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ソーシャル・ネットワークによって引き出されるリアリティの無さ

2011-10-17 00:02:10 | 社会
FBやらTwitterやらを見ていると、すごく違和感を感じることがある。

「リアリティの無さ」に。

ブログでも他のメディアでも、活字でも言葉でもよいのだが、

自分の主張をある程度の長さで、

つまり起承転結なり論拠なりを持って語ることをしている人の場合は、

ソーシャル・ネットワークでの発言にも違和感がない。

ここでいう違和感は「リアリティの無さ」だから、

主張していることの正誤などは問題ではない。

とにかく違和感があるかないかだ。

しかし、FBやらTwitterやらで短い系の文章発信をしている人の言葉は何かうそ臭い。

で少し考えてみたが、おそらくリアリティがないのは、文脈がないからだ。

その人が、どのような文脈でその発言をしているのか、これがわからない。

これについては幾つか考えることができると思う。

1つは、その人の考えを把握していないので、その人の発言に突然感がある。

本人にとっては突然でもない発言が、他の人には突然なものに思えてしまう場合。

これは結構あるように思えて、実際は少数派ではないかと思ったりする。

むしろ、大多数は次のようなことなのではないか。

もう1つは、その人が周りの空気や流れ、いわゆる文脈に合わせて発言している。

自分の文脈を持っておらず、周囲でおきるイベントをキッカケにその時感じたものを発言している。

文脈がないので、発言の一貫性に欠けており、まるで統合失調症のように感じてしまう。

それが駄目だという話ではなく、実は、人間がネット空間で拡張されているという話なのだ。

情報の断片化と、文脈の共有、これがソーシャルネックワークによって引き出されているわけだ。

という話を機会があったら考えてみたい。


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