反則で大注目
「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では、ヒーローを輝かせた脇役達の活躍を
振り返っています。
今週はこのテーマとしては初の日本人、人気絶頂のヒーローを痛めつけて日本中の
憎悪を浴びた男です。
いつ何時でもプロレスラーを演じた「虎ハンター・小林邦明」の登場です。
小林が新日本プロレスでデビューしたのは1973年の2月1日。
3月開幕のビッグファイトシリーズのパンフレットにプロフィールが紹介されました。
と言っても若手8人の最後に顔写真が載っただけ。
183cm83kg、長野県小諸市出身で得意技はドロップキックと、申し訳程度の
紹介が付いていました。
下積み生活は長く続き、初の海外遠征としてメキシコに出発したのは1980年。
つまり会社からはほとんど期待されていなかったのでした。
そんな小林が大注目の悪役に変身するのですが、転機は82年の10月でした。
同じく燻っていた長州力とメキシコから同じ飛行機で帰国し、「かませ犬」発言をする
姿を目の前で見たのでした。
「あぁこれで長州選手は行くな、一発で光っちまった。
俺は置いて行かれる。」
輝きを放つ姿を見ながら危機感に苛まれ、そして決断を下します。
「殻を破るには佐山に絡むしかない」、そう決意した小林は当時のマット界で最高の
人気を誇っていた初代タイガーマスクの試合に乱入しました。
怒ったタイガーとの一騎打ちに持ち込むと、覆面を破る暴挙に出て会場には女性ファン
の悲鳴が響き渡りました。
日本人なのにどうしてタイガーに反則をするのか、抗議が殺到し実家には生卵が投げ
込まれました。
ファンの憎悪は一身に浴びましたが、一方で誰もが知る程に知名度を高めたのでした。
戻って来い
しかし引っ張り上げてくれたタイガーマスクが突然引退してしまいます。
事前にその決意を聞かされた小林は驚きました。
「ちょっと待て、俺を置いて行くな」と懸命に説得を続けますが、佐山の決意は揺るぎません。
(セリフの引用は全て 真説・佐山サトル より)
引退発表の翌週の週刊プロレスには多くのライバルたちの声が掲載されました。
「人間関係に悩んでいた」
「待遇に不満があったのだろう」
「あれだけの才能を失うのは日本マットの損失だ」
そんな真っ当なセリフが並ぶ中、小林の答えは異質でした。
「俺が怖くて逃げやがった、戻って来てもう一度戦え!」
実社会の軋轢に悩むタイガーに向けて、あくまでプロレス言葉で応じる小林の姿は正直言って
滑稽でした。
しかし敢えてそんな突飛な行動をしてまで、プロレスの虚構を守ろうとしたのは小林しかいません。
だからあのセリフは半世紀経っても記憶に残っているのです。
あるべきレスラーの姿を貫き通した小林邦明は、「プロのプロレスラー」でした
「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では、ヒーローを輝かせた脇役達の活躍を
振り返っています。
今週はこのテーマとしては初の日本人、人気絶頂のヒーローを痛めつけて日本中の
憎悪を浴びた男です。
いつ何時でもプロレスラーを演じた「虎ハンター・小林邦明」の登場です。
小林が新日本プロレスでデビューしたのは1973年の2月1日。
3月開幕のビッグファイトシリーズのパンフレットにプロフィールが紹介されました。
と言っても若手8人の最後に顔写真が載っただけ。
183cm83kg、長野県小諸市出身で得意技はドロップキックと、申し訳程度の
紹介が付いていました。
下積み生活は長く続き、初の海外遠征としてメキシコに出発したのは1980年。
つまり会社からはほとんど期待されていなかったのでした。
そんな小林が大注目の悪役に変身するのですが、転機は82年の10月でした。
同じく燻っていた長州力とメキシコから同じ飛行機で帰国し、「かませ犬」発言をする
姿を目の前で見たのでした。
「あぁこれで長州選手は行くな、一発で光っちまった。
俺は置いて行かれる。」
輝きを放つ姿を見ながら危機感に苛まれ、そして決断を下します。
「殻を破るには佐山に絡むしかない」、そう決意した小林は当時のマット界で最高の
人気を誇っていた初代タイガーマスクの試合に乱入しました。
怒ったタイガーとの一騎打ちに持ち込むと、覆面を破る暴挙に出て会場には女性ファン
の悲鳴が響き渡りました。
日本人なのにどうしてタイガーに反則をするのか、抗議が殺到し実家には生卵が投げ
込まれました。
ファンの憎悪は一身に浴びましたが、一方で誰もが知る程に知名度を高めたのでした。
戻って来い
しかし引っ張り上げてくれたタイガーマスクが突然引退してしまいます。
事前にその決意を聞かされた小林は驚きました。
「ちょっと待て、俺を置いて行くな」と懸命に説得を続けますが、佐山の決意は揺るぎません。
(セリフの引用は全て 真説・佐山サトル より)
引退発表の翌週の週刊プロレスには多くのライバルたちの声が掲載されました。
「人間関係に悩んでいた」
「待遇に不満があったのだろう」
「あれだけの才能を失うのは日本マットの損失だ」
そんな真っ当なセリフが並ぶ中、小林の答えは異質でした。
「俺が怖くて逃げやがった、戻って来てもう一度戦え!」
実社会の軋轢に悩むタイガーに向けて、あくまでプロレス言葉で応じる小林の姿は正直言って
滑稽でした。
しかし敢えてそんな突飛な行動をしてまで、プロレスの虚構を守ろうとしたのは小林しかいません。
だからあのセリフは半世紀経っても記憶に残っているのです。
あるべきレスラーの姿を貫き通した小林邦明は、「プロのプロレスラー」でした
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