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『JR京都駅のシャッターに挟まれ男性死亡、駅員を逮捕』
(2006年3月2日13時39分 読売新聞)
お亡くなりになった方、ご遺族の方々にはお悔やみ申し上げたいし、確認を怠った駅員の責任は問われなければいけない。
先に、その認識はあると前置きをさせて戴いて…
今日は、我々の危機意識についてのお話。
まず、先の事件についての話。
死亡した方は、普段からダンボールを敷いてよく寝ていたところを目撃されていたらしい。
被害者は、初めてこの駅で寝泊りした人ではないという事である。
では、シャッターが定期的に下りる事は知っていたのではないだろうか?
では、何故そんなところで寝ていたのだろうか?
病気か?酔っていたのか?それとも、単なる気まぐれか?
まぁ、私はこの死亡した方を責めたい訳ではない。
ここでお話したいのは、
「護られすぎる体質が、個人の危機意識を希薄にしているのでは?」という事である。
この事件でも、確認を怠った駅員の責任は言うまでもない。
しかし、そこのシャッターがいつも閉まる事を死亡した被害者も知っていたであろう。
何で、わざわざシャッターの閉まるところで寝ていたのだろう?
起こしてくれるという甘えなのか?
危険なところには近づかない…護身の基本である。
「個人でも危機意識を持ってもらいたい」というテーマ・切り口で話をしたい。
故に、誤解を恐れず、あえて、以下話をさせて戴く。
自動車運転でも、運転手に対しての責任は思い。
ほぼ一方的に責任を取ることとなる。(よね?)
私も運転をするが、非常識な歩行者や自転車に乗っている人を見かけることがある。
一度、信号手前の駐車場のないコンビニの前で、中学生なのか5~6人自転車で溜まっていた。
赤信号であったのだが、彼らは車道の半分以上を占領していた。
狭い道なのに危ないなぁ…とカミさんと助手席にいた私は思っていた。
ちょうど、信号待ちの一番前が私達の車であり、目の前に彼らがいる感じであった。
やがて、信号が青になったが、一向に退く気配がない。
それどころか、交通の邪魔になるのも気にせず、ダラダラ話している…
私は、窓を開けて「おい!邪魔なんだよ!こんなところで溜まってんじゃねぇぞ、コノヤロー!」「どけっ、ぶっ飛ばすぞ、このクソガキが!」と思いっきり怒鳴ってしまった事があった。(ちょっと、言葉遣いは悪かったかな?)
彼らは、慌ててどいていたが、車の怖さや交通マナーも全く知らない故にこういうことが起こるんだろうと感じた事がある。
まぁ、言葉遣いのマナーは私も学ばなければならないが…(反省)
また、飛び出しでハッとした事が何度かある。
飛び出しだって、何の確認もしないで走ってでてきた人に対しても、接触してしまったら運転手の責任は重いのである。
酔っ払い運転は非常に責任が重いのに、酔っ払いが調子にのって道に飛び出し車にぶつかっても、これまた運転手の責任は重く問われてしまう…
公共の場に若干の理性を失ってでてきているんだから、フラフラ歩いている酔っ払いにも責任を取らせなさい!(お酒好きの私には、自分の首を絞めている発言かもしれないが…)
前方不注意って…
一応、言っておくが、暴走運転やモラルのない運転手をかばう気はないし、上記の話は、そのもの達は対象外である!
これでは、被害者は甘える一方である!
「川の近くで子供が遊んだら危険である」
「工事現場付近は危険である」
「泥酔状態で道を歩いては危険である」
「見通しの悪い交差点は危険である」
それくらいは皆分かっているのであろうが、何か事があると、
「川に柵を作っていなかったから!」
「工事現場に簡単に入れる様にしているのが悪い」
「見通しの悪い交差点では、細心の注意を払わなければならない運転手が悪い!」
などと他の責任にして自分に甘くなってしまう事はないだろうか?
しかし、これらの件程度であれば、我々でも十分に普段から注意し回避できる危険ではないだろうか?(子供に関しては、もう少し考えなければならないところはあるが、長くなるので、ここでは触れない)
私でも、交差点で絶対に飛び出さないし、自転車でもいつでも止まれるようにして十字路を通り過ぎることくらいはする。
故に、若干マナーの悪いドライバーがいても、最近は巻き込まれる事はない。
エスカレーターや回転ドアの事件が以前あったが、メーカー側が事故をなくすために努力する事は必要である。
しかし、我々は、それらを危険を伴うものであると認識をし、付き合わなくてはならないと思う。
先の京都駅の事件でも、シャッターの安全装置の有無について触れていたが、必ず閉まるシャッターの下に行かない事が一番の安全対策ではないだろうか?
自己責任の時代と言うが、そんなものは当たり前であって、今更声を大にして言う話ではない!
それだって、日本はまだ豊かな国で、人権も生活保障も国がしっかりと面倒を見てくれる。
冒頭の事件や「川の近くには近寄らない」などのような、自分の身のまわりにある、意識すれば回避できる危険程度は、自分自身で責任を持ってはどうかと思う。
当然、一方では、有事の際における責任を明確にする法整備は必要だと思うが…
川なんて、柵を作ろうが何しようが、意識のない奴は、柵を乗り越えて遊びに行ってしまうものだって!
「道路への飛び出しをしない」、「川などは危ない場所にもなる」程度のものは、対策を講じる前にでも「躾け」や「教育」で出来る事があるのだと思う。
また、護身の意識も、このような意識から始まるのではないか?と思う。