近頃、非常に多用され、気になってしかたがない言葉がある。
「与える」という言い方である。
いわく、「たくさんの人に夢を与えたい」「感動を与えたい」「被災地の方々に勇気を与えたい」……新聞、TV、ラジオ、ネットや日常会話まで、あたりまえのように頻出する。
もう老若男女を問わず、かなり幅広く使われていて、違和感を覚えるほうが少数派かも。
ワシの感覚では、「与える」などというのは途方もなく傲慢・不遜の表現と感じるのである。どうもバブル景気に向かう頃からこの言い回しに接することが多くなったような気がする。
「ら抜き」(食べれる、見れる……)が大手を振って横行してもなお違和感をぬぐえないのと同様、「与えたい」への違和感もまたずっと消えることはないだろうオヤジである。
朝、いつもより速めのジョグ1時間(約11km)。ラスト1kmは4分半、心拍171。けっこうキツイ。
台風5号の影響か、強い雨が降ったかと思えば一転陽光が射したり、一日中不安定な天候であった。
★セラティ・きょうの言葉 (66)
[オーストラリアの伝説的名コーチ、パーシー・セラティ(1895~1975) 著『陸上競技 チャンピオンへの道』(ベースボール・マガジン社1963年刊)より
前進運動自体は、一連の前へ進む波の動きやサイクル型の激しい動きの中に生まれてくるものである。
自然のありとあらゆるものが、鼓動・リズム・波型運動・盛り上がった動きと休息期、といったものに従って動いている。
選手は優秀な記録を出して自分の目的を達成しようとするのであれば、鼓動やリズムを体得し、自分の経験の中でそれを感じとるように努めなければならない。
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