
ハモラビさんに言われた通り、
久々に自分の過去記事を読み返してみると、
「サスガ!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ ねーさん!」
と、驚いてしまうことに。
確かに、その過去記事は、数多あるこのブログ記事の中で唯一!
ハムラビ法典(ハンムラビ法典)のことが出てくる!
イランのことを書いた!
ものでした。
そして、
この時の神様からの言葉の全てを記せるわけではないのですが、
今の時点でココに置いておけるようなこととしては、
上記もした、過去記事の終わりに書かれていた部分であって。
ハムラビさんと、そこに導いてくれた神様......スサノオさん......が、
今、多くの人に語りたかったお話のようなのです。
僕さん如きが、まったくもって恐縮至極ではあるのですが、
今回は、過去記事からその部分だけを転載しておこうかと思います。
この部分にある言葉を残した方は、
過去記事にもあるように、
あの、出光興産の創始者である出光佐三(いでみつさぞう)さん。
敗戦直後の混乱期に、
この国の復興のために、なんとか石油の輸入を、と。
一個人、企業でありながら、
イギリス軍と石油コングロマリットを敵に回しながらも、
全身全霊をかけて頑張ってくれた方の言葉となります。
改めて、
今、
読み返してみて、
僕さん、
ホロリ(;_;)......
と。
過去記事の一部ではありますが、
ひとつ、よしなに。
=================================
出光佐三さん亡き後の出光興産は、
何かと問題含みの会社になっているようですが。
北九州、宗像の地で旗をあげていた頃のスピリット......
「青き炎」の様なスピリットを、
今再び必要とされているような時期なのかもしれません。
終戦の二日後。
出光佐三さんは、
全てに対し不安に慄いて(おののいて)いる大勢の社員に向かって、
こんな話をしたそうです。
「愚痴をやめよ。
世界無比の三千年の歴史を見直せ。
そして今から建設にかかれ」
そして、その言葉に続き、
当時多くの企業が人員整理を推し進めている中で、
約1千名もの従業員の首を
「一人も切らない!」
ということも宣言したそうです。
日章丸事件の裁判に臨んだ際には、
佐三さんは法廷で裁判長にこんなことも言ったそうです。
「この問題は国際紛争を起こしておりますが、
私としては、日本国民の一人として、
俯仰天地(ふぎょうてんち)に愧じない(はじない)
行動をもって終始することを、裁判長にお誓いいたします」
そんな出光さんが亡くなられた時、
時の天皇、昭和天皇はこんな歌を詠み残したそうです......
——————出光佐三逝く 三月七日
国のため ひとよつらぬき 尽くしたる
きみまた去りぬ さびしと思ふ———————
愚痴をやめよ。
世界無比の八千年の歴史を見直せ。
そして今から建設にかかれ。
=================================
神様から突然のお呼び!?がかかりまして。
何故か?東京、渋谷区の「代々木上原」というところに一人、
向かうことになりました。
とにかく、わけもわからず、
行くだけ行ってみたのですが、
ついてみると、
「ハハァ、、、ココかぁ、、、、」
と思う場所がありまして。
それが、
この「東京ジャーミイ(Tokyo Camii)」という建物。
トルコ大使館が所有する日本最大のイスラム教寺院だそうです。
いわゆるモスクってやつです。
導かれるまま、
ドーム型の大きな礼拝堂の中に上がり込んでみると、
コロナショックの時節柄か、中には誰もいなく。
そこで、しばし、僕は礼拝をしました。
当然のことかもしれませんが、
このモスクにはココに導いてくれた日本の神様とは違う
外国の神様がおられる様で。
個人的には、
これまで体感したことのないエナジーが降り下りてきます。
しかも、とても強い。
ストロングなハードさ(@_@)
今、こうして記事を書いているだけでもカナリのノックダウン感。
そんなパワーの強さに、
この時の僕さんは少々息苦しい状態ともなり。
喉も閉まり。
ミゾオチの奥の方も締まり上がる感じで。
ちょっと吐き気ももようしてしまうくらいの強力さ。
頭も右サイドを中心にみるみる腫れ上がってきます。
「ムムムむ、、、、、( ̄▽ ̄;)
な、なかなか、味わったことのないチカラだなぁ、、、
アメリカやギリシャの神々とも違うしなぁ......
