私は、今、
新型コロナウィルス感染症の重症例の患者を必死で対応している医療従事者の映像をテレビで見ると
精神的に非常に辛くなる。
つらくて、見ていられなくなる。
大袈裟ではなく、気が狂いそうな感じ。
津波で恐ろしい目にあったり、肉親を亡くした人が、
いきなり予告もなくテレビで津波の映像を見せられたみたいな心因反応だと思う。
そのため、テレビを消すか、番組を変えるかして苦しみから逃げる。
こう書くと、
脳脊髄液減少症の脳の不調でHSP状態の私が、なんでも過敏すぎて、共感しすぎて
私が医療従事者の大変さを感じてつらくなるのだろう、とか、
重症となってしまった患者の姿に、いたたまれなくなって、つらくなるのだろう。と
思われてしまうと思う。
けれど、そうではない。
まったく違う。
それは、コロナ重症患者に対する、うらやましさからくる苦しさ。
地元医師にも気のせいだと相手にされなかったことが何年も何年も続いた自分を思い出して、
過去の自分の体験と比べて、すぐ大勢の医療従事者に助けてもらえる患者さんに対する
あまりのうらやましさからくる苦しさ。
しっとにも似た複雑な感情。
患者として認められて、患者一人に対して大勢の医療従事者が惜しみない労力を費やして、助けてもらえる姿に、
地元医療従事者に、何年も何年も助けてもらえず、症状を訴えても信じてもらえなかった過去と、
今もなお、地元で脳脊髄液減少症に詳しい医師にさえ出会えていないという現実に、
同じ医療を必要とする患者なのに、
あまりの差を改めて突きつけられる感じがして
つらくなる。
この感情は、発症から1年以内に、脳脊髄液減少症と診断されたような
早期発見組の脳脊髄液減少患者ではわからないと思う。
少なくとも10年以上、髄液漏れたままほったらかされた経験のある患者しかわからないと思う。
家族からは怠け者、ひきこもり、医師にも医療の対象である患者ともみとめられなかったり、
たとえ、医師に患者と認められても、
不定愁訴ばかり訴えて、検査しても体の異常がない、やっかいな神経症患者、精神疾患患者としかみられなかったような、経験のある患者しか、
この気持ちはわからないと思う。
感染症って、誰もが「自分事」としてとらえるから、みんな関心を持つし、克服しようとみんな一生懸命になる。
けれど、自分には関係のない事と思ってしまう疾患に関しては、「他人事」としてみんな興味を持たないし、問題解決に一生懸命にもならない。
そのため患者はほっとかれるし、マスコミはほとんど報道しないし、
テレビでも取り上げない。
たまに取り上げられたとしても、見た人には自分にも明日起こるかもしれない身近な疾患とは思われない。
世界中の多くの医師も興味を持たないから、なかなか研究も進まないし、
医師の中に認知度もあがらない。
それがさらに世間や医師の無関心を呼ぶという悪循環。
私は難病ではないけど、希少難病の人の苦しみが想像できるようになった。
希少難病の研究や薬の開発は、薬を作っても使う人が少ないと売れないから、製薬メーカーも研究者も取り組まないらしい。
悲しすぎる。
その点、新型コロナウィルスは世界中のみんなに関わる事だから、
みんな真剣に研究に取り組み、患者を助けようとみんな必死になるし、
異例の早さでワクチンが開発される。
多くの人にかかわる疾患に真剣になるのは、人類の種の保存の本能から考えても当たり前なんでしょうが、
私の経験と、コロナとのあまりの、医療と世間の関心の差に、
愕然とし、とてもとてもつらくなってくる。