懐かしい話題だったので、個人的雑感を述べます。
ツッコミどころ満載かもしれませんがご容赦ください。
登場人物に対して悪意を持っているわけではありません。
ここに出てくるエピソードは当Blogの思い込みである可能性があります。
参考HP:
IPアドレスにオークションを(池田信夫)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51334914.html
IPアドレスの市場(池田信夫)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51293948.html
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以前ネットワーク・システムの研究に従事していた頃「IPv6(Internet Protocol Version 6)」をかじったことがある。
現在広く使われているIPv4はアドレス空間が32bitであるため割当可能アドレス数は約43億個。
これに対してIPv6はアドレス空間が128bitに拡張されるので、アホみたいに増えて日本語で何と読むかさえわからない桁になる。
(細かいことをいうと128bit中上位64bitがネットワーク識別部で下位64bitがホスト識別部だ)
IPv4でも約40億個のアドレス割当が可能であるが、将来的に地球上の全ての人にアドレスを1つ割当てることや、各電子機器それぞれにアドレスを割当てることを想定すると、アドレスが枯渇する可能性が高い。
そこで登場するのが、アドレス空間を128bitに拡張し無尽蔵に割当てを可能にするIPv6である。
インターネットユーザーからしてみるとIPv4/IPv6のどちらであっても使い勝手にたいした違いがないので、どうでもよいことなのだが、あらゆるものがIP化することができれば、そこにユーザメリットもあるであろうと考えられている。
インフラシステム側観点では機器やソフトウェアの置き換え等が必要なのでIPv4/IPv6では大きな違いがある。
IPv6がその名前を広めるキッカケとなったのは、森喜朗首相(当時)がバブル崩壊後停滞する日本経済の起爆剤としてIT革命を推進すると国会演説したのだが、その中になんと「アイピーバージョン・シックス」なる技術用語が出てきたことだ。
その舞台裏にはIT戦略会議議長(当時ソニーCEO)出井伸之氏の想いがあったらしい。
(さらにその裏には村井氏などがいるのだろう。)
(e-Japan戦略は高速インターネット網の整備に寄与したと認めていいだろう)
※ちなみに出井氏と森氏は早稲田の同窓であり親交があった
出井氏は、ネットワークのブロードバンド化と常時接続(通信インフラ開放)の両方を実現することで、社会的に様々な変化を起こし、日本を覆う閉塞感を吹き飛ばせると考えていた。
そのためには、日本のインターネット網が既存の電話線の上に構築されたものであったので、これをインターネット用に構築しなおす必要があると提案したのだ。
このとき、将来的に起こるIPv4からIPv6への移行を視野に入れる必要もあると同時に確認され、そこから日本では産学連携という形でIPv6に関する様々な研究・開発が行われた。
この背景には、IPv6は日本が世界最先端を走る分野であることもあった。
日本はICT分野で立ち遅れたが、IPv6で諸外国を先回りしたいという気持ちもあるにちがいなかった。
しかし、実情はというと、IPv6は世界中でほとんど相手にされていない技術であった。
日本が最先端を走っていたのではなく、世界が相手にしていなかっただけなのだ。
その点について、当時経済産業研究所上席研究員であった池田信夫氏の論文で説明がなされている。
当時IPv6のデマゴギーに洗脳されていた私は大変な衝撃を受けたのを覚えている。
ずっと疑問に思いながらも無視し続けていた事にについてズバリ答えてくれたのだ。
(私が池田氏を知ったのはこの時が初めてだった)
IPv6は必要か(池田信夫)
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/02012500.html
IPv6推進陣のトップといえばミスター・インターネットこと慶大教授の村井純氏である。
私は彼の発する言葉から池田氏の批判に対する有効な反論を求めた。
自分のやってることを正当化したいがためである。
彼の口から出てきた答えは「End to End」と「Connectivity」であった。
これは強力な言い訳だった。
