あるく あかるく

健康長寿 めざしましょう

番外編第7位、猪木ウィリー戦の悲哀

2016-11-18 06:25:58 | 日記
空前の人気、不穏な空気

 恐らく試合は行われないだろう、訳知り顔でそう解説する記者がいました。
全ての用事を投げ捨てて国技館に駆け付ける、そう宣言するファンがいました。
ファンも関係者もこの一戦の話題で持ちきり、勝敗の予測で不穏な空気さえ
立ち込める程に日本中が湧いていました。

 毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」と題して当時テレビ中継で
見た30の記憶に残る場面を取り上げています。
いよいよベスト10に入りますが、その前に諸事情で中継を見られ無かった番外編を。
今週は番外編第7位「猪木vsウィリー」です。

 アントニオ猪木と極真空手の巨人、熊殺しの異名を持つウィリー・ウィリアムス
の一戦は1980年2月27日蔵前国技館で行われました。
 ここに至るまで、梶原一騎氏原作の劇画でウィリーの人間離れした強さが喧伝
されていたので、プロレスファンにもその存在は知れ渡っていました。
更に大山総裁が「他流試合をすれば破門」と宣告した事で一般の関心も高まり、
通常のプロレスとは明らかに違う興奮が渦巻いていました。
 この日の国技館には1万1千人超満員のファンが集結、警察官40人、警備員
100人が動員され、当時としては珍しい金属探知機まで準備された大掛かりな
警備体制が組まれていました。
 それでも関係者が猟銃を持ち込んだとの噂も流れ、何が起こるか分からない物騒
な雰囲気が漂っていたのです。

過酷な結末、過酷な環境

 1ラウンド3分の15ラウンド、寝技は5秒以内、セコンドはそれぞれ4名まで
とルールが確認されて開始。
ウィリーの上段回し蹴り、正拳突きがさく裂、それをかい潜って寝技に持ち込む
猪木が関節技を狙う展開です。
 腕ひしぎの体勢に捕らわれたウィリーが長い脚で猪木の頭部を蹴ったシーンは、
プロレスでは決して見られ無い衝撃のシーンでした。
 2ラウンド一旦両者リングアウトで試合終了とされましたが、それではファンが
収まりません。
梶原の宣言で試合は続行され、4ラウンド今度は両者ドクターストップが告げられます。
 猪木はあばら骨を、ウィリーは肘を負傷する正に痛み分けの結末でした。

 如何にもテレビ中継を見た風に書きましたが、この試合が中継されていた時私は
通勤の途中、決戦直前の情報が満載された東京スポーツを読みながら電車に揺られて
いました。
 映像を見たのは10数年経ってからのDVD。
あの頃はビデオすら普及しておらず、ましてやDVDやインターネットは想像も
できません。
その瞬間のテレビ中継を見逃したら、活字と写真によってしか情報を知る術が無く、
動く映像は二度と見られ無い時代だったのです。
 昭和のファンは今では信じられない程の過酷な環境で、それでもプロレスを楽しんで
いたのでした。 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« メスは別物、ジョウビタキ | トップ | 携帯電話の金を柿で取り出す話 »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事