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進化する魂

フリートーク
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鳩山ブーメランは来年の流行語

2009-12-24 12:56:01 | 社会
鳩山首相が辞任したら流行語になる可能性は低いな。

鳩山首相のマニフェスト違反より深刻な問題(極東ブログ)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/12/post-bf4e.html

最近、極東ブログを読むと噴出して笑うことが多い。
ネタは「鳩山ブーメラン」だ。

ここずっと面白いくらいに鳩山ブーメランが炸裂している。
ほんっとキレイにスパッと決まる。
かつてこれほどキレイなブーメランで人々を沸かせた首相がいただろうか。
鳩山首相の絶妙なキャラクターのおかげでブーメランがお笑いに変わる。

最近、finalvent氏が言う「鳩山首相のキャラ」がわかってきた。

自民政権だったら即死級のネタが豊富な民主党政権において、なにゆえ鳩山バッシングが中途半端なのか。
これまで当Blogでは「自民党に対する嫌悪感」が理由としてきた。
民主党に変わる野党が存在しないことが第一の理由だと。
その意見は今でも変わらない。
しかし、もう一つ重要な理由があることに気づいた。

それは「国民の誰も鳩山首相を真剣に見ていない。」ことだ。

内田樹の「日本辺境論」ではないのだが、日本人は日本のことを日本の外から眺めているのである。
鳩山首相のことはイコール自分達のことなのに、客観的に見ているのである。
そして、さらにいえば客観的にまるでTV番組を見るように鳩山首相を、そして政治を見ている。

極端なことをいえば、多くの国民が、今この瞬間に政治の世界で起きていることを「政治」というフレームワークを通してしか見ておらず、「自分」というフレームワークが介在していないのだ。

これは、日本人の「平成の坂本竜馬」などといった英傑を求める思想と関連があるのだろう。
政治はお上で、お上のことは誰かがなんとか解決してくれるものなのだ。
日本人にはどうも「社会」という概念を理解することが難しいようだ。
自分達がどのように社会と関わるべきかについての考察が根本的に欠けている。
(昔、社会という言葉はなかったようだ)

根底にあるのは、ある種の謙遜。
日本人が美徳としてきた概念である。
日本人は、他国に比較して自己能力の客観的評価に優れている

「私はたいしたことないから、ここは専門家の人に任せたい。」という感じだ。

これがアメリカ人だったら

「私ならできるかもしれない(やらねばならない)、やってみます。」になるかもしれない。


なぜこのような思想が日本人の根底に流れているのかは、いつか語りたい。

長所でもあり短所でもある、この日本人の思想性質に、鳩山首相のキャラクターが重ねあわされると、無関心に似た寛容的関心に変わるのかもしれない。

鳩山首相というキャラクターが政治を自分とは関係のないフレームに押し込めるのだ。
彼に何か大きなことが成せると思っていないから。
(つまり、自分に直接影響のある形で損失をもたらす雰囲気がしない。一種の諦めである。)

これが小沢だったらお笑いにならない
彼はやってしまうし、ゆえに彼がコケたら洒落にならんからだ。

まぁくだらないことを愚考したわけだが、
おそらく根本的なところは、国民のほとんどは日本の将来に希望的観測を持っているということなのだろう。
(人間には自然と楽観する習性がある。悲観ばかりでは生きていくのをやめてしまうだろう。)
そして、自分達の求める政治が実現されるまでには幾らかの時間を要するというのも覚悟していると。
その希望的観測の根拠は実はないのだが。

時間がある時にこのあたりの話をしたいと思う。(いつになることやら・・)

推奨図書
・ブラックスワン
=> 不確実性に対するものの考え方について参考になる。
・アニマルスピリッツ
=> 人間が本能的に持つ不合理性について知るのに参考になる。


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