高齢者と接する時、
息子を理解しようとする日々の姿勢が大いに役立つ。
80年、90年で培ってこられた習慣、考え方は
若輩者には太刀打ちできない芯がある。
赤ちゃん人形を可愛がって居られるからと言って、
知性まで赤ちゃんがえりされている訳ではない。
揺るがない信念をガンコと片付けられないだろう。
アスペな息子には
食べられない料理や曲げられない習慣パターンが多くある。
どうして?
なぜ?
理屈ではないのだ。
ダメなものはダメ。
受け付けられないのだから、
そうなのかと受け入れてやる事しかない。
高齢者と接する仕事はこの辺りがキーワードになる事が多い。
長年培ってきたモノは
誰にも犯すことができないカッコたるモノに形成されている。
どう考えても不健康な生活習慣であっても、
80歳、90歳までお元気であると言う事実は
『不健康な習慣』
ではなくて
『その方にあった健康な習慣』
なのだろう。
奇妙奇天烈摩訶不思議。
そう思うのは、
私自身のこだわりだったり、色眼鏡だったり。
ガンコジジイorガンコババァ
そう思うのは、
私自身のガンコさだったり、融通の効かなさだったり。
過去記事の大人の発達障害者への正しい診断はどこで?に
(読み返すと恥じ入りたくなる)
なにわみちの発達途上日記のみっちゃんからコメントを頂いた。
以下コピペ
大人の発達障害をないがしろにしたら、老後問題がえぐくなりそうな予感がします。
不具合を認知症の支援にされてしまったり、感覚過敏で支援すべきことを拒絶してしまい、しかるべき支援が受けられなくなって自業自得よばわりで言われて終わってしまうことになりかねません
この心配はよく分かる。
私没後、福祉サービスのお世話に息子がなるだろう時に
一番の心配は、彼の特性を理解して援助してもらえるだろうか?
常々頭を過る。
多くの個性は老年となって、くっきりはっきりとしてくる。
自分の思いでないサービスを受けた時に
長年の知恵が我慢の形をとるか?
また、攻撃の形をとるか?
面倒なので、人の世話にはならないと決めている人もある。
それでも、世話にならないといけない衰えの時はくる。
前にも同じことを書いた気もするが、
若年性認知症とまではいかなくても
老年性健忘症は進行中なので許して欲しい。
発達障害の生き辛さは、個性を越えているところにあるが、
どの個性も高齢になるにつれて、強固になり
発達障害との境目がぼやけて見えるような形になるような?
自分が自分らしくある要介護状態を迎えるためには
今、
発達障害者をしっかり
ひとりひとりが受け入れていくこと
そこから、
世の在り様、価値観が少しづつ変ってゆく
きっかけが掴めてゆくように感じる。
高齢者が生きてきた過程に発達障害の診断はない。
高齢者と接する仕事をしながら、
個性なのか?性格なのか?
あるいは
この方は発達障害なのかな?
と感じる時もしばしばある。
支援をするには、
まず、その方をしっかりと知ることからはじまる。
息子と日々、すれ違う。
自分自身の頑なな
あれれ?
を捨てないと息子は見えてこない。
すれ違いから怒りを誘発する時、理解してやれない母が悪い。
私もまた発展途上。
お互いに許しあって、歩み寄って~♪
私はアスペな息子のおかげで気付かされる事が多くて、
しあわせもの
さぁ~仕事に行こう~
新米ケアマネの新米を早く取らねば