NATやIPマスカレード等の技術では本来的な意味で(サーバを介さずに)「End to End」を実現することはできないからだ。
「End to End」を実現するためには、一つ一つのホストにIPアドレスが割当てられる必要がある。
しかも常時Connectivityを提供するためには、IPアドレスが固定的に割当てられなければならない。
だが、イノベーションと言うのは時に残酷なもので、技術はその言い訳を無効化してしまった。
IPアドレスの固定的割当てを前提としない、アプリケーション・レイヤで「End to End」を実現するプロトコルやP2Pアプリケーション等の開発が進んだのだ。
(サーバを全く介さないわけではないが、そもそもサーバを一切介さないインターネット・アーキテクチャなど存在しない)
同じ「End to End」を実現するにも、IP・レイヤとアプリケーション・レイヤでは技術的に大きな違いが存在するが、ユーザの使い勝手としては差がほとんどなかった。
これでIPv6による「End to End」アプリケーションの必然性が大きく揺らいだのである。
こうなるともはやIPv6の優位性はIP・レイヤで実現した方がパフォーマンスが比較的良い程度しかなく(細かい理由は多くあるがユーザ視点で違いが出せない)、そうなるとコスト・パフォーマンスとして大きく劣るIPv6は後退せざるを得ないのだ。
しかし、未だに学術分野や一部業界ではIPv6の火は消えていない。
(NGNなんてものに一生懸命な業界もある)
この理由はなんだろうか。
私が思うに、これはある種の原理主義的な思想が根底にあるからなのではないかと思う。
その原理は「インターネットはユーザのもの」である。
ゆえに権威者たるサーバを介することを善しとせず、あくまえも「End to End」にこだわり、そして「インターネットはユーザのもの」を守るために公的機関がIPアドレスを管理しなければならないというものだ。
これは一種の矛盾かもしれない。
権威を排するために権威を使うのだ。
これは社会主義思想そのものである。
(それがダメだと決め付けるつもりはない)
少なくても、私はそういうものを村井純氏をはじめとするその一派に感じた。
などと考えていたら、どうも池田信夫氏の説明が納得的だ。
彼ら科学技術者の原理主義を、自己利益のために後押しする行政機関が存在することが大きな理由なのかもしれない。
「国の後押し」という印籠があれば彼らは安心して研究ができる。
国は彼らの最大のスポンサーだから。
もちろんアドレスを再編成するにはコストがかかるが、それは土地を引っ越すのにコストがかかるのと同じだ。アドレスを2n単位でまとめないと配分できないというのも、土地が一坪単位で取引できないのと変わらない。アドレスだけを特別に市場から除外する理由は何もない。
私はこの点を何度もJPNICに説明したが、「公共的なアドレスを売買するのはなじまない」とか「金のある企業が買い占める」など、電波社会主義を擁護する総務省の官僚と同じような理由で聞いてもらえなかった。欧米で市場メカニズムの採用が決まってからも、JPNICは市場を拒否してきた。彼らがユーザーを無理やりv6に移行させるために流してきた「v6に移行しないとインターネットが破綻する」という宣伝が、嘘であることがばれるからだ。
しかし社会主義が崩壊したように、どんな組織的なデマゴギーも現実には勝てない。私はv6を否定しているわけではないが、ユーザーをあざむいて無意味なv6アドレスを強制するのはおかしい。JPNICは、オークションによってv4アドレスを全面的に再配分すべきだ。その制度設計については、オークション理論の成果が応用できよう。
IP技術を推進する科学技術者は制度設計の専門家ではない。
いくら大物といえど、これが限界なのだ。
制度設計などは経済学者などが入った場で再度やり直したらいい。
もうネットワークから離れてずいぶん経つので、その後の進展については知らない。
ひょっとしたらIPv6陣営に強力な論拠が出てきたのかもしれない。
なので、ここで書いたことはあくまでも個人の戯言なのだが、ふと科学技術の世界にも「原理主義」的な思想が入り込んでいることもあると、そう言いたくなったのだ。
必ずしも科学技術者が論理的であるわけではない。
経済学者が自分のことでは経済学的合理性を追求できないのと同じだ。
このあたりは人間の不合理性を描いた「アニマル・スピリッツ」を参照いただきたい。
(自分の人生を実に合理的に生きている方といえば勝間氏くらいでしょうか・・)
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