脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

中高年の、ひきこもりのあなたへ

2020年12月05日 | つぶやき
NHKからのお願いを見つけました。


理由がなんであれ、
ほとんど家から出ていない状態が
半年以上続いている人は
自分がひきこもりかも?と気づいたら答えてあげて。

もしかしたら、
データがたくさん集まれば、
何かわかるかもしれません。

ひきこもりの前に、何があったか、よく思い出してみて。

もし、職場や学校のだれかに暴力を受けたり、体にボールが当たったり、誰かにつきとばされたりしてない?

そこから
体調や精神的に不調になってない?

スポーツ事故や
交通事故にあってない?

みんなが
いろいろなケースを伝えれば、

ひきこもりの原因となっている、見えない何かがアンケートで炙り出されてくるかもしれないから。

それを、またNHKがまとめて放送してくれるかもしれないから。

それにより、あなた自身が何かに気づけるかもしれないから。

あなたと同じように苦しんでいる人が必ずいるから、
あなたは一人じゃないから。
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ひきこもり死 8050問題

2020年12月05日 | つぶやき

ひきこもり死 「8050問題」の“最終局面” どう命を守るのか

『治さんは30年近くひきこもった末、晩年はがんを患っていた。
だが、医療を受けることを頑なに拒否。
千枝子さんは、何度もタクシーで病院の前まで連れて行ったが、現地へ着くと治さんは車から1歩も降りようとしなかった。
そのたびに、運転手に謝りながら自宅へ引き返したという。

これほどまでに医療を嫌うには、相当な医療不信、人間不信があったのではないか?と思う。

その医療不信、人間不信とは、たとえば、私が体験したように、

いくら医師に症状を訴えても、
わかってもらえず、精神的なものにされて相手にされない絶望感かもしれない。

ひきこもるには、わけがある。
人の支援や医療を拒むにはわけがある。

それを、本人が、言葉や文字で発信できないから、
まわりは何が理由かわからないだけ。

でも、私にはなんとなく、当事者たちの気持ちが伝わってくる。

嫌なわけが。

私も、以前は、どんなに苦しくても地元の医師は二度と頼るまい!と思っていた。
主治医以外の医師は頼るまいと。
それほど、医療に絶望してたから。

今は、神経症扱いされながらも、わからない医師はいくら説明してもわからないんだからしかたがない、と割り切って、あきらめつつ、最低限だけ、適当に利用している。



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乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)

2020年12月05日 | 情報
乳児重症 大阪地裁判決

このブログで、かなり前から、私は乳幼児にも、脳脊髄液漏れという怪我が存在しているんじゃないか?
乳幼児は、髄液漏れかどうかの検査をすることができていないから
「乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)」とされている中に、見過ごされているんじゃないか?

という考えを書いてきました。

だって、同じ人間だもの、大人に起こる事は、乳幼児にだって起こるはず。

乳幼児は大人よりもろいから、大人より弱い衝撃でも、髄液漏れは起こるかも?

だけど、乳幼児の髄液漏れを研究するところまでまだいっていない。

ましてや、司法解剖したって、髄液漏れが原因での死、どんなスーパー解剖医だってわからないと思う。

交通事故での衝突時の衝撃での、はげしい首の揺さぶりで髄液漏れが起きる事は、私の実体験からもあきらか。

成人の脳脊髄液減少症の症例で、髄液漏れが原因で、脳が下がって血管が引っ張られ硬膜下血腫ができうる例が存在する事は、

脳脊髄液減少症の研究にかかわっている医師なら知っているはず。

ならば、大人よりもろい生まれて4か月の
乳幼児が激しく揺さぶられれば、
脳脊髄液漏れが起こる可能性もあるだろうし、
それによって急性硬膜下血腫を発症する可能性はあるはず。

だけど、そんな事、文系の裁判長が知るわけない。
想像もしない。

無理もないよ。
乳幼児の髄液漏れと、乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)との研究もされてないんだから。

現状では、大寄淳裁判官は、
「元々あった怪我が、自転車に乗せていた時の揺れでひどくなった可能性を否定できない。」と言うしかなかったのかもしれないけど。

それにしても、私は、「生後4か月の赤ちゃん」を、自転車に乗せたという行為自体が、すでに虐待だと思うけどな。

いつか、脳脊髄液漏れの研究が、乳幼児にも至った時、
乳幼児揺さぶられ症候群での判決が変わってくると思う。

それまでは、親が虐待で子を激しく揺さぶって髄液漏れにさせて
呼吸困難や硬膜下血腫で殺したとしても、
「無罪判決」出続けるんだろうな。

私たち交通事故が原因での脳脊髄液漏れ患者が、いくら裁判に訴えても、
交通事故と髄液漏れとの因果関係を認められず、多くの交通事故被害者での髄液漏れ患者が敗訴し、

交通事故の加害者が勝訴し、無罪放免になってきた時代が長く続いたように、

実は揺さぶって虐待した親たちが、無罪となる時代は、
まだ数十年続くのだろうな。

でも、このブログ読んだ若い人は覚えておいて!

