きゅうりがなったまま、
巨大化しているのをきのう見つけ、けさ収穫しました。
全長39センチ、
一番太いところで、周囲が23、5センチもありました。
はたして、このきゅうりは食べられるのか
なすはちょうどいい大きさで収穫できました。
すがすがしい、さわやかな秋の、朝の空気と、
早朝のラジオ体操までできてしまった、
今までより、ずっと軽やかな体と、
なす1個、
きゅうり1本の 朝の収穫が、
私にささやかな幸せを感じさせてくれました。
「生きていてよかった」・・・
そう、しみじみと感じる、瞬間でもありました。
生きていると、
苦しい事もあるけれど、
楽しい事も、幸せな事も
たくさん日常にちらばっているものです。
でも、脳脊髄液減少症の症状を抱えて生きることは、
あまりにも一瞬一瞬を生きるのが苦しすぎて、
つらすぎて、
そんなことにも、なかなか気づけないのです。
脳脊髄液減少症という、
こんな苦しい見えない怪我を負ってしまって、
長い間、健康で過ごすはずだった、私の貴重な人生の時間は、
あの加害者によって奪われてしまい、
世界中の医師の誰も気づかなかった当時、
脳脊髄液減少症になってしまったがために、
私が受けた、
誤解、無理解、ひどい言葉、ひどい扱いのすべてが、
私の心をズタズタに傷つけ、
その傷ついた心は、いまだに充分癒えていませんが、
ただ、
とにかく今まで、生きてこられた、すべての偶然と幸運に
感謝したいと思います。
こんな誰にも理解されないような、
病名もなかったような、
こんなにも残酷な交通事故後遺症は
かつてないと思っています。
でも、
長い、長い、なが~い間、誰にも理解されず、苦しんだおかげで、
回復するにつれ、
当たり前の事や、小さな事にも
感動や幸せを感じられるようになりました。
病名もない時代、
この病態を抱えて今まで生き抜くことの過酷さは、
体験した自分以外は誰も知らないから、
見た目では患者の抱える苦しみなんか、周囲にわかりっこないから、
ここまで生き抜いた私を、
誰もほめてくれないけれど、
この後遺症のおかげで、
あたりまえの小さな事に、幸せを感じられるようになったのは、
今まで耐え抜いた私に
唯一、神様が与えてくれた
ごほうびかもしれないと思っています。
生き抜くことは、
たとえその経過がどんなものであったとしても、
それだけで、すばらしいことだと
今なら思えます。
だから、かつての私と同じように、
何かの理由で死にたいほどに苦しんでいる方がたも
どうか生きてください・・・・
とにかく、
生き抜いてみてください・・・
人生、最後まで
生きてみないとわかりませんから・・・。
とりあえず、でいいですから・・・・