どなた?だべ、か、、」
と、そんな感じでの拝礼を終え。
結構キツい、
その体のまま、
せっかくなので!
おいちいカレーを食べるべく!
僕はすぐ近くにある下北沢という街によってから
家に帰ることにしちゃいまちた。ええ。ええ。
外出わ自粛ちうでちゅから。ええ。
そして、カレー屋さんに入ると少し体も楽になり。
僕はもう一度、冷静に、
モスクで降り下っていた神様の言葉を確認することにしました。
その言葉は、どうも、このブログの過去記事のことのようで。
この、
【「青き炎」海賊編】
【「青き炎」海賊編 2】
という二つの記事に関することのようでした。
これを、今、もう一度読め、と。
「お前が書いたのだろ。
もう一度読みなさい。
心持ちのことだ。
ブログを見てくれる皆にも、もう一度、
伝えられるなら、伝えてみなさい......」
と。そんなお言葉。イメージ。
僕さんとしては初めて味わう感覚のエナジーだったので、
そう言ってくれている神様のイメージがもう一つ湧かず。
掴めず。
勿論、外国の神様であることは間違い無いとは思うのですが、
それをより正確に知るために、
僕は、こんなカレー屋での話は一切せず、
突然、プリリンねーさんにシンプルなラインを送ることにしました。
「なにか、イスラムの神様から言葉が降りてるんだ。
正確に取れたら、お願いします」
すると、直ぐに、
「ハモラビと言ってる」
との返事が。
「ハモラビ、、
ハムラビ法典の?かなぁ、、」
「みたいだよ。
調べるとハンムラビになってるね」
......さて。
ハモラビさんに言われた通り、
久々に自分の過去記事を読み返してみると、
「サスガ!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ ねーさん!」
と、驚いてしまうことに。
確かに、その過去記事は、数多あるこのブログ記事の中で唯一!
ハムラビ法典(ハンムラビ法典)のことが出てくる!
イランのことを書いた!
ものでした。
そして、
この時の神様からの言葉の全てを記せるわけではないのですが、
今の時点でココに置いておけるようなこととしては、
上記もした、過去記事の終わりに書かれていた部分であって。
ハムラビさんと、そこに導いてくれた神様......スサノオさん......が、
今、多くの人に語りたかったお話のようなのです。
僕さん如きが、まったくもって恐縮至極ではあるのですが、
今回は、過去記事からその部分だけを転載しておこうかと思います。
この部分にある言葉を残した方は、
過去記事にもあるように、
あの、出光興産の創始者である出光佐三(いでみつさぞう)さん。
敗戦直後の混乱期に、
この国の復興のために、なんとか石油の輸入を、と。
一個人、企業でありながら、
イギリス軍と石油コングロマリットを敵に回しながらも、
全身全霊をかけて頑張ってくれた方の言葉となります。
改めて、
今、
読み返してみて、
僕さん、
ホロリ(;_;)......
と。
過去記事の一部ではありますが、
ひとつ、よしなに。
=================================
出光佐三さん亡き後の出光興産は、
何かと問題含みの会社になっているようですが。
北九州、宗像の地で旗をあげていた頃のスピリット......
「青き炎」の様なスピリットを、
今再び必要とされているような時期なのかもしれません。
終戦の二日後。
出光佐三さんは、
全てに対し不安に慄いて(おののいて)いる大勢の社員に向かって、
こんな話をしたそうです。
「愚痴をやめよ。
世界無比の三千年の歴史を見直せ。
そして今から建設にかかれ」
そして、その言葉に続き、
当時多くの企業が人員整理を推し進めている中で、
約1千名もの従業員の首を
「一人も切らない!」
ということも宣言したそうです。
日章丸事件の裁判に臨んだ際には、
佐三さんは法廷で裁判長にこんなことも言ったそうです。
「この問題は国際紛争を起こしておりますが、
私としては、日本国民の一人として、
俯仰天地(ふぎょうてんち)に愧じない(はじない)
行動をもって終始することを、裁判長にお誓いいたします」
そんな出光さんが亡くなられた時、
時の天皇、昭和天皇はこんな歌を詠み残したそうです......
——————出光佐三逝く 三月七日
国のため ひとよつらぬき 尽くしたる
きみまた去りぬ さびしと思ふ———————
愚痴をやめよ。
世界無比の八千年の歴史を見直せ。
そして今から建設にかかれ。
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