いつか、きっと、乳幼児の髄液漏れと乳幼児揺さぶられ症候群との関係性が、無関係ではないとの研究発表がされる時がくるから。

これ読んだ若い法医学者や若い医師は、ぜひこの事を研究してみて!

まだあまり興味を持たれていない分野だから、真剣に研究に取り組めば、
きっと第一人者になれるはずだから。

もし、死者の髄液漏れの証拠も、死後検査で見つけられるようになれば、

見た目きれいで外傷がなくても、

実は、両肩をつかまれ、激しい揺さぶりて首が前後に激しく振られ、それによって脳脊髄液が漏れ、
それが原因でなくなつた大人の殺人のケースも暴けるようになると思うよ。

若い法医学者さんたち、若い小児科医、若い人たち、ぜひ、髄液漏れと犯罪、虐待を研究して!

よろしく!

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ここだけの話

2020年12月05日 | つぶやき
この記事を書く前に、「コロナウイルスが社会につたえてくれた事」という記事を書きました。

その中にこっそり書いてある、本の名前をまずは覚えてください。

その上で、これから書く記事をお読みください。

その本の書名と、私の病名は、今回はわけあってあえて記事の中に文字として書かないので、ご了承ください。

私がこのブログで使っている病名(まだ正式には認められていないけど)は、

このブログを始めた2006年当時、この病名は、ごく一部の患者仲間ぐらいしか使っていなかったのです。

もちろん、その頃も、正式な病名として認められていなかったし、
ほとんどの医師たちが、そんな疾患はないと、あざ笑ってた。

数少ないブログを書く患者たちも、当時は私がこのブログのタイトルに使っている病名を使う人は少なくて、

昔から、「非常に稀な疾患」として医師の教科書にも載っていた「低髄液圧症候群」を採用してブログ記事を書き、

限られたブログ書いてる患者たちが記事では略して、「テイズイ」と書き、ブログに書く人が多かった。、

けれど私は、髄液圧が必ずしも低くなくても、髄液が減る事に注目した、「このブログのタイトルに使っている病名」を採用した。

正式に医学的に認められた保険病名でない事を承知で、毎日毎日、記事に意識して入れ込みブログ記事に書き込んだ。

この病名がいつの日か正式に認められる日が来る事を願って。

(しかし今も保険病名としては認められてはいない。)

そんな必死にブログ綴ってた時期、不穏な動きを感じた。

この病名を闇に葬ろうと動き出す人たちの動き。

つまり、いままで、むちうち症で軽症で示談に至っていた人たちの中に、
そんな疾患が隠れていると大変困ると思い込んでいる人たちと、
それに賛同する医師たちの動きを

患者たちは察知する。

それと同時ぐらいに、昨日の記事に書いた一見普通のミステリー本
(実は別な目的が潜ませてあったと私は勝手に思っているあの本)が出版され賞を取る。

それが、誰かの策略かどうかはわからないけど、あまりにもタイミングがよく出版された。

それと同時ぐらいに、私のブログにも嫌がらせコメントが相次ぐ。

患者が、パソコンを操り、絵を書き、ブログを書くなどできるわけがないと、非難もされた。

私は、まだ今よりはるかに体調が悪く、症状もつらかったけど、
必死に発信していた。
それだけでクタクタだったのに、嫌がらせコメントは精神的に負担で、そのためブログをやめてしまおうかと思った。

実際、その頃、大好きだった患者仲間がブログを閉じた。
原因は何かはわからないけど。
かわいい絵を書く、大切な患者仲間で、私もそのブログに励まされていた。

その頃、ある事にも気づく。

私のブログが検索で、急に全く出てこなくなったのだ。

当時、この病名でブログ書く人は今よりはるかに少なかったから、
検索すると、いつもトップに出てきていた。

けれど、ある日を境に検索しても全く出てこなくなった。

検索サイト側のアルゴリズムの変更も同時あったかもしれないし、

いい加減な病名で記事書いてる人がいると通告があったのかもしれない。

当時の私の主治医たちが全国の医師たちから、激しくバッシング受けていた時期でもあったし、
患者の私にも嫌がらせコメントが相次いでいた頃だったから、
何かが作用していると思わずにはいられなかった。

そんな事が過去にあったのです。

今回、この記事の中に、一切、このブログ記事のタイトルにある"病名"を入れ込んでいないのは、

どうも、
このブログタイトルにある病名と、

「コロナウイルスが社会に伝えてくれた事の記事に中でも書いた

あの講談社の本の「タイトル」を
同時に入れ込んだ記事は、検索にひっかかりづらいようだと、

昨日ちょっと思ってしまったから。

もしかしてだけど、
過去の失態を、なるべくネット上からも消して、なかった事にしたい人たちが存在しているのかもしれないな、と思った。

単なる想像、妄想かもしれないけど。

で、今回は試しに病名も、あの本のタイトルも入れずに記事を投稿してみた。

でもね、もし、過去の失態を消したくてあの本の存在を隠したい人がいたら教えてあげたい。

失敗をなかった事にしていると、また間違うよって。

失敗を直視して、そこから学んでこそ、その失敗が失敗でなくなり、糧になるんだよ
って。

戦争だってそうじゃない?
過去の失敗から学び続ける事が、平和を保つんじゃないのかな?

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