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昭和のプロレス:幻のUSA王座

2024-08-23 06:29:59 | 日記
金網の経験が豊富

 「国際プロレス来日外国人全リスト」には1967年1月5日開幕の
パイオニアシリーズに登場したジョニー・バレンタインから、1981年
8月9日に幕を閉じたビッグサマーシリーズで主役を張ったジ・エンフォーサー
まで招聘した全レスラーが載っています。
 懐かしさを覚えながらリストを辿ると見慣れぬ名に目が止まりました。
1972年新春パイオニアシリーズに参戦したケニー・ジャイです。
 「ミック博士の昭和プロレス研究室」によると<アメリカでの金網デス
マッチの経験が豊富な典型的な3流レスラー>
 このレスラー、意外なことに国プロのタイトル史に地味に名前を残していました。

 新春シリーズからTBSのテレビ中継はそれまでの1時間番組から30分
に短縮されました。
国プロとしては何としても観客動員、視聴率を挽回し従来の待遇に戻りたいところ。
 1月5日の開幕戦のテレビ中継のメインは杉山・寺西対イヤウケア・ミラー
のタッグマッチ。
それに伴いテレビには映らないけれど集客の目玉として木村の金網デス
マッチが行われました。
 対戦相手はジャイで21分20秒にカウントアウトで敗退。
11日、15日と立て続けに木村の金網デスマッチの相手を務め、集客に
幾ばくかの貢献をしています。
 観客動員のドル箱となる金網デスマッチに無名なジャイが3回も起用された
のは、ミック博士の解説にある様にアメリカでの実績が買われたものと思われます。

復活王座決定戦

 木村がデスマッチ路線のエースであれば正統派のエースはストロング小林。
71年6月19日に看板タイトルのIWAヘビー級王座を獲得し、以後シリーズ
の大舞台で防衛戦を繰り広げていました。
 その小林には実は別のベルトもありました。
69年10月14日にバディ・コルトから奪取したUSAヘビー級王座です。
 US王座は知っていた日本のファンもUSA王座なんて聞いたことの無い名称。
それでもテレビ中継の目玉として時々使われました。
 70年1月13日にはバッドボーイ・シールドを挑戦者に迎え2対1で防衛。
7月28日にはバディ・ウォルフを撃破。
しかしIWA王座の獲得以降は全く出番を失っていました。

 ところが新春パイオニアシリーズで突如の復活劇。
1月7日に小林とジャイで「王座決定戦」が唐突に行われたのです。
これに関して団体側からの説明はありません。
 <おそらくプロモーターからタイトルマッチ開催の要請があったものと推察
される>(mixiニュースピックアップ から)
 裏事情は正にその通りだったのかもしれません。
ジャイが復活に一役買ったUSA王座、その後に防衛戦が行われることは
なかったのでした